2022.05.23
人が最期に遺すべきは「財」「事業」「人」だけなのか|良い影響を遺すために必要なのは「生きざま」
後世に何か遺したいという思いは、人間の根源的な欲求(写真:shiromon/PIXTA)
人類は、子孫を残すことで今日まで生命を保ち、繫栄してきました。後世に何かを残したいという思いは、人間の本能であり、根源的な欲求だと言われます。とりわけ高齢になって人生が残り少なくなると、この世に何を遺して死を迎えるかを真剣に考えるようになります。
唐代の詩人・白楽天の43代に当たる白彦基が、「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し」と語りました。ビジネスライフが残り短くなった50代以上の人にとって、深く刺さる言葉です。
ただ、人が遺すべきものは、「財」「事業」「人」の3つだけなのでしょうか。また、何かを遺そうと思って簡単にできるものでしょうか。最近、私にとって身近な3人の先輩コンサルタントの活動・行動を見て、「この世に何を遺すべきか?」というテーマについて考えさせられました。3人の事例を紹介しましょう。
第3の人生で街づくりに挑戦
一人目に紹介するのは、味香興郎(あじかおきお)さんです。6月に90歳になる味香さん(愛称おきやん)は、現在、「第3の人生に挑戦」として、杉並区阿佐谷北3丁目にいつでも誰でもふらっと来られる「まちサロンおきやんち」を建て、少子高齢化社会の新しい地域のつながりづくりを進めています。
味香さんの「第1の人生」は、日本板硝子での会社員生活です。関係会社7社の社長を歴任し、65歳で定年退職しました。「第2の人生」は、その後に始めたコンサルタント業です。企業勤務の経験を活かして、これまで数千社に及ぶ中小企業にアドバイスをしてきました。
その味香さんが「第3の人生」に挑戦しようとしたのは、阿佐ヶ谷の現状を憂いてのことです。味香さんが生まれ育った三重県と違って、現在住んでいる阿佐ヶ谷は新しい人口が流入し、土地は細切れにされ、アパートやマンションが増え、新旧の住民の交流がほとんどない状態となっています。高齢者の一人住まいも増えています。
NPOの代表も務めた味香さんは、各地の「みんなの家」などを見学して歩きました。その中で文京区本駒込の「こまじいのうち」の老若男女が集まる温かい取り組みに感銘を受け、阿佐ヶ谷にも人が集まる場を作ろうと決意しました。今まで倉庫として使用していた自宅の家屋を改装し、「まちサロンおきやんち」に建て替えることにしました。
現在、味香さんは、90歳の誕生日である6月6日のオープンを目指して、クラウドファンディングによる資金調達、自治体・地域との連携、オープニング・セレモニーやオープン後のイベントの企画などに奔走中です。
「人生の終わりが見えてきた今、住民の力、地域の力を結集して、東京の住宅街、愛するわが町、阿佐ヶ谷に、老若何女が集える場所が実現することを強く願っています。住民が、東京にもこんな地域があるんだと胸を張って言える街の例、を作りたい」
味香さんは、後世に「つながり」を遺そうとしています。「財」「事業」「人」以外にも遺すものはいろいろあるのだと気づかされました。
最後は仕事をやり切って
二人目は、新倉勇(にいくらいさむ)さんです。
私が5月9、10日に研修講師業務である教育機関に行ったところ、別の研修で講師を担当する新倉さんに講師控室でお目にかかりました。私が「おはようございます」と挨拶しても、新倉さんはかすかにうなずくだけ。言葉を発するのも辛そう。それどころか、目を開けているのも、息をするのも辛そう。以前のような生気がまったくありません。
心配になって研修事務局の担当者に訊ねたところ、「新倉さんは、がんなんです」ということでした。昨年暮れにがんが見つかり、4月までは病状が安定していたようですが、ゴールデンウイークに入ってから急に悪化しました。
当然、研修事務局は、新倉さんに治療に専念するように勧めました。しかし、新倉さんの「(長くお世話になったこの場所で)最後は仕事をやり切りたい」という強い希望で、登壇となったそうです。
2日間の研修で新倉さんは、車いすを使うことを拒否し、立ったまま気力を振り絞って講義しました。車椅子を使って講義するというのは、本人のプライドが許さなかったようです。そして、研修をやり切った翌日の5月11日、74年の生涯を閉じました。
新倉さんは、ヘアーサロンの経営から1976年にコンサルタントに転じました。流通業・サービス業の創業支援が得意で、これまで数千社の創業を支援してきました。また、後進の指導にも熱心で、これまで1万人以上の後輩コンサルタントを指導してきました。新倉さんは、「事業」も「人」も遺したわけです。
ただ、新倉さんが私たちに遺してくれた最大のものは、今回の研修でも見せた仕事に賭ける情熱、もっと言うと「生きざま」でしょう。「生きざま」を後世に遺すということもあるのだと、新倉さんから気づかされました。
リストラの責任を取り、再就職せず独立
三人目は、田口研介さん(91歳)です。田口さんは、私がコンサルタントになるときにお世話になった方で、いわば師匠です。
3年前、後輩の私たちは田口さんから、「皆さんのためにまとまったお金を遺したい。有効なお金の活用方法を考えてほしい」という宿題をもらいました。なかなか良い資金活用策が思い当たらず、今日までずっと宿題を抱えたままでした。しかし、先ほどの新倉さんの一件があって、答えが見えてきました。
田口さんは、大学を卒業後、総合商社の安宅産業に入社し、タイの現地法人の社長や紙パルプ部門の部長を務めました。ところが、安宅産業が石油プロジェクトの失敗で1975年に事実上、破綻しました。順風満帆だった田口さんの商社マン生活は一転し、田口さんは部門責任者として事業の整理やリストラに追われます。
安宅産業は最終的に伊藤忠商事の傘下に入り、破綻騒動は一段落。さて、次は自分の身の振り方。総合商社の部長なら、取引先などを頼って好条件で再就職することも可能でした。しかし、ここで田口さんは「部下の首を切っておいて自分だけがのうのうと再就職するわけにはいかない」と再就職せず、独立してコンサルタントを始めたのです。
私が田口さんに初めてお会いしたのは1995年のこと。この話を聞いて「なんてカッコいい生き方だ。私も田口先生のように生きてみたい!」と思いました。そして「田口先生のようにコンサルタントとして人々の役に立ちたい」と考え、その後、会社を辞めて独立開業しました。
現在、田口さんは「財」を遺そうとしています。しかし、とうの昔に私たちに強烈な「生きざま」を遺してくれました。田口さんは、改めてさらに別の何かを遺す必要はないように思います。
良い生き方をすれば良い影響を遺せる
以下は、3人の活動・行動を見た私の感想です。
まず、味香さんと田口さんは、この世に何かを遺そうと強く願っています。何かを遺したいというのは、人間の根源的な欲求なのだと改めて認識しました。
味香さんは、「つながり」を遺そうとしています。新倉さんと田口さんは、「生きざま」を遺してくれました。白彦基が言った「財」「事業」「人」だけでなく、人が後世に遺すものは、いろいろとあるようです。この中で何が上か下かは、私にはよくわかりません。
新倉さんと田口さんは、意図して何かを遺そうとしなくても、大きなものを確実に遺してくれました。信念を持って良い生き方をしていれば、自然に良い影響を後世に遺せるということでしょう。
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提供元:人が最期に遺すべきは「財」「事業」「人」だけなのか|東洋経済オンライン