2022.02.02
病気の時こそ「こうあらねばならない」を手放そう|何でも自分でやるのではなく周りの人を頼って
病気や治療で今までできていたことができなくなってつらい。そんなときは自分の中のmustを手放してみましょう(写真:IYO/PIXTA)
病気になる。しかも、それががんのような重い病気だったとしたら――。病気や治療に対する不安な気持ちや、うつうつとしたやりきれなさを抱える、そんながん患者に寄り添ってくれるのが、精神腫瘍医という存在です。
これまで4000人を超えるがん患者や家族と向き合ってきたがんと心の専門家が、“病気やがんと向き合う心の作り方”を教えます。今回のテーマは「勇気を持って『must(自分はこうあらねばならない)』に背いてみよう」です。
前回の記事(「できていた事ができなくなった」自分を許せるか)では、自己肯定感が低い人の潜在意識には、「自分はこうあらねばならない(=must)」という強い考えがあるということを説明しました。物心がついたころは、純粋無垢な「こうしたい(=want)」の自分しかいませんが、成長するにしたがって周囲とのかかわりのなかで、mustの自分ができあがっていきます。
「できていた事ができなくなった」自分を許せるか ※外部サイトに遷移します
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主治医の勧めで外来を受診した乳がん患者の吉田恵理さん(仮名、52歳)の場合は、「家事をきちんとこなす主婦でなければならない」というmustがありました。がんやがん治療の影響で体力が低下し、そのmustを満たすことができない自分はダメだと、自己否定してしまう状況になっていたのです。
初診から2週間後のこの日は、吉田さんの受診日でした。
「こんな自分じゃだめだ」と落ち込む
相変わらず「こんな自分じゃだめだ」と思ってしまい、落ち込んでいるとのこと。ご自身が完璧主義の傾向があることを頭では理解しているようで、「“そこまで完璧を求めなくてもいいじゃない”と思うのですが、つい“それじゃだめだ”という思いが勝ってしまうんです」と言います。
そこで、私は1つ質問をしてみました。
「子育ての経験がある吉田さんなら実感されているでしょうが、物心がついてまもなくの子どもは、完璧主義ではないですよね。吉田さんも、小さいころはのびのびと自分の欲求や感情のままに生きていたと思うのです。そうすると、今のように完璧主義になったポイントがあったと思うのですが、いつからそのような“きちんとしなきゃ”という考え方が芽生えたんですか」
すると、吉田さんはしばらく考え込んで、次のように答えました。
「父によると、小さいころの私はやんちゃでわがままな娘だったそうです。変わったのは、12歳のときに母が病気で亡くなってから。仕事をしながら私と2歳年下の弟を育てていた父は、大変苦労をしていました。そんな父を見て、心配かけてはいけない、迷惑をかけてはいけないと考えるようになり、家事を手伝うようになりました」
私は、「吉田さんなりに、家族を守ろうと頑張られたのですね」と声をかけると、吉田さんはうなずきました。そしてこう続けました。
「父が『恵理ちゃんが手伝ってくれてとても助かるよ』とほめてくれると、とてもうれしかった。母はとてもしっかりした人だったので、子供心ながらに、母の代わりになろうとしていたのかもしれません。父からは『そんなに頑張らなくてもいいよ』と言われるぐらい、しっかりすることに拍車がかかってました」
家族を支えようと一生懸命だった吉田さん
その話を聞いた私は、家族を支えようと一生懸命だった、吉田さんの小さいころを想像しました。それまでは、吉田さんはなぜそこまできちんと家事をこなすことに執着するんだろうと不思議に思っていましたが、そのエピソードを聞いて、腑に落ちたのです。
そして、「吉田さんのその考え方は、子どものころの経験からできあがってきた。“お父さんに迷惑をかけないよう力になりたい”と、小さいころから頑張られたのですね」と伝えると、心なしか吉田さんの目に涙が浮かんでいるようでした。
「しかし、どうでしょう」と私は言葉を続けました。「今はご主人や娘さんを頼っても、吉田家は十分やっていけるんじゃないですか」。
すると、吉田さんはしばらく考え込んだあと、「そうかもしれませんね。主人も娘もとてもやさしいから、甘えてみようかしら」と答えました。ご自身をがんじがらめにしていたmustから少し解放されたのか、吉田さんの表情はこころなし柔らかくみえました。
実は、筆者自身も強いmustにしばられていた経験があります。
団塊ジュニア世代の私は、管理教育全盛期のなかで「社会の役立つ人間にならなければだめだ」という価値観が芽生え、その期待に応えようとしてきました。若いころはそのmustに従って努力ができていましたが、中年期になり、気づいてみたらその価値観に強く苦しめられている自分がいました。
歳をとるにつれて、だんだん体力や気力がなくなり、頑張れなくなった自分を責めるようになりました。精神科医である私は、自分の問題を頭では理解していたわけですが、幼いころに芽生えた潜在意識は非常に強固で、そこから自分を解き放つのは容易ではありませんでした。
外来を訪れるクライアントさんのなかには、比較的簡単に「今はそこまで完璧になろうとしなくていいですね」と、自分を解き放てる人がいる一方で、強固なmustが太い根を張ってしまっていて、簡単にはその考えから逃れられない人もいます。
では後者の場合はどうすればいいのか。私はその人のmustができあがったプロセスを一緒に探求するようにしています。
吉田さんはわずかなヒントで自分のmustに気づかれましたが、そうでない場合は、生い立ちから現在に至るプロセスを、何回かに分けて振り返り、「この経験が大きく影響しているようですね」ということを共有していきます。
自身のmustに気づくための6つの項目
この作業に取り組むときは、クライアントに事前課題として以下の6項目について、ご自身で振り返って紙に書いてもらうようにしています。
1.どのような家族(両親)のもとに生まれ、どのように育てられたか
2.少年・少女時代はどのように過ごしたか
3.思春期にはどのようなことを考えたか
4.成人してからはどのように社会(仕事、家族、友人など)と向き合ってきたか
5.病気になる前はどのようなことが大事だと考えていたか
6.病気になる前はどのようなことが嫌いだったか
私たちは自分自身の歴史を生きていて、そこには一連の重要なできごとが存在しています。幼児のころに両親や周囲の人から教えられた価値観や、学童期に仲間とのかかわりのなかで学んだこと、思春期に思い立ったこと、成人に社会のなかで経験したこと、などです。
順を追ってそのことを物語ることによって、自分がどんな人間で、どんな人間になろうとしているのかが、立体的に見えてきます。この事前課題に取り組むだけで、いろいろな気づきがあったという患者さんもいるので、よかったら読者のみなさんも試してみてほしいと思います。
自分のmustがどういうもので、どういう過程でできあがってきたかを理解できたら、勇気を持ってそのmustに背いてみましょう。
私の場合、初めてmustに反抗した実験が印象的だったので、紹介したいと思います。それは、「今までだったら参加していたであろう、気の進まない仕事関係者の会合への誘いを断り、ささやかなやりたいこと、そのときは心惹かれていたターシャ・テューダーという絵本作家の人生を描いた映画を見にいったこと」でした。
ターシャ・テューダーは、50代の半ばにアメリカの田舎町に移り住み、自給自足の一人暮らしを始め、生涯その暮らしを続けました。そのライフスタイルはアメリカのみならず、日本でも話題となり、一部の熱心なファンを獲得しています。
その映画では、まさに自分の心のままに生きているターシャ・テューダーの生き様が描かれていました。「自然の美しさのなかで過ごす日々は、毎日がバケーションのようだ」というターシャ・テューダー。見終わったときは感動を覚え、心が温かくなりました。
その夜、眠りにつくときも、心の"ほかほか"は変わらず、充実感でいっぱいでした。それは今までの自分にはなかったもので、「この方向でいいんだ」と、確信めいた感覚がありました。
それからは、mustに背いてもいいと自信がもてたこともあって、反抗が徐々に大胆になり、自由になっていきました。
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提供元:病気の時こそ「こうあらねばならない」を手放そう|東洋経済オンライン