2021.09.16
気持ちを前向きに変える「孤独」との向き合い方|人は皆一人で生まれ、一人で死んでいくもの
ネガティブなイメージの「孤独」も考え方次第ではポジティブに(写真:polkadot/PIXTA)
人生100年時代を幸せに生きるには、「プラス思考で生きるための転換力」が重要なようです。浄土真宗本願寺派 超勝寺の住職、大來尚順さんによる連載「人生100年時代を幸せに生きる明日への一歩」。エンターテイメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けします。
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いろいろと嫌なことが重なったり、ストレスや疲れが溜まると、一人になりたいと思ってしまうことは誰にでもあるごく普通のことだと思います。
人と会うということは、気が付かないところでいろいろ気を遣ったり、意外とエネルギーを消費しているので、よほど気心の知れた人との交流ではない限り、疲れることも多いと思います。特に、他人によく気を遣う方は、その疲労も人一倍となることでしょう。
人との関係を断ち切りたい
こういうときは誰とも会わず、一人で休みたいと思うのも当然です。このような心情は、一時のことなので、時間が経てば気力も体力も回復し、一緒に心情も変わるので、また以前と同じように人と接するようになると思います。
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しかし、諸事情により、「私は貝になりたい」ではありませんが、人との関係を断ち切りたいと、孤独を強く求める方も少なからずおられるのではないでしょうか。
私のもとに相談にお越しになった方のなかには、孤独になりたいけれども、生活するうえでは孤独になりきれないこともあり、そのことにもどかしさを感じたり、孤独を求めてしまう自分を責めてしまうということを吐露された方もおられました。
このようなお悩みを持つ方もおられると思いますので、気持ちを楽にすることに役立つ考え方を紹介します。
社会の中で生きている以上、人は完全なる孤独では生きていけないというのが実情だと思います。どんなに人とかかわりを持たずに生活しようと思っても、周りを見渡すと、さまざまな日用品から利用する便利なサービスまで、すべて人の手が掛かっているものです。
実は、顔も名前も知らない方々の存在なくしては自分の生活は成立しないことに気が付くことができるのではないでしょうか。その意味では、人は完全に孤独で生きるということはできません。
しかし、人には一つだけ完全なる孤独が成り立つことがあります。それは自分の人生を歩むということです。これだけは、誰も介入できないことです。
『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』という経典に「独生 独死 独去 独来」という言葉があります。「独り生(しょう)じ独り死し、独り去り独り来(きた)る」と書き下し、これはそもそも人間とは生まれてくるのも独り、死ぬのも独りなのだということを教えてくれています。
孤独をごまかそうと楽しいふりを……
人は皆それぞれ一人で生まれ、一人で死んでいくものです。生死(しょうじ)という人生を歩むのは自分自身でしかなく、人は自分に与えられた人生を歩むということでは、本来独りぼっちなのです。
当然のことと言えば当然なのですが、それを多くの人が忘れているというのが実情ではないでしょうか。もしかすると、人はあえて気が付かないふりをし、孤独をごまかそうと何かとかこつけて、楽しいふりや充実しているふりをしているということもあるのかもしれません。
そういう意味では、孤独を望むということは、自分に正直になろうとしていると考えられないでしょうか。周りにふりまわされたり、人と比較して一喜一憂するような生き方から、孤独という、人として本来の姿に目覚めようとしているのだと思うのです。
一見、孤独を望むことは「物事に悲観的になってしまう」「周りに対して閉鎖的になってしまう」など、ネガティブに受け止められそうですが、実はその逆のポジティブな部分もあります。例えば、気持ちがむしろ楽になったり、物事が面白く感じられるようなったりすることもあります。
それは自分と正直に向き合い、人は元来孤独であると受け止めることができれば、この世の中は「虚仮(こけ)」だらけだと、気が付くことができるようになるからです。
「虚仮」とは、一般的には「思慮、内容などが浅いこと」「深みのないこと」「愚かなこと」「ばか」「まぬけ」というような意味として理解されていますが、実は仏教用語で元来「真実でないこと」「外面と内心とに相違があること」を意味します。
よく周りを見渡してみると、世の中は噓だらけではないでしょうか。今日、いろいろな情報が飛び交う世の中ですが、何が本当で嘘なのかわかりません。また中には二枚舌を使う人もおり、他人が何を考え、どう思っているのかまったくわかりません。しかし、これは他人だけではなく、自分自身にも言えることではないでしょうか。
世の中は自分も含め「真実ではない」
世の中は、自分自身も含めて「虚仮」なのです。そのような中で社会が成り立ち、また私たちもその中で生きています。そう思うと、ますます人や社会から離れたいという気持ちが強まることもあるかもしれません。しかし、この実情を本当に自覚すると、聞こえてくる噂や他人から言われたことなどに、あまり深く悩んだり、気にすることも少なくなるという現象も生まれてくると思います。
ここで大切になるのが「偽りの世の中で偽りの自分を楽しむ」という気持ちです。自分の人生を歩むことは孤独であっても、社会の中で生きていく上ではいろいろな人々と接し、ときには本心とは違う表情したり言葉を発することは不可避です。これは「虚仮の自分」ということになりますが、誰もが「虚仮の自分」をもっています。
そういう関係性で成り立っている世の中ですから、時としてそこまで真剣に考える必要もない問題や事象も多いはずです。これは孤独を求めることで得られる世界観だと思います。
人はそもそも孤独なのだと受け止めて、肩の力を抜いて、周りを少しすかして見渡すような心持ちで過ごされてみてください。きっと今後を楽に生きる手助けになると思います。
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提供元:気持ちを前向きに変える「孤独」との向き合い方|東洋経済オンライン