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2022.06.16

どんな人でも確実に「お金持ち」になれる方法|「どうやってたくさん稼ぐか」より大事なこと


友人の田舎に行って人生初の藍染に挑戦してきました。何かを作るのはやっぱり楽しい!(写真:筆者提供)

友人の田舎に行って人生初の藍染に挑戦してきました。何かを作るのはやっぱり楽しい!(写真:筆者提供)

疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第60回をお届けします。

書き始めたら止まらなくなった理由

さて、ふと気づけばこの連載も今回で60回目である。

稲垣えみ子氏による連載60回目です。

稲垣えみ子氏による連載60回目です。

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ってことは、約1年3カ月の長期にわたり毎週毎週、それも毎回われながらどうかと思うほどの長文を担当編集者に送りつけてきたことになる。

本当のところを言えば、連載を始めた当初はこれほど書きたいこと、書くべきことが次々と出てくるとは考えていなかった。

でもいざ書き始めたら、止まらなくなった。

何しろ執筆を機に改めて振り返ってみたらですね、会社を辞めたあおりで切羽詰まってしょうことなしに始めた「買わない生活」がですよ、もうまったく思いがけないことに、それまでの恵まれたサラリーマン人生ではどうしても手に入れることができずにいた「すべて」を、いつの間にやらことごとくわが人生にもたらしていたのだ!

それは何かといえば、「仲間」であり「健康」であり「有り余る自由時間」であり「オシャレな生活」であり「豊かさ」であり「老後の安心」であり、さらには「自分の中に眠っていた能力の開花」であり……そうまさに「すべて」としか言いようがない。

いやはやびっくり! ホント、これがびっくりせずにいられようか。

だって私はずっと、それらは「買う生活」で手に入れられるものと信じて疑わなかったのだ。ってことで長い間、とにかく一円でも多くのお金を稼がんと、「いい学校、いい会社、いい人生」(注:主に昭和の時代に信じられていた人生の方程式)という道を外れてはならじと精一杯踏ん張ってきた。

つらいことや理不尽なことがあっても、この程度の苦労や試練に耐えられないなら幸せなど手に入るはずもなし。そう自分に言い聞かせて耐え難きを耐えてきたのである。

でもそれは、どうもとんでもない勘違いだったらしい。

だって実のところ、どれほど頑張ってサラリーを稼いでモノを買いまくっても、結局はどこまでいっても灰色の忍耐時間と大して活用していない山ほどのモノたちがどんどこ積み重なるだけで、なぜか肝心の「幸せ」はどこまでいっても手に入った実感が得られずにいたのですよ。

ところが会社を辞めて仕方なくお金を使わない生活を始めた途端、その瞬間からすべての「幸せのモト」がコロコロとわが手中に転がり込んできたのだ。

思い込みそのものが間違っていた?

ってことは結局「お金」と「幸せ」の間にはほぼ何の関係もなかったってこと……? 「お金を手にすれば幸せが手に入る」という思い込みそのものが間違っていたってことなのか……?

いや、どう考えてもそういうこととしか思えない。

だって改めて思い返せば、私は「幸せになるには何はともあれカネしかない」と思い込んでいたがゆえに、ストレスを溜めまくりながらお金を稼ぎ、しかし稼いだ金をせっせと使ったもののどうも幸せになれず、となると、今ですらこの状態なんだからこれでお金がなくなったらもっとひどいことになるんじゃないかと怯え、もっと稼がなきゃさらに頑張らなきゃと焦り、ってことで当然ストレスフルな生活はどこまでも終わりがなく、しかもその結果得たお金をどう使ってもやっぱりどうも幸せになれず、そのうちトシもとってきて頑張りもふん張りもだんだん利かなくなってきて、ああこれから私はいったいどうなっちゃうんだ~と将来への不安だけがシンシンと積み重なっていく……って、よく考えたら負のスパイラル以外の何物でもない人生を延々と過ごしてきた。

いったいなぜ、私は私なりにこんなに頑張ってるのにそんなことになっちゃうのか……? ずっとそう悩んできたけれど、実は答えは簡単なことだったのかもしれない。何度でも言うが、そもそもその「お金を手にすれば幸せが手に入る」という思い込みそのものが元凶だったのだ。

だとすれば、これはぜひともこの出口なき困難な時代を生きる皆々様にお伝えせねばならぬ。だってですよ、もしこれが本当なら、つまりは「買う」ことじゃなく「買わない」ことによって人生に必要なもののすべてが手に入ってしまうなら、これは間違いなくトンデモナイことである。資本主義社会をひっくり返すような出来事である。

だって資本主義って要するに「お金主義」でしょ? 身も蓋もない言い方をすれば、お金があれば幸せになれる、すなわちお金がたっぷりあってモノやサービスをふんだんに買うことができれば幸せが手に入るという全員の共通認識のもとに世の中を回していくのが資本主義というものでしょう?

人生の不安がなくなる「セルフ革命」

でも実はそうじゃないんだとしたら? 

これはもはや革命ではないか。

そう私はいつの間にか、軽やかに資本主義を制圧していたのだ。マルクスもびっくり。この行き詰まった世の中をひっくり返す「セルフ革命」に人知れず成功したアフロ一匹。

これが正しいことかどうかは別として、少なくとも私は、この革命により人生の不安がなくなった。お金を求め続け、ゆえにお金に怯え続ける人生からの脱却についに成功したのである。いったんそうなってしまえば、人生はなんと自由で軽やかなことか!

ってことで、それが具体的にいったいどういうことなのか、私が思いがけず「買わずに」手に入れた1つひとつを過去59回の連載で縷縷説明してきたわけで、さすがにここまで語りまくればもう大事なところは言い尽くした……と思うでしょ?

はい、大体言い尽くしたと私も思います。

でも。実はまだ書いていなかった、そして非常に大事なことがあと1つだけあるのだよ。

そう私は先ほど、私は「買わない」ことによってすべてを手に入れたと書いた。健康、友達、時間、安心……それらはまさに「それさえあれば幸せに生きていけるよネ」というしあわせのモトたちである。ということは、私は、別にお金などなくとも人生はほとんど大丈夫という最強の境地を手に入れたということである。めでたしめでたし……と、ここできれいに話がまとまるところである。

あってもなくてもいいお金が「貯まってしまう」皮肉

ところが困ったことに、さらにもう1つ、まったく予期していなかった、非常に「微妙なもの」まで手に入ってしまったのだ。

それはいったい何かというとですね……「お金」である!

……なーんてことを書くと、皆様が眉をひそめる様子がありありと目に浮かびます。何が「困った」だ? 何が「微妙」だ? お金が手に入りゃサイコーじゃねーか。それをいったいコイツは何をもったいぶっているんだ? 自慢したいだけなんじゃねーのか?

いや、お気持ちはよくわかります。私もちょっと前ならば、つまりはこういう生活を始める前なら絶対そう思っていたと思う。

でもちょっと考えてみてほしい。

私は今や、お金で幸せを手に入れようとは思っていないのだ。むしろ、お金を不用意に使うと幸せが遠のいていくと思っているのである。つまりは、これまでずっと、いくらあっても足りないと思っていたお金が、今や「あってもなくてもいい」存在になってしまったのである。

ってことになった途端、そのお金が貯まり始めるとは! これを矛盾と言わずになんと言おう。

「貯めている」わけではない。ただただ「貯まってしまう」のだ。よく考えたら当然なのだ。だって私はお金をそうそう使わないのである。サラリーマン時代と比べたら収入は激減したが、支出はそれ以上に大激減。我慢しているわけでも節約しているわけでもない。自分が幸せになるためにそうしているのである。結果、私が幸せを追求するほどに、私の手元にやってきたお金がグズグズと残る。

つまりはですね、お金は別にわが人生にそうたくさんはいらんよということを知ってしまった今になって、まさかのお金を手に入れることとなったのであった。

改めて、人生とは皮肉なものだと思わずにはいられない。

幸せになるためにお金が欲しくてたまらなかった時は、お金は手元からスルスルと逃げて行った。なぜって、お金で幸せを買おうとしていたからだ。つまりはお金をじゃんじゃん使っていたからだ。となれば、お金は追っても追っても逃げ水のように雲散霧消してしまうのであった。

ところが「別にお金に頼らなくても幸せになれるもんね」となった途端、お金がわらわらとまとわりついてくる。なんだかお金って、まるで恋愛の相手のようだ。追いかければ逃げていく。つれなくすると寄ってくる……。

本当に「お金はあればあるほどいい」?

いずれにしても私はこの経験により、実に重要なことを学んだのであった。

世の中のほとんどの人は、お金といえば「どうやってたくさん稼ぐか」ということにばかり関心を寄せている。とにかく一円でも多く稼ぐが勝ち。なぜならお金はあればあるほどいいものだから。それがほぼ常識のように思われている。無論、私もずっとそう思っていた。

でも本当にそうなのだろうか。

お金を攻略する上で本当に大切なのは、「いくら稼ぐか」よりも、むしろ「どう使うか」なんじゃないだろうか?

ここで改めて、お金持ちの定義について考えてみたい。

お金持ちとはいったいどういう人のことをいうのだろう。例えば年収500万の人はお金持ちなのだろうか。え、足りない? じゃあ1000万? あるいは2000万? 3000万? あるいは1億……?

でも実際のところ、この問いはまったくのナンセンスである。

稼ぎの多寡だけでは、その人がお金持ちかどうかは判断できない。例えば、年に100万円もあれば満足に暮らしていける人なら、年収150万円もあれば十分「お金持ち」だろう。でも年に2億円使わないと満足できない人は、年収が1億円でも「貧乏人」である。

「お金の心配」から解放される幸せ

そのように考えると、少ないお金で満足できる人ほど、ラクに「お金持ち」になれる確率が高いということになる。

そうなのだ。今の私は間違いなく「お金持ち」である。たくさんのお金を稼いでそうなったわけではない。少ないお金で満足できる自分を知ったからそうなったのである。

フリーランスゆえ収入は不安定この上ないが、これから収入がどうなろうと、それに応じてそれ以下の支出でハッピーに暮らせる自信があるからそうなったのである。つまりは、私は「永遠のお金持ち」になることに成功したと言ってもいいのではないだろうか。

とはいえ、いざそのような「お金持ち」になってみたら、その暮らしぶりは、かつて想像し、憧れ続けていたものとはまったく違った。贅沢なレストランで「美味しいもの」を食べたり、でっかいピカピカの家に住んだり、リッチな旅行をしたり……なんてことにはまったく興味がないし、頼まれたってやるつもりもない。

お金がどれだけあろうがなかろうが、日々家で一人自炊して一汁一菜を楽しみ、銭湯で常連さんと馬鹿話をして、小さな家で冷暖房なしの暮らしをすることを継続するのみ。ただただ質素な生活をキャッキャッと送り続けるだけ。だってそれが私は一番幸せなのだから。

こんな私だからこそ「お金持ち」になったのだ。

これをどれほどの人が羨ましいと思うかはわからない。

私もいろいろと思うところはある。

でも少なくとも、私は「お金の心配」からは解放された。それだけで十分に幸せである。

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提供元:どんな人でも確実に「お金持ち」になれる方法|東洋経済オンライン

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