メニュー閉じる

リンククロス シル

リンククロス シルロゴ

2022.02.24

人生なんて、案外簡単にパッと開けるものである|くだらなすぎる「私の人生の目標コレクション」


わが相棒の自転車。5万円の予算で中古部品を組んでもらった世界に1つの品。6年経ってもびくともせず(写真:筆者提供)

わが相棒の自転車。5万円の予算で中古部品を組んでもらった世界に1つの品。6年経ってもびくともせず(写真:筆者提供)

疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第45回をお届けします。

「道は一本じゃない」と気づくとき

「人生がパッと開ける瞬間」なんてものが、ドラマや映画の世界はともかく世間一般にどのくらい存在するのだろう?

稲垣えみ子氏による連載45回目です。

稲垣えみ子氏による連載45回目です。

この連載の記事はこちら ※外部サイトに遷移します

ことわが人生においては、まーはっきり言ってそんなものはほとんどなかった。

いやね、よっしゃ開けた! と勘違いした瞬間はあったんですヨ。例えば模試ではE判定しか出たことなかった大学受験に合格した時とか、ダメ元で受けた入社試験にこれまた奇跡的に合格した時とか……。おし! これでわが人生は上がりだ! 前途洋々! などと思ったりしたわけです。

で、もちろんそうした出来事にまったく意味がなかったわけではなく、さまざまな積み重ねで今この時をこうして生き永らえていることは間違いないんだが、改めて考えると、今の私を作っているのはそのような「よっしゃ体験」だけではなく、むしろ数え切れないほどの挫折、失敗、悔しい思いなどに学んだことが実に大きいわけで、つまりは、人生が開けるビッグな瞬間なんてものは実際のところ、後から振り返ってみればほぼ存在しないも同然なんじゃないかしらんと思う今日この頃。つまりは人生なんてそんな簡単にパッと開けたりしないんである。

……と、思っていたんだが。

私、人生も半ばを過ぎた今になって、いやいやいやそんなことないんじゃないの? 実は人生なんて案外簡単にパッと開けちゃうんじゃないの? と思い始めているのであります。

そうなのよ私、今まさに人生が開けまくってるわけで、要するにこの連載はそういうことをツラツラと書いているわけなんだが、結局、人生が開けるって「価値観を転換する」ってことなしには語れないんじゃないかと思うのだ。

例えば「大学に合格した」とかは、確かに何かを成し遂げたことには違いないけれど、結局は従来の価値観の延長線上にある一通過点に過ぎない。その先には言うまでもなく延々と難所だらけの道が続いているわけで、結局はそこを一歩一歩歩いていくしかないのである。

もちろんそれはそれで意味のあることには違いないが、注意しなきゃいけないのは、いつの間にやらつい「難所を乗り越えること」ばかりに夢中になって、その道の周りにはとてつもない広大な空間が全方向にワイドに広がっていることに気づかなくなってしまうことである。

本当はどこへ進んでいったって自由なんだ、人生はもっと計り知れない可能性に満ちているんだってことを忘れてしまうことである。

そうなんですよ。道は一本じゃない。どこへ進むも自由。

それに気づいた瞬間こそ、まさに視界がグワンと広がるわけで、それを「人生がパッと開ける」っていうんじゃないですかね。

ってことで、前回書いた「人生の目標はなんだっていい」と気づいた瞬間こそは、まさにそのような「人生がパッと開けた瞬間」にほかならなかったのである。だって「人生の目標はなんだっていい」ってことはすなわち「人生はなんだっていい」ってことにほかならない。これを人生が開けたと言わずになんと言おう。

この時を境に、私は「えっ、こんなことも人生の目標にしちゃっていいのか」としか思えない「くだらない人生の目標コレクション」に勤しむことになったのだ。

私の「人生の目標コレクションベスト3」大公開

ってことで、今回はその、わがとっておきの「人生の目標コレクション ベスト3」を大公開させていただく。

肝心なのは「えっ、こんなことも……?」ってことなので、目標はそれまでの価値観からは遠く遠くにかけ離れているものほど、つまりは超絶クダラナイものであるほどよいのである。

もちろん「本を年に100冊読む」とか「5年後にフルマラソンを走る」とか、そのような立派な目標が悪いというわけではない。でもそれだとなんだかこれまでの価値観と近いところにある感じがして、人生がパッと開けたっていう感じがしなかったんですよね。

ってことで、私はクダラナイものを思いつくほどにほくそ笑み、それをわが心の「目標箱」に大切に保管し、その箱をしょっちゅう開いては「ウッシッシ」と喜び、日々その目標を達成するための鍛錬を怠らぬ人生を驀進中である。

……あ、すっかり前置きが長くなった。

っていうか、実を言えば、いざ書こうとすると、そのあまりのクダラナさにわれながらちょっと躊躇しておるわけです。だがここまで引っ張ったらもう引き返すわけにもいかぬ。ってことで、観念して書かせていただきます。

わが人生の目標その1 近所の激坂を自転車で登りきる

これは前回書いた、インドの豪華リゾートで「人生の目標はなんだっていい」と気づいて帰国した直後に、初めて思い定めた記念すべき「好き勝手な人生の目標(国産)」第1号である。

なぜこれを思いついたかというと、これはもう単純に、近所にわがママチャリではどうしても登りきれない急坂があったからだ。もうちょっと具体的に言うと、会社を辞めたら自転車で行動できる範囲で生きていこうと決めたものの、毎朝カフェに出勤して原稿を書こうと思えば絶対に登らなきゃならならん急坂があり、これがどうしても最後まで登りきれなくて……ということを繰り返すうちに心にキッと思い定めたものである。

なぜあなたは山に登るのか?

それは、そこに山があるから。

……みたいな話ですね(大きく出てみました)。

でもこれは案外冗談でもなんでもなく、両者は確かに共通する話であって、そこに困難さえあれば、インドにいようが日本にいようがいとも簡単に目標は定まるのである。うん。そう気づいたときはなんかうれしかったね。だって生きる目標さえあれば人生は充実するんだとすればですよ、この困難ばかりの時代はまさに希望の宝庫ではないか!

え? いやいやそんなもの、ただの「目標」じゃん、「人生の目標」なんていくらなんでも大げさな……ですと?

ま、シロートはそう思いますよね。っていうか私も最初はそう思わなかったわけじゃないんだが、よく考えると案外そうと決めつけたものでもないんである。

何しろこの坂、上がれば上がるほど勾配がきつくなるというなかなかの地味な難所。しかも私、自転車の「立ちこぎ」が大の苦手で、っていうかこの歳になるまでほとんど立ちこぎをしたことがなかった。

でもこの坂を登りきるには絶対に立ちこぎが必要で、しかも道幅が狭いので、どれほど勾配がきつくなってスピードが落ちようが、そして一番苦しくなったところで向こうからデカイ高級車が道一杯を占領して迫って来ようが、そのような恐怖に心を乱されることなく、常に平常心、そして安定したフォームでしっかりと立ちこぎをし続けなければ、たちまち接触事故を起こしかねないのであります。

つまりはこの坂を登りきるためには、わが「心・技・体」のレベルをワンランクもツーランクも向上させなければならないのだ。50を過ぎた身にはどう考えても決して簡単なことではない。

というわけで、この目標が定まってからというもの、わが修行の火蓋が切って落とされたのである。まずは何よりも先人に学ぶところから。スイスイと前を登っていく若者のフォームに目を凝らし、全身の滑らかな動きをイメージに叩き込み、それを思うに任せぬ自らの肉体で実践すべく、全身の動きにこれ以上ないほど意識を集中しながら漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ!

とはいえ、力任せでもまたダメなのだということも次第にわかってくる。肩や首の力を抜き、足も踏むというよりは回す感覚で。さらには視線も重要だ。前から車が来ると、つい恐怖のあまり車を見てしまうのだが、そうすると気持ちも体も車の方に「持って行かれて」しまって、逆にこちらからぶつかっていってしまいかねない。

なので何がやってこようが気をとられることなく、ただ真っ直ぐに自分の行くべき道だけを冷静に見続ける……いやはやここまでくると、まったくの人生修行そのものではないか。

で、このような修行を人知れず6年間積み重ねた結果、今ではほぼ100%坂を登りきることができるようにはなったのであります!

が、それでもまだ完璧とは言えない。

スムーズにスピードを落とすことなく最後まで登っていくどこの誰とも知れぬ猛者を目撃するたびに、まだまだやらねばならぬことは山ほどあると痛感せずにはいられない。

また、意地になって頑張りすぎた結果転倒したことも数回あり、登りきれぬと判断した時は余力を残して「降りる」判断も重要なのだということもわかってきた。しかしだからと言って早々に諦めてばかりでも技術向上は望めないのも事実。もうダメだと思った時からの一踏ん張りで新たな世界が開けることもあるのだ……などと考えていると誠に奥が深い。

語り始めたらキリがないのでこのくらいにしておくが、ここまで書けば、このようなくだらないことを「人生の目標」に定めるのも決して一笑に付すべきことではなく、何であれ人の一生をかけるに値することなどいくらでもあるということが少しはわかっていただけたであろうか。

で、これに味をしめた私はさらに次の目標を見定めた。

わが人生の目標その2 足の小指を再生させる

これもまあ単純な話で、私、長年のサラリーマン生活で無駄におしゃれをしまくってテクテク通勤していた影響で、ハイヒールやつま先の細い靴に押し込まれたわがかわいそうな足が「ハンマートゥ」という症状を引き起こしてしまっているのです。

両足の小指がダンゴムシみたいに丸まって、手でぎゅうぎゅうの伸ばそうとしても決して真っ直ぐにならない。しかもその影響でひどい巻き爪になり、ほぼ爪が「見当たらない」状態にまで陥ってしまった。

なので会社を辞めたことを機に、このかわいそうな指たちを元の姿に戻してあげることはできないだろうかという、人道的(指道的?)一大プロジェクトの開始を思いついたのであった。

何しろ今や自転車生活だからヒールなど滅多に履かないのだし、これからは体を痛めつけてまで人目を気にすることはやめて、足の健康を優先して生きることにしようではないか!

で、これもいざ正面から真面目に取りくんでみれば、間違いなく人生をかけるに値する大事業なのであった。

足にやさしい靴を履くのはもちろんのこと、本当の勝負はそこからで、歩くときも立つ時も、足の小指をちゃんと使っているかどうかを意識しなければならないのである。そうしないと、長年染み付いた「つい指を浮かせてしまう」体のクセは絶対に抜けない。

もしかして「マインドフルネス」?

で、やってみればわかるが、普段軽視していたものを優先して考えるというのは、大げさではなく、人生のあり方をひっくり返してしまうほどの変化をもたらす行為なのである。

何しろわれらの人生は「考えなきゃいけないこと」で満ち満ちていて、仕事のこと、人間関係のこと、お金のことなど、心配事は次から次へと泉のように湧いてきて、脳ミソがいくらあったって足りない。

なのに、そうした「大事なこと」を全部ぐいと傍らに追いやって、いうてはなんだが「あってもなくてもどうでもいい存在」のようにも思える「足の小指」について優先的に考えるって、そんなことやったことある人がどれほどいるだろうか?

しかしこれまたやってみればわかるんだが、この「超無駄」としか思えないことが、やってみればなんというかバカバカしすぎて笑えてくるというか、なんとも頭が空っぽになる感じでめちゃくちゃ解放感があるんである。

もちろん、さすがに四六時中足の指のことを考えることはできないけれど、それでもいろんなことがうまくいかずにキーッとしてる時、ふと「そうだ足の小指……」と思い出すだけで、その瞬間は目の前の黒雲がさーっと晴れていくような感覚にもれなくとらわれるのであります。

いやこれって……いわゆる「マインドフルネス」ってやつじゃ?

確かに考えてみれば、頭より体に集中するというのは、古来修行の有効な方法として多くの宗教が実践してきたところである。あれこれと妄想を膨らませて次々と勝手に悩みや心配事を作り出していく「脳の暴走」を食い止めるには、今ここにある現実(体)に立ち返ることが一番有効なのだ。

で、私が思うに、その体の中でも「一番役に立ちそうにもない小さな部位」のことを考えるっていうのがいいんじゃないかと。何しろ腹とか脚とか「メーンの部位」のことを考えてしまうと、最近ハラが出てきたなとか、脚がむくんでるけどなんとかならないかみたいな現実的な考えがたちまち襲ってきて、再び脳が暴走を始めてしまう。

でも足の小指となれば、何しろ何十年も無関心でいたので暴走をしようにもアイデアがない。小指、ちゃんと動くかな、地面についているかな……くらいでだいたい話が終わる。で、そのような小さなことを積み重ねていくしかないのだというシンプルな結論で心がたちまち平らかになるのである。

もうほとんど瞑想の世界ですな。

で、苦節6年、このようなことを地道に積み重ねた結果、わが小指がどうなったかというと、ようやく消滅していた「爪」が姿を現し、そしてなんと、指本体もちょっとずつ「伸びて」きているのだ! 

普段はまだまだダンゴムシ状ではあるが、風呂に入ってぎゅううと手を使って伸ばしてやると、以前はビクともしなかったものが、少しずつ「まっすぐ」になり、ずっと影も形もなかった足指の関節のシワも少しずつ出現してきているのである!

いやーこの調子でいけば10年後には、のびのびとした赤ちゃんの指のような小指が戻ってくるのかも? という遠大な計画を見据えて本日も行き詰まったら小指のことを考えて瞑想に浸る日々。まさに良き人生の目標を選んだとほくそえまずにはいられない。

で、これに味をしめた私が最近新たな目標に加えたのがこれである。

わが人生の目標その3 額のシワを消滅させる

ま、これは読んで字のごとく。これまた解説し始めるとキリがないのでやめておくが、これもなかなかに遠大な目標であり、というか足の指以上に「どこをどうしていいのかわからない」困難なチャレンジである。

何しろ、足の小指の場合は「小指を意識する」だけでよかったが、額のシワに関しては、ただ額を意識するだけでは逆に力が入ってシワが深くなってしまうのだ。となれば、額だけではない体全体、あるいは自意識の大改革が必要になってくると思われる。

というわけでただいま、半世紀以上にわたって身についた思考のクセを一から見直しているところであります(ちなみに今のところまったく成果なし)。

ってことで、あれこれくだらないことを熱心に書き連ねてまいりました。ここまでお付き合いいただいた方には心から御礼を申し上げる次第であります。

いずれにせよ、人生至る所青山あり、即ち人生を輝かせる「生きる目標」など、どこでどのように生きていようがありとあらゆるところにありまくるのだということが少しでもご理解いただければ幸いである。

実際、このようなことにウツツを抜かしていると、金の心配をすることなどもついつい忘れてしまいますよ。それだけでも、この「くだらない目標設定」はマジでオススメである。

記事画像

【あわせて読みたい】※外部サイトに遷移します

「銭湯生活デビュー」で常連にいきなり叱られた訳

シャンプーも歯磨き粉もやめた私が気づいた真実

結局のところ、「健康の最終結論」は3つしかない

提供元:人生なんて、案外簡単にパッと開けるものである|東洋経済オンライン

おすすめコンテンツ

関連記事

「節約を趣味にする人」がやっている超楽しい発想|「お金を使わない喜び」はこうして追求する

「節約を趣味にする人」がやっている超楽しい発想|「お金を使わない喜び」はこうして追求する

「106万円の壁」と「130万円の壁」はどちらを優先?|パートタイマーが社会保険料の天引きを避けるポイント

「106万円の壁」と「130万円の壁」はどちらを優先?|パートタイマーが社会保険料の天引きを避けるポイント

金利上昇で考え直す「タンス預金」の運用バランス|自宅に置いておくお金はどの程度がいい?

金利上昇で考え直す「タンス預金」の運用バランス|自宅に置いておくお金はどの程度がいい?

「よかれと思って」損する!?エアコン節電の"ウソ"|「月1000円以上」電気代をムダにしているかも!

「よかれと思って」損する!?エアコン節電の"ウソ"|「月1000円以上」電気代をムダにしているかも!

戻る