2021.07.08
「ステージ4のがん」45歳男性が若者に伝えたい事|中学生に語りかける「未来は変えられる」
「がん授業」を行う志賀俊彦さんの生き方とは?(写真:筆者提供)
国立がん研究センターの統計によると、2016年にがんと診断された約100万人中、20歳から64歳の就労世代は約26万人。全体の約3割だ。
だが、治療しながら働く人の声を聞く機会は少ない。仕事や生活上でどんな悩みがあるのか。子どもがいるがん経験者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ」の協力を得て取材した。
約20年前にステージ4のがんで切除手術を受けて回復。約3年前からは闘病経験を子どもたちに語ったり、がん仲間たちと社会に情報発信したりする活動を続けている、建設会社勤務の志賀俊彦さん(45)のケースを取り上げる。
「キャンサーペアレンツ」 ※外部サイトに遷移します
この記事の画像を見る(5枚) ※外部サイトに遷移します
生徒も先生も間違える「がん授業」での問題
「次の質問です。がんになった人の5年後の相対生存率は、次のうちでどれが正しいと思いますか? ①10% ②30% ③60% ④90%」
志賀さんが尋ねると、中学1年生の全31人の手がもっとも多く上がったのは②。だが、正解は③の60%で、正解者は1人だった。
「最新のデータでは、5年後の相対生存率は64%に伸びています」
志賀さんが補足すると、生徒たちからヘェ〜ッという声が上がる。2021年3月中旬、茨城県稲敷市立桜川中学校。志賀さんは任意団体「茨城がん体験談スピーカーバンク(スピーカーバンク)」代表として、当日の授業を担当していた。
茨城県稲敷市立桜川中学校で生徒たちに授業をする志賀さん(写真:筆者提供)
続いて先生たちにも質問を向ける。
「がんと診断される患者さんたちの中で、18歳未満の子どもがいる人は年間何人ぐらいいると思いますか?」
志賀さんがそう言って右手を差し出すと、その先にいた男性教員が自信なさげに「1000人程度?」と回答。すかさず「毎年ごとに5万6000人ぐらいです」と志賀さん。今度は教室全体からホ〜ッという声が漏れる。
生徒も先生も間違える「がん授業」がテンポよく進んでいく。
「ちなみに私は45歳で、中学1年の娘と小学2年の息子がいます。みなさんの同級生のお父ちゃんが、しゃべりに来た感覚で聞いてもらえるとうれしいです」
そう話すと志賀さんは柔和な顔の両頬をさらにゆるめた。
志賀さんが肝臓がんの告知を受けたのは、旅行代理店に入社して3年目の25歳。営業マンとして平日は終電まで働き、週末はツアー添乗員として全国を飛び回っていた2001年ごろのことだ。大きな仕事を任せられることも増え、仕事が楽しくなり始めていた矢先だった。
「ある日の残業中に刺すような腹痛に襲われて、翌朝に地元の病院に行くと即入院と言われました。私は胃潰瘍かなと思ったのですが、主治医には肝臓の病気と診断され、10日後に大学病院に転院させられたんです」(志賀さん)
20年前は本人への「告知」の仕方も違っていた
実は、最初の病院で志賀さんの両親は「肝臓がん」と知らされていた。だが、両親が「息子には伏せてほしい」と要望し、志賀さん自身は正確な病名も知らないままでの転院だった。本人への告知が大前提の今と20年前では、がんをめぐる状況はそれほど違っていた。
この連載の一覧はこちら ※外部サイトに遷移します
後日、正確な病名を知ると、実家暮らしだった志賀さんは「親より先に死ぬことは最大の親不孝」と、申し訳ない気持ちに苦しんだ。
「ステージ4と聞いて、人生終わったとも思いました。1階にある診察室から11階の病室まで、どう戻ったのかの記憶もありません。その日は一晩中泣いて、どうすれば治るのかに気持ちを切り替え、まずは自分の体に何が起きているのかを正確に知ろうと、先生や看護師さんに質問をしまくりました」(志賀さん)
切除手術と抗がん剤治療を行なったが、翌年に再発。当時は試験段階だった陽子線治療(体表面の正常組織を迂回して、深部のがん組織だけにダメージを与えられる特殊な放射線治療の一種)が効いて、病後19年目の今を無事に過ごしている。
当日の授業でも、志賀さんは当時の絶望を生徒たちに率直に語った。ただ1点、がんの告知を受けた際の気持ちを「(両親に対して)取り返しがつかないことをしてしまった」と書いたスライドの右下隅に、「人生オワタ\(^0^)/」の手書きマークまでちゃっかり加筆していて、生徒数名の忍び笑いを誘ってもいた。もしや大阪人?(いいえ、生まれは神奈川で、12歳から茨城県人)
スピーカーバンクの活動報告(写真:志賀さん提供
がん体験を語るスピーカーバンクの代表を、志賀さんに引き継いだ河口雅弘・同顧問(76)は、彼の人柄をこう語った。
「まじめで温厚。今まで怒った顔は見たことがなく、つねにニコニコしていますね。営業マンらしく人脈作りがうまいが、かといって、長いものに巻かれるタイプでもなく、相手が誰であれ筋はきちんと通す人。代表になった途端に独断専行になる人もいますが、彼はどんなことでも私に事前に相談してくれますよ」
河口さんから団体の代表を任せたいと相談されると、志賀さんは二つ返事で快諾。活動に力を入れるため、当時の会社も辞めると即決し、河口さんを大いに慌てさせた。実際に約3カ月の無職期間を経て、現在の建設会社に入社している。
「小さい子どもさんも2人いるし、代表になっても家計の足しには全然ならない。せめて転職先を決めてからと私は止めたんですけどね……」(河口さん)
そんな向こう見ずな一面も志賀さんにはある。スピーカーバンクは現在、20代から70代まで男女約30人の語り手がいる。
志賀さんのスピーカーバンク活動への思い
志賀さんが発症した当時で調べると、25歳から29歳までで肝臓がんになった人は5年間で、全国でわずか5人だったという。
「そんな貴重な経験をしたのなら生かさないといけないと思い、実は患者会の活動を始めようと当時も考えたんです。しかし、20年前は乳がんの患者会しかなくてね、今みたいにSNSやツイッターもなくて、いったん諦めました」
その後、子どもがいるがん経験者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ(CP)」を立ち上げた故・西口洋平代表や、志賀さんの地元の茨城でスピーカーバンクを始めた河口さんらの活動に触発され、両方の活動に加わった。
「スピーカーバンクの活動で言えば、自分の経験が生かされ、伝える子どもたちのためにもなり、経験者の生の声を伝えることは社会のためにもなる。いわば『三方よし』なんですよ」
仕事と父親としての役割以外に、面識さえない児童や生徒、さらには社会をも視野に入れて考え、行動できる志賀さんはうれしそうな顔で強調した。
がん授業後半、志賀さんは病気になったことは仕方ない、と前置きして続けた。「過去は変えられないけれど、現在の行動で、未来は変えられると考えるようになりました」と。
志賀さんが取ってきた未来を変える行動
まず、前出のがん患者サイトの会員になり、病気から子育てまでの情報交換や、オフ会にも積極的に参加。志賀さんの表現を借りれば、「がん友」を飛躍的に増やし、同会員としてNHK-BSのテレビ番組にも実名で出演した。
今も続けているスイミング(写真:志賀さん提供)
心身の健康を取り戻すためにスポーツへの苦手意識も大転換した。現在中学1年の長女が小学校入学時に通い始めたスイミングクラブに、自分も一緒に入会。水泳は今も続けている。
2013年からは水泳のジャパンマスターズ大会に毎年出場中(昨年度はコロナ禍で中止で、今年は開催予定)。同大会は各年代ごとの8位入賞以外に、10年連続出場でもメダルがもらえる。
「私は後者狙いで長く、緩く続けることが目標です。がんにならなければ、今頃は確実に中年太りのメタボおじさんだったでしょうね」(志賀さん)
全国各地で開催されるマスターズ大会参加時は、家族旅行も兼ねてきた。
2018年から始めたがん授業は通算約50回を数え、有給休暇が足りなくなると授業を優先して、給与を減らすことさえ時々ある。小・中・高校はもちろん、志賀さんは茨城県立医療大学看護学科や、筑波大学医学群にも出かけている。
茨城はがん教育先進県で、小中学校における授業実施率がほぼ100%。全国の小中高校の平均実施率は61.9%にすぎないのに、だ(2018年度の文部科学省調査)。志賀さんらが県と協力し、早くから地道な活動に取り組んできたためだ。
一方、がんの手術後に腸閉塞(腸がつまること)を起こして治療してから、志賀さんは便意を催すと我慢できなくなった。腸が過敏になりすぎたり、開腹手術の際に腸がねじれたりしたせいかもしれないという。以降、がん授業などの前には外食を控えている。
これまでと一線を画す志賀さんの授業
桜川中学校でのがん授業は、病気のイメージの誤りをデータに基づいて正し、彼ががん友たちと出会い、病前よりも前向きに自分らしく生きてきた軌跡を、生徒たちと目の高さを同じにして差し出すような42分間だった。
桜川中学校での授業は、朝日新聞でも紹介された(写真提供:志賀さん)
授業後、鈴木浩二校長(60)は、予防の観点からがんの怖さを強調しがちだった従来のものと、志賀さんの内容は一線を画すものだと称賛した。
「子供たちに科学的で正確な知識を与えつつ、がんになった方や家族への共感をも育むものでした。一方で病後に取り組まれた水泳や、がん友の皆さんとの人間関係の広がりなど、いい意味で生徒たちを驚かせる面もありました。今後のがん授業も、今回の方向性を大切にしていきたいと思います」
校長室で授業の感想を聞いた1人の女子生徒は、志賀さんが病名を告知された際の神妙なスライドに書き足した「人生オワタ\(^0^)/」マークを見て、「深刻な場面だった分、面白かった」と笑顔を見せた。志賀さんは「ウチの娘には『バカじゃないの!』とディスられたのに……」と、右腕を目の前にかざして泣きまねポーズを見せ、渾身のギャグの成功を子どもみたいに喜んだ(志賀さんの母校で、彼の娘さんが現在通う中学校でもがん授業が予定されている)。
もう1人の女子生徒は、「私も志賀さんのように過去は変えられなくても、現在の行動で、未来は変えられるように頑張りたいと思いました」と言い、口を真一文字に固く結んだ。がんをテーマにしながら、彼が最も伝えたかった思春期真っただ中の生徒たちへのエールを、彼女はしっかりと受け取ってくれていた。
【あわせて読みたい】※外部サイトに遷移します
提供元:「ステージ4のがん」45歳男性が若者に伝えたい事|東洋経済オンライン