2022.04.14
モノが少ないほうが「料理の腕が上がる」納得理由|電子レンジは不要、「油と塩」さえあればいい
1日1つずつ必要なモノを増やし、最低限のモノと暮らし続けた100日間。今回は生活には欠かせない「食」について得た気づきを紹介します(写真:IYO/PIXTA)
モノのあふれる現代、ミニマルな暮らしに憧れる人も多いでしょう。ですが、今あるモノを減らすために、何が必要で何が要らないものかを1つひとつ判断するのは、意外と難しいもの。
そこで「暮らしに本当に必要なもの」を見極めるために、「何もない部屋」でのゼロからの生活にチャレンジしたのが、文筆家・ラジオパーソナリティーとして活躍する藤岡みなみさんです。
必要だと感じたものを1日1つずつ増やしていき、最低限のモノと暮らし続けた100日間の様子と、そこから得られた気づきや発見についてお伝えします。
※本稿は『ふやすミニマリスト 1日1つだけモノを増やす生活を100日間してわかった100のこと』より一部抜粋・再構成してお届けします。
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コロナ下でチャレンジした“内なる冒険”
所持品ゼロから1日1つだけ道具を取り出しながら暮らす『100日間のシンプルライフ』という映画がある。映画の公開時にコメントを依頼された私は、感想を書くだけではなく自分でもやってみたいと感じ、実際に挑戦してみることにしたのだ。
本当の所持品ゼロ、例えば裸でスタートすることは現実的ではないと考え、下着や最初の服、コンタクトレンズ、そのほかマスクや消毒液などの初期装備のみOKとした。
〈ルール〉
•自宅から1日1つだけモノを取り出せる
•食料の購入はOK(調味料は毎回カウントする)
•電気・ガス・水道のライフラインは完備
•最低限必要な初期装備を設定
•期間は100日間
チャレンジを始めたのは2020年の夏の終わり。新型コロナの影響で仕事はほとんどリモートに切り替わり、大好きな旅行も簡単にはできなくなっていた。閉塞感を抱くことも多い日々。刺激を求めて外に出ていけない代わりに、関心事の矢印を家の中や自分の内面に向かわせるのもいいなと考えた。結果的に、その直感は正しかったと思っている。
このシンプルライフチャレンジは、まさに内なる冒険といえる体験だった。今回は、そんな100日間で得た「食に関する発見」を紹介する。
100日の間に選んだ食に関するアイテムは以下のとおり。
12日目…鍋
13日目…箸
14日目…包丁
15日目…冷蔵庫
18日目…平皿
28日目…塩
30日目…グラス
31日目…まな板
40日目…鉄フライパン
46日目…おたま
63日目…醤油
64日目…砂糖
81日目…小さいスプーン
88日目…電気調理器
99日目…オーブンレンジ ほか
食に関する発見:冷蔵庫はタイムマシン
当たり前だけど、冷蔵庫がないと食べ物を保存することができない。すなわちその日に食べるものをその日に確保し、しかもその日に食べきらなければいけないということで、これが思っていた以上に面倒だった。急に無人島でサバイバルしているかのように食べ物のことで頭がいっぱいになる。冷蔵庫を失うと、即その日暮らしが始まり、食生活の時間軸に過去と未来がなくなった。
冷蔵庫を導入したときにいちばん感じたのは、もう食べ物の時間にしばられなくていい!という解放
感だった。パアァと目の前が開けたように「未来」「予定」「計画」という言葉が入ってきて、人間が時間の概念を発見した日みたいだった。今日中に食べなければ腐ってしまっていたかもしれない食べ物を、明日か明後日まで食べることができる。消費期限が迫ったお肉は冷凍庫に入れれば延命可能。これってほとんどタイムマシンと言ってしまっていいと思う。冷蔵庫に食べ物を入れることは、食べ物を未来の自分に送ることだった。
必需品だと思っていたのに、なければないでまったく問題なかったものの1つが電子レンジだ。根菜を調理前にやわらかくしたり、冷凍食品や残りものをあたためたり、毎日幾度となく使ってきた。
でも正しい調理法を知れば、野菜をやわらかくすることはそう難しいことではなかったし、実はフライパンで調理したほうがおいしい冷凍食品もたくさんあった。残り物は鍋であたためればいいだけ。
しかしここで問題が。残り物をあたためることでその鍋を洗う手間が1つ増える。たった1つでも、その1つが面倒。だから最終的にどうなったかというと、残り物自体が自然と減っていった。なるべくその日に食べてしまったり、ちょうどいい分量だけ作ることにしたり。
残り物がないと冷蔵庫がかなりすっきりするし、ラップも使わなくてよくなる。電子レンジをなくすことで思った以上に多くのよい影響があった。電子レンジのバタフライエフェクトと呼ぶことにする。
※ バタフライエフェクト……ささいなことがさまざまな要因を引き起こした後に、大きな事象の引き金につながることがあるという予測不可能な現象の例え
おたまは1つあれば十分
シンプルライフに挑戦する前は、おたまを8つも持っていた。どんどん買い足していったという実感もなく、生きていたら自然と集まっていたのだ。そんなわけないんだけど、そんな感覚だ。おたまが8つもあれば引き出しはいつも大混雑で、ガッと引っかかっていらいらすることもしばしば。
ほとんど何も持っていないところからスタートしてついにおたまを手に入れたとき、なんて便利なんだ!と思った。そうそう、この角度で、この量の汁を! すくいたかった! かゆいところに手が届く喜びに思わず目を見開く。おたまを8つ持っていたときには、皮肉なことにおたま本来の素晴らしさを忘れていた。ああ、ありがとう。こんな便利なもの、1つ使わせていただければ十分。1つしかないからこそ愛せるし、1つしかないからこそよさを忘れずにいられる。
料理は好きなほうだ。でも、なんにもわかっていなかった。コンソメや鶏がらスープや白だしで味付けをしないと、味もコクも生まれないと思い込んでいた。全然違う。野菜にも肉にも、もともと味は十分あったのだ。つねに上からドバーッと強い調味料で塗りつぶしているうちに、素材はのっぺらぼうだと感じるようになってしまっていた。
切り方、材料を入れる順番、火加減、煮込む時間、そういったことで風味も食感もかなり変わってくる。例えばにんじんとにんじんの皮を一緒に煮たスープは、花束みたいないい香りがした。にんじんを初めて食べた気分だった。適切な調理によってちゃんと素材の潜在能力を引き出せた料理は、ほんのちょっとの塩のほかには何も要らないと思える。
いったんいつもの調味料を封じて、塩と油だけで料理をしてみる。するとおのずと素材本来の風味と出会うことができて、それを引き出すための調理法も学べた。これが料理だったのか。
鉄フライパンは調味料以上に味が決まる
調理法によっても味が変わるし、道具によっても味が変わる。少ない調味料で料理の基本を学んでみようとしたとき、調理器具も信頼できるものをこれだと決めて使いたいなと思った。もう一度0から学んで、この鍋ならこう、このフライパンならこのくらい、という感覚も身につけていきたい。
ステンレス鍋も鉄フライパンも、適当に使っているときには「なんかくっつきやすい」「洗いにくい」という印象があった。でも落ち着いて正しく使えば本当はそんなに扱いにくくもないし、何よりうまみの味方だった。
味よりうまみを重視するようになり、うまみがいつ出るのか調べているうちに、メイラード反応(食材の中に含まれるアミノ酸と糖が加熱によって結びつくこと)や、蒸したり無水調理で成分を凝縮させたりすることが重要だと知った。そういったことがちゃんとできる鍋やフライパンは、調味料以上に調味料の役目を果たすことがある。
100日間で取り出した100のアイテムを種類ごとに分類すると、いちばん多かったのがキッチン用具や食器だった。全体のおよそ5分の1にあたる19個の道具を取り出している。また、レシピ本を2冊選んでいることからも、私の暮らしの中でいかに食が重要であるかがわかる。そりゃあ人間は食べなければ生きていけないから当然かもしれない。でも、料理をして皿に盛って食べる、という営みには、何かそれ以上の意味があるように思える。
食材を選んで買ってきて、道具を使って自分好みに調理し、お気に入りのお皿にのせる。その過程のすべてに、自分が自分であることがにじみ出る。趣味や娯楽よりも体に近い部分の感性が自然とはたらく。意識していなくてもきっと、この行動で癒やされている。
道具を使って思いどおりのものを作る。端的に言うとこれが料理の構造であり、暮らしの基本なのだ。暮らしの基本はクリエーティビティー。道具といちばんコミュニケーションをとっている瞬間でもある。
ミニマリストにならなくてもいい
シンプルライフは素晴らしかった。でも100日間の挑戦を終えて、さあこれからミニマリストとして暮らしていこう、とは、今のところ思っていない。ミニマリストはクールだ。もちろん否定するつもりはまったくないし、これからも憧れ続けて、そのエッセンスを日常に取り入れたいなと思う。
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100日間で、色とりどりの暮らしの実感を得た。モノを減らすと決めることより、この実感を1つひとつ手放さないことのほうが重要だと感じている。なくていいと思うものはこれからゆっくり少しずつ減らしていけばいい。
長年の習慣に埋没してしまった感性を掘り起こすために、これまでの暮らしのスタイルとは違うものに取り組んでみたことが、これ以上ないよいきっかけになった。だから、ミニマリストにならなくてもいいと言っておいて真逆のことを主張するようだけれど、ミニマリストになる気がない人でさえ、一度ミニマリスト体験をしてみてもいい気がする。
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提供元:モノが少ないほうが「料理の腕が上がる」納得理由|東洋経済オンライン