2022.06.15
50代から「挑戦できる人」「できない人」の決定差|中高年世代こそ「逃げ恥」精神が超重要なワケ
50代以降こそ「逃げ恥」の精神が必要です(写真:8x10/PIXTA)
こう断言する成功者がいる。「逃げ道をつくる人は失敗する」「本気で挑戦するなら退路を断つべきだ」。しかしこの言葉を真に受けてはいけない。失敗して立ち直れなくなっても、彼らは責任を取ってくれない。むしろ大人ならば、生き残るための逃げ道をつくっておくべきである。
逃げ道があれば、困難を乗り越えられ、思い切った挑戦ができると、作家の有川真由美氏は述べる。同氏の新刊『50歳から花開く人、50歳で止まる人』から、「会社優先の生き方」ではなく、「自分優先の生き方」にシフトするための考え方を、3回にわたってお伝えする。今回は第2回。
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「自ら退路を断つ」は、しんどくて長続きしない
私は「デビュー作が売れなければ、書く仕事はきっぱりとやめよう」と自ら退路を断ったことがあります。それまで雑誌のライティングや、複数のアルバイトをしていて、貧しくてもなんとか生活していたので、「まぁ、本が売れなくても、雑誌やアルバイトで食べていけばいいや」と逃げ道をつくりたくなかったのです。
そのため、これまでにない力がわいてきたように思います。しかし、「逃げ道がない」という状況は、「ここぞ」というときは効力を発揮しますが、ずっとその状態では、ほんとうにしんどいのです。
とくに、50歳からは「逃げ道を用意しておいたほうがいい」と強く思います。なぜなら、自分自身の人生に対して、責任があるからです。逃げ道がないばかりに、悲惨な末路をたどった人も少なくありません。
ある知人は、家を担保にして開業資金をつくり、店を開いたのに、コロナの影響でまったく客が入らず、開店休業状態。続けていても、だれも幸せにならないなか、ぐずぐずとやめる決断ができずに、大きな借金を背負ってしまったのです。
また、定年退職後に再就職した友人は、職場の人間関係でひどく悩んでいました。精神的に追い詰められていたので、「いざとなったら、辞めるという選択肢もある」と伝えたことがありました。私もブラック企業で働いていたとき、「いざとなったら、明日辞めてもいい」と考えることで、心を壊さなくて済んだからです。
しかし、彼は「いや、それはぜったいにできない。知り合いに紹介された職場だから」「辞めてもほかに仕事がないから」と頑なになるばかり。ついに半年後、メンタルクリニックに通院するほどになってから、やっと辞めたのです。
逃げ道を作ることは最悪の事態を避けること
家族の生活があるからと逃げ道をふさいで走ってきた人は、つらくても耐えることが当然であり、辞めることは「恥」「罪悪」と捉える傾向にあります。ほかの選択肢に目がいかず、「いまさら辞められない」「辞めたら後がない」と考えてしまうのです。
しかし、ほんとうに「自分の人生に対して責任がある」と考えるなら、不幸にならない、“逃げ道”を用意して、どんな状況でも生き抜けるようにしておいたほうがいいのです。ましてや、これまで家族や会社のためにがんばってきたのですから、人生の後半、つらい仕事を続ける必要はないではありませんか。
「逃げ道をつくっておくこと」は、最悪の事態を避けるためのものです。「最後はこれがある」という選択肢をもっておくのは、心の保険のようなもので、困難を乗り越えられたり、思い切った挑戦ができたりします。
起業や独立などは手ぶらか、小さな資金で始めることをおすすめしますが、どうしても必要な場合は、「月の収入が〇〇万円を切ったらやめる」「1年で芽が出なかったらやめる」など、限界線を決めておくと、前向きな撤退をすることができます。「失敗したらこうしてやり直す」という策があれば、安心して経営に集中できます。
50代60代の再就職も展開が読みにくいので、1年単位で挑戦し、頭の片隅に「辞めても〇〇がある」と考えているだけでも、気楽に踏み出せるのではないでしょうか。
「ほかにできることがない」という人は多いものですが、どんな人でもなにかしらあるもの。ほんとうになにもなければ、立て直して次に行くまでのつなぎとして、人手不足の業種のアルバイトや失業保険をもらいながら技術を習得する道もあるでしょう。
じつは、私は逃げ道というより、複数の選択肢を妄想することが楽しくてたまらないのです。「カメラマンの道」「田舎で物々交換をして暮らす道」「台湾で日本文化を教える道」は一度経験したのでできるはず。「民宿経営の道」「熟女ホステスの道」「占い師の道」など経験はないけれど、コミュニケーションをとる仕事もやってみたい。ともかく、食べるものと寝る場所さえあれば、なんとかなるでしょう。
しかし、妄想はしても、実際に「逃げ道」を使ったことはありません。あくまでも危険に直面したときの保険であり、そうそう簡単には使えないのです。
自分の「次の手」と「引き際」を考えるべき
40代50代になると、「この仕事をいつまで続けるべきか」と“引き際”を考え始める人も多いのではないでしょうか。
歌手や俳優で人気絶頂のときに惜しまれながら、鮮やかに方向転換する姿は、引き際の美しさを感じます。一方、60代のお笑いタレントで「1人でも笑ってくれる人がいるかぎり、続ける」と言っている人にも、それはそれで美学があるものです。彼らは自らが商品のようなものなので、「求められるか否か」と、自分の“商品価値”を意識せざるを得ないでしょう。
昨今はタレントでも、「留学したいので」「若手のプロデュースをしたいので」「本を書きたいので」「人間活動をしたいので」と固執せずに休んだり、マルチに活動したりと、自分路線を行く人も目に留まるようになりました。
会社員の引き際も、一応「定年」というものがあるけれど、「定年前に別のやりたいことを見つけて辞めたい」「定年までは働くけど、後はやりたいことをする」「社内でやれることがあるなら続けたい」など人それぞれ。どれがいいというものではありません。
ただ、会社のなかであっても、自分の“商品価値”や、まわりへの影響は意識したほうがいいと思うのです。40代、50代、同じ場所にいて、同じことをやっていれば、仕事の停滞感も生じて「自分がここにいてもいいのか」「お荷物になっているのではないか」と感じる人も出てくるのは当然。
役職定年で50歳以降、管理職のポストを奪われる可能性もある。それでも、定年は延長されて、長い人は10年20年と働き続けるという構造的な問題もあります。そんなことも踏まえたうえで、次の手や引き際を自分で考える必要があるのです。
インテリアコーディネーター協会の会長をやっていた友人がいます。彼女は県内で大手マンションのモデルルームから、病院、個人宅まで幅広く手がけていて、建築業者からも絶大なる信頼がありました。
組織を離れると見えてくることがある
ところが、「これからますます活躍するだろう」と思われていた50代半ばで、個人にくる仕事も含めてインテリア関係の仕事はあっさり引退。東日本大震災がきっかけで始めたリユースの服を扱うチャリティショップを本格的にやるようになりました。
「私たちの世代がいつまでもいると、若いインテリアコーディネーターに仕事が回らないのよ。マンションや家を買うのは若い世代が多いから、若い人がやったほうがいいの」と言って。実際、他県に行った30代のコーディネーターから、「いまいる県では受注の大部分を50代以上で独占している」という声も聞かれるとか。
友人は「組織のなかで自分にしかできない仕事なんてない。だけど、そこから離れてみると、自然に自分にしかできないことが見えてくる」と言っていました。自分のことだけでなく、全体像を俯瞰して見る目も必要だと感じます。
40代50代はこれまでの実績、人とのつながり、立場など積み上げてきたものがあるので、いまいる場所でも働きやすい面もあります。しかし、その場所に執着すると、まわりとのズレに気づかなくなってしまう。政治や経済界などにも、そんな人があふれているように見えます。
とくに男性は早い段階から「一個人として社会に貢献すること」を考えておいたほうがいいと思うのです。50歳から個人で活躍している女性が目立つのは、柔軟性もありますが、結婚や育児の際に、それがなくても一度は組織から放り出されて、「自分はなにができるのか」と考えて動かざるを得ない機会があったからでしょう。
50歳から活躍している人は、会社のなかでもすでに「一個人として貢献すること」を考えています。全体のために「前に出ること」も「引くこと」もできる。だからこそ、会社内外から声がかかったり、個人の道でもうまくいったりするのです。
ある男性経営者は「自分の仕事は人が輝くステージをつくること」と言っていました。だから、社員も成長していく。どんな立場であれ、自分の役割を見つけた人は強いと感じます。自分の役割は、自分でつくっていく時代がきています。
会社生活で衰えてしまった「主体性」を取り戻す
いくつかの大手企業が正社員の一部を業務委託契約に切り替えて「個人事業主」として働いてもらう制度を始めました。賛否両論ありますが、「主体性(=自分で考えて動く性質)をもって働く」という意味では、一石を投じる効果があったと思います。
会社のなかにいては、いくら上司から「主体性をもって働きましょう!」と言われても、会社の論理は絶対に近いものがあり、「主体性」には限界があります。
そもそも会社という場は「協調性」のほうが大事で、「それっておかしくないですか?」なんて言い出す主体性の強すぎる人ばかりだと、とんでもないことになってしまいます。
空気を読んだり、任務を遂行したりする「協調性」の“筋力”は鍛えられて、疑問をもったり、自分なりの方法を編み出したりする「自主性」の“筋力”は衰えていく。いえ、衰えていることにも気づかないかもしれません。
50歳からは、そんな自分の頭で考える“筋力”で、人生を切り開いていかなければならないといっても過言ではありません。筋力のある人は、次のステージで自分はなにがしたくて、どうすれば実現するかを考えて動き出します。
筋力のない人は、仕事を探すにも「どこかにいい仕事はないかな」とどこか他人任せだったり、まわりの目や世間体を気にしたり。がんばっているのに行き詰まることも多いのです。
40代、50代になると、「主体性」を回復したいという欲求も強まってきます。「もっと自分を出したい」「もっと自由にやりたい」というときに、会社のなかにいながらも、そんな“場”を自分でつくっていくことが大事なのだと思います。
青果市場に出向した銀行員
【会社内で主体性を取り戻す方法】として、次のようなものがあります。
1. 会社内で、だれもやっていないことをする
40代50代は立場も上がり、裁量も増えてきます。「組織内でだれもやっていないこと(隙問)」に目をつけると実現しやすく、自由にやらせてもらえる可能性大。
銀行から、青果市場に出向した友人がいます。彼はもともと「食」に興味があり、野菜ソムリエの資格をもっていたほど。嬉々として全国の野菜農家を飛び回り、有名レストランと直接つなげるという、これまでにない活動をしています。
「会社にお金を出してもらって、やりたいことを自由にやらせてもらえるなんて最高」と言っていましたが、会社にも利益があるので、実現できているのです。「組織が困っていること(弱点)」「組織でこれから必要になること(未来)」から「自分がやりたいこと・やれること」を探ってもいいでしょう。
2. 会社内でやっていることを、外の場所で試してみる
主体性をもった人は、組織の仕事をやりつつも、自分のスキルや知識が外でどの程度通用するのか、その可能性を探っているもの。それだけでも意味のあることですが、実際に外の仕事をやってみると、どうすれば価値が上がるのか、どうすればまた頼んでもらえるか、考えざるをえなくなります。
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3. 会社内の自主活動は見切りをつけて、ほかの活動をする
会社内で主体性を発揮する場がないときは、プライベートや副業などで自分を試してみるといいでしょう。ボランティアで子どもたちになにか教えたり、地域のチャリティ活動をしたり、単なる趣味ではなく、なんらかの“貢献活動”がおすすめ。
ある友人は「サラリーマンは家族を養うため」と割り切って、月2、3回、クラブでDJをしています。そんな場があるから、性に合わない会社員生活もなんとかやっているし、「定年後はなんとかなるでしょ」なんてお気楽に言っています。視野が広がれば、自然に自分にできることを見つけたり、自分で解決したりする主体性の“筋力”がつくのです。
組織のなかで主体性をもとうとしすぎると、葛藤もあるもの。なにも考えないほうが楽という人もいるかもしれません。しかし、自分なりの主体性の発揮の仕方を考えて悩んだり、希望を見つけたりすること自体に意味があると思うのです。
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提供元:50代から「挑戦できる人」「できない人」の決定差|東洋経済オンライン