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2021.09.03

「死に目に会う」を重視しすぎる日本人の大誤解|亡くなる時に「一番大切なこと」はほかにある


大切な人の悲しい知らせは突然訪れるものです(写真:Graphs / PIXTA)

大切な人の悲しい知らせは突然訪れるものです(写真:Graphs / PIXTA)

もしも、自分が治らない病気とわかったとき、多くの人が、できれば楽に痛くなく過ごして、住み慣れた場所で自分らしく最期まで生きたいと思うのではないだろうか?

在宅医療の実話が本になった『ねこまんが 在宅医たんぽぽ先生物語 さいごはおうちで』の著者永井康徳氏に、「大切な人の『亡くなる瞬間に立ち会う』よりも重要なこと」について語ってもらった。

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「死に目に会えない=不幸」という思い込み

現在の日本では、多くの人が「大切な人の『死に目』に会う」ことが大切だと思っています。「大切な人の死に目に会えない」ことは不幸なことなのでしょうか?

実は「思い込み」が、逆に人を不幸にしているのかもしれないと私は感じています。この思い込みのために、ご家族は患者さんから片時も離れずに見守り、息を引き取る瞬間を見届けようと頑張ってしまいます。このために、自宅での看取りはできないと諦めるご家族もいるくらいです。

私は、「亡くなる時に一番大切なのは、その瞬間を見届けることではなく、本人が楽に逝けること」だと思うのです。

このことは講演会や研修などで折りに触れてお話しするのですが、ある講義で、参加していた研修医の目から涙があふれて止まらなかったことがありました。彼女の涙の理由は、講義の感想として次のように記されていました。

「私が医学部の学生のときに、父が末期がんになり、在宅で闘病していました。ある日、学校の図書館で勉強していると、母から『父の様子がおかしい!すぐに帰ってきて!』と電話があり、急いで家に戻りましたが、父はすでに亡くなっていました」

「永井先生の講義を聞いて、『亡くなる瞬間に誰かがみていなくていい』という言葉にハッとしました。私自身、そばにいてあげられなかったことをずっと引きずっていたのです」

「永井先生の言葉を聞いて、本当にそう思ったし、とても気持ちが楽になりました。『亡くなる瞬間はみていなくてもいい』という言葉は、家族の気持ちを楽にする言葉ですね。これから、看取りの際に必ずご家族にお話しします。悩み続けるご家族に『これでよかったんですよ』と声かけできるような、一緒に考えて納得のいく医療を提供できる医師になりたいと思いました」

私は、死を間近にした患者さんにとって、亡くなる瞬間に立ち会うことよりも、「穏やかに楽に逝けること」がもっとも大切だと思うのです。こうした考え方が広まれば日本の看取りの文化が変わり、自宅での看取りが増えていくのではないかと考えています。

看取りの「質」が重視される時代に

戦後、日本の医療は、早期に病気を見つけ、診断して治療することを目的に発展してきました。そして多くの人がその恩恵を十分受けてきました。
しかし、超高齢社会を迎えた日本では、「長生き」を目指す医療から、「いつか亡くなるその時までどう過ごしたいか」という、看取りの質を高める医療が求められていく、私はそう感じています。

病院で過ごすのか自宅で過ごすのか、治療方針をどうするかなど、選択に迷った時、患者さんご本人が意思決定できる状態であれば、私はこう尋ねます。「一分一秒でも長く生きるために、これからできる限りの治療を受けたいですか?」それとも「しんどい治療よりも心身が楽になることを優先し、穏やかに過ごしたいですか?」と。

前者であれば病院で治療を受け続けた方がいいかもしれませんし、後者ならば自宅や施設で積極的な治療を行わない自然な看取りという選択もあるでしょう。その人にとっての最善の選択は一人一人異なり、正解は、最期のそのときまで誰にも分かりません。

ただ、患者さんやご家族が、「その選択でよかった」と言えるよう、医療者も一緒に悩んで話し合います。私はこの悩む「過程」が在宅医療でとても重要だと思っています。

ところが、私たちは死に向き合う機会を持てていないように思います。私も自身が進行がんになったとき、初めて“死”を意識しました。これは日本の医療が「治すこと」を追求して発展してきたことが大きく影響しているように感じています。

「治すこと」を目指すが故に、病院では「自然のままに看取る」という選択肢を提示されることがほとんどありません。

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生まれることと死ぬことは、どちらも「人としての尊い自然な営み」です。最期の時が近づいたとき、どうすれば楽に逝けるのかを知っている人の体は、「死」の準備を始めます。それは植物も同じで、時期がくると自然に枯れます。

人も同じで、最期の時が近づくと、体が求めるままにうとうとと眠り、食べたいものを食べたいだけ口にします。食べられなくなったときは、無理に食べなくてもかまいません。それは、体が楽に逝くために体内の水分をできるだけ減らそうとしているのです。

もちろん、治せる病気には治療が必要です。しかし、老化や治らない病気でやがて訪れようとしている死と向き合わず、患者さんにとってつらい治療を続けるのは、患者さんにとってどうなのでしょうか。そこには「生き続けてほしい」という家族の思いと、「何もしないのは医療の敗北だ」と考える医療者の意識、両方があるように感じています。

「病院で最期」が世界一の日本人

数十年前までの日本では、家族を家で看取るのは自然なことでした。ところが、今の日本では8割以上の人が病院で亡くなっています。この割合は世界でも高く、病院で最期を迎える人の割合は日本が圧倒的に世界一です。

病院での看取りが常識となっている今の日本では、家族を自宅で看取った経験のある方はそれほど多くはないでしょう。本人や家族が家で最期を迎えたいと希望しても、実際にできるのか不安になる方もいるでしょう。家で看取るためには、まず、患者さんとご家族が医療者を交えて納得するまで話し合うことが大切です。

大切な人を亡くした後で、「家で穏やかに自然に見送る方法があったのだ」ということを知って後悔しないためにも、在宅医療という選択もあることを一人でも多くの方に知っていただきたいと願ってやみません。

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提供元:「死に目に会う」を重視しすぎる日本人の大誤解|東洋経済オンライン

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