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2022.06.23

貯まったお金の使い道に困るというまさかの事態|稼ぐのも大変だが「ちゃんと使う」のも難しい


友人にもらった煎餅が超絶ウマイと思ったら、原材料が米と醤油だけだった。余分なものがないことが今の自分には一番ストレスがないらしい(写真:筆者提供)

友人にもらった煎餅が超絶ウマイと思ったら、原材料が米と醤油だけだった。余分なものがないことが今の自分には一番ストレスがないらしい(写真:筆者提供)

疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第61回をお届けします。

使うあてのないお金がいつも手元にある「異常事態」

さて前回、世のほとんどの人が「買う生活」で幸せを手に入れんと大変な努力とご苦労をされている中で、まさかの「買わない生活」ですんなりとすべての幸せを手に入れたばかりか、挙げ句の果てに、そのような新しい生活様式により「もうそんなにお金はいらないよ」ってことになってしまったがゆえに、結果その「お金」までもが手元に転がり込んできたという、実に矛盾に満ちた予期せぬ事態に陥ってしまったことをご紹介させていただいた。

稲垣えみ子氏による連載61回目です。

稲垣えみ子氏による連載61回目です。

この連載の記事はこちら ※外部サイトに遷移します

いやーまったくもって「ま・さ・か」の事態である。

だってこれって、要するに、私は常に「余剰金」を手にしているってことだ。使うあてのないお金がいつも手元にある。いやはや何という異常事態であろうか。そんなことが我が身に起きるとは、50年以上生きてきて考えたこともなかった。

だってですよ、会社員時代に恵まれたお給料をもらっていた時でさえ、そんな余剰金が手元にあった試しなどただの一度もなかったのである。

なぜなら私のアタマの中にはいつだって数限りなく「買いたいものリスト」がずらりと行列していて、しかも収入が増えるほどに、そのリストの中身は、マンションだの車だのビジネスクラスの航空券だのハイブランドの洋服だの、要するに「値の張りまくるもの」が際限なく増えていくのだった。要するに、どれほど収入が増えようが、欲しいものは常にそれを上回っていく状態だったのである。

なので、そんな「余剰金」を手にするなんて私ごときには一生かかってもありえないことで、そんなことが起こり得るのは親の代からの超資産家とか、あるいは何かモノスゴイ成功を収めた人とか、つまりはそういう自分とはまったく無縁な超スペシャルに恵まれた人の遠い世界の出来事なんだと心の底から諦めきっていたのである。

それがですよ、スペシャルに恵まれるどころか、会社を辞めてガクッと収入が減った後に、まさかのそんなことが起きちゃったのだ!!

いやー愉快愉快! 人生って素晴らしい~!!

……と喜んでいると思うでしょ?

ところがまったくもって、そんな場合じゃなかったのである。

「お金の行き場」問題発生!

というのもですね、ことここに至って「新たな問題」が浮上してきたのだった。

すなわち、この「もうそんなにいらない」となったとたんにワラワラと集まってきてしまったお金さんたちの「行き場」を、いったいどうしたものかという問題である。

え、なに言ってんだって? 自慢かよって? 余ったお金なんだからハイハイどーぞなんでも好きに使えばいいだろーがって?

はい。私もこんなことになる前なら絶対そう思っていたと思う。何しろ余ったお金。どう使おうが自由。たまにはパーっと贅沢なもんでも食べるとか、ホテルのスイートルームに泊まってみるとか、ブランド物のドレスやらバッグやらを買うとか、何の憂いも心配もなくせっせと使ってしまえばいいのである。

だがしかし、そんなカンタンなことじゃなかったのだ。

何しろ私、「買わない生活」にどっぷり幸せを感じているのですよ。贅沢な寿司なんかより家のいつものちゃぶ台で玄米飯と漬物が食べたいし、スイートルームよりノーエアコンの自宅で暑さ寒さを味わっていることが圧倒的に気楽で楽しいし、自転車生活を満喫している身としてはドレスより体に馴染んだヨレヨレジーンズとシャツが掛け値なく最高なのだ。

そーなんだよこんな輩だからこそ、ぼやぼやしているとフト気づけばお金が貯まってしまうのである。つまりは今の私の幸せのモトはことごとく「買わない」ことによって得ているので、不用意にうっかり何かを「買う」となれば、どう考えたって幸せどころか不幸・不快がやってくること100%間違いなし。となるとうっかり使うこともできないわけですよ。

ってことで、これは自慢でもイヤミでも何でもなくて、真面目な話、このワラワラと集まってきてしまった者たちの処理をどうしたものかと頭を悩ませるという前代未聞の事態に陥っているのです。

いやほんと、改めて、これこそ「人生何が起きるかわからない」ってやつである。心底びっくりだ。

「買わない生活」における「お金の使い方」

なので、こんな珍奇な悩みを持っている人は世間にはほぼいないはずなのでどう考えても誰の参考にもならないとは思うわけですが、せっかくの機会なのでここであえて、そのような浮世離れした状況に置かれてしまった私が今も格闘を続けている「お金の使い方」についてご紹介したいと思う。

というのはですね、これを読んでいただくと、少なくとも「お金」ってものに対しての考え方がちょっと自由になるんじゃないかと思うのです。何しろ世のほとんどの人は、お金はあればあるほどよし、とにかく稼いで増やすが勝ちとしか思っていない。私もずっとそうだった。

しかし今にして思えば、その単純思考、ガチガチの固定観念こそが人生を実に不自由なものにしていたのである。お金ってもうまったく、そんな万能なもんじゃありません。案外不器用で「得意・不得意」がある。取り扱い方次第で、人を幸せにもすれば不幸にもする、つまりは取扱注意なヤツなのである。

なので、この前代未聞の状況に追い込まれた私の試行錯誤の過程を知っていただくことで、お金ってものをクールに相対的に見るきっかけにしていただければ、思いがけず「苦労」した身としては大変嬉しく思うのである。

だって結局のところ、お金の心配がどこまでいっても尽きないのはお金を唯一絶対の存在だと思っているからで、それしかないと思っているから「足りない」という恐怖から逃れられないわけで、そこから抜け出してもっとお金を相対的に見ることができたらなら、それだけで将来が随分軽やかに自由に感じられるのではないでしょうか。

ってことでいよいよ、迷走を重ねた私の「余ったお金」の使い方について書く。

普通は「貯める」ものだが……

まず考えたのは「貯める」ということだった。

だって、普通はそうしますよね。余ったお金は貯める。これジョーシキ。何しろ人生100年時代。長生きしちゃう可能性が高いってことは、これはもうお金がいくらあっても足りないってことなわけで、ましてや不安定なフリーランスの身としては、老後を待たずとも収入上のピンチがいつ襲ってくるかわからない。そんなこんなで、どう考えてもまずは貯金であろう。

ってことで、最初は余剰金はありがたくほったらかしにしていた。日々余ってしまうお金が自動的にたまっていくのを「ラッキー」と思って眺めていたのである。

よしよしこれで私はきっと安泰。この調子でウッシッシと貯めていけば老後もなんとか大丈夫なんじゃ? ああついにやりましたよ稲垣えみ子! 会社を辞めた当初はこの先どうなることかと五里霧中だったが、案外あっさりと人生不安なく全うできるめどがついたんじゃないでしょうか。我ながらなかなか頑張ったと自分で自分を褒めたい。何はともあれめでたしめでたし……などと単純に考えていたのだ。

ところが、である。

次第に、それって何かおかしくないか? っていうか、意味なくないか? と思えてきたのである。

何しろ私、お金を貯めて何かがしたいなどということがまったくないのである。だからこそお金が貯まってしまうのだ。

さらには「買わない」で幸せを手に入れるスキルは日々蓄積され高まっているので、ここまでくると、この先どのように収入上のピンチが訪れようと、支出をそれ以上に減らすことに何の躊躇もガッカリもない。家賃が払えなくなれば田舎で空き家を借りてセルフビルドしようとか、むしろ新たな冒険に心が躍る。

となると、結局のところどこまで行っても「収入>支出」ってことになって、半永久的にお金が貯まり続けることになりかねないではないか。いやいやいや、それってよく考えたらまったく意味なくないか? 

だって「お金がなくても幸せ」な私の元に延々とお金が貯まり続けたとて、それはまさに「ザ・宝の持ち腐れ」である。お金だって適材適所。ちゃんと役立つ場所に出て行って初めて真価を発揮する。

ならば、こんな私のところに止めおいてはいかんのではないか……? 風水じゃないけれど、お金であれ風であれ水であれ、ひとところに貯まって淀んでいくものは、どうも何か悪い「気」を発しそうである。不幸を呼び込みそうである。

そうだよ放ったらかしはいかん。縁あってわが元へ集まってきてくれたお金さんたちなのだから、その嫁ぎ先を、私は責任を持って見つけてやらねばならない。貯めて喜んでる場合じゃないんである。

「寄付する」にも覚悟が必要

で、次に考えたのは、使い道のないお金は「寄付する」ということだった。

これはもう間違いなしではないだろうか? 自分で使うわけじゃないから恐れていた「不幸な事態」もやってこないし、人様に、とりわけ困った人に喜んでいただけるのであれば大変光栄だし先方も助かるに違いない。どこからどう考えても最適な方法である。

というわけで、早速どこに寄付すべきか情報を集めてみると、日本でも世界でもありとあらゆる志を持った人たちが寄付を募っていることがわかった。まさによりどりみどりである。

でもどうせ寄付するなら自分が心から関心を持てるところにしたい。それは一体何だろう? 

阪神大震災を経験している身としては災害支援。節電野郎としては終わらぬ原発被害も当然気になる。それにそもそも私、気楽な独身者だからこそこんなふうに「お金が余った」などと言っていられるわけで、それを思えば子供の問題に取り組む団体がいいかもしれない。いやそれなら世界の子供にも目を向けるべきなんじゃ……などと考えているとなかなか絞り込めない。

っていうか、そもそもどんな団体であれ、大前提として、大事なお金を託すとなれば「ちゃんと役立てて」ほしいと思う。となれば、ただ寄付するだけじゃなく、誰がどう運営しているのか、具体的にどのような事業計画でどこでどのようにお金が使われているのかをきちんと知るべきなんじゃないだろうか?

そう考えると、ただポンとお金を出すというのも無責任なのかもしれないと思えてきた。だって普通に考えて、どこぞの見知らぬ誰かから予期せぬまとまったお金が送られてきたら、それは案外悪い結果を生むんじゃないだろうか? 

宝くじが当たった人の人生が暗転することが珍しくないように、せっかくの地道な活動も、急に妙なお金が舞い込んだことで調子が狂って不要な波風が立ったり、細かい資金集めに身が入らなくなったり、最悪の場合お金をめぐってもめごとやぶんどりあいが始まったりすることだって考えられる。

となれば、ポンと一回お金を出して終わりというのでは無責任で、もし寄付をするなら地道に長い間継続してお金を払い続け、なおかつ自分自身もその組織にちゃんとコミットして運営に関わるくらいの覚悟がなきゃダメなんじゃないか?

で、私にそこまでの覚悟はあるのかね?

そこまで考えると、私は肩を落とさざるをえなかった。現実には私、他にやりたいことがたくさんあるので残念ながら新たなミッションにそこまでの時間もエネルギーも割けないのである。となると、まとまった寄付というのも現実的な選択肢とは言えないと思わざるをえなかった。

ということで、災害時の一時的な寄付、知人が立ち上げたクラウドファンディング、尊敬する故中村哲さんが立ち上げた「ペシャワール会」などにはちょこまかと寄付を続けさせていただいているが、せいぜいその程度が私の身の丈なのである。

お金を「ちゃんと使う」ことの困難さ

誠にお金というものは、稼ぐのも大変だが、「ちゃんと使おう」とすればそれはそれでまったくラクじゃないということが次第にわかってきた。

端的に言うと、お金というやつはどうも寂しがり屋で、見知らぬ人にハダカで嫁がせるとロクなことにならない感じなのである。よく知っている人、安心して託せる人の元に責任を持って送り出し、なおかつ折に触れ様子を見に行ってやるくらいの面倒をマメに見てやらなければ、どうもろくな結果にならない感じなのである。

このようにヤツが本当に生き生きと幸せに活躍できるような「嫁ぎ先」を考えるのはまったくもって困難なことなのであった。

(つづく)

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提供元:貯まったお金の使い道に困るというまさかの事態|東洋経済オンライン

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