2021.06.04
50歳で「田舎に移住」1年後に気づいた3つのこと|銀座の職場を捨て三重の寒村に移り住んだ本音
50歳で田舎に移住した男性が気がついたこととは(写真:ぱりろく/PIXTA)
湘南の自宅から銀座への通勤生活をやめて、コンビニもラーメン屋もない三重の山間部に移住して1年あまり。そこは、都会の喧騒とは打って変わって、マイナスイオンに満ちた深山の真っ只中。シカやサル、タヌキなどの動物のほうが人間よりも幅を利かせている。四季を体験して、1年間の田舎暮らしを通じて感じた3つの「気づき」を考えてみた。
都会の価値観が通じない田舎の暮らし
日本は「アナザー・プラネット」。中東に約10年間暮らした筆者に、現地の友人がよく言ったものである。日本人のお前は、中東とは価値観も、人々の生き方も生活の水準や様式も、大きく異なる「惑星」からやってきたのだから、中東の人々や現地の文化や情勢を理解するためには、そんな視点で見なければいけないというアドバイスだった。
1年間の田舎暮らしを一言で表現するなら、「田舎はアナザー・プラネット」ということになるだろうか。それは都会での生き方や価値観が通用しない異世界だから。
筆者はもともと料理好きで、将来は料理人になりたいと漠然と思っていた。男は料理もできなければならないという母親の方針もあった。だが、大学に行ってから料理人になっても遅くないだろうし、人生の選択肢も増えるのではないかという両親のアドバイスを受け、大学に進学。
卒業後は、通信社の記者として新卒採用され、そのまま地方や海外の支局勤務を経験して21年間のサラリーマン生活を送った。なんとなく世の中に敷かれたレールの上を走り続けてきた。そんな生活から会社を辞めて一転、田舎に飛び込んだ。
都会でのレールに乗った人生は、安心感もあったが、上司や会社に人事権を握られ、会社の一存で、働く場所が決まっていくのは、なにか自分の人生を生きていないという感覚がつきまとった。
そんな生き方を続けて定年を迎え、死期が迫った時、後悔しないだろうかと考え、たどり着いたのが、一度は本当に体力のあるうちに自分の人生であると言い切れるような生き方をしてみたいという結論だった。
専門知識を身につけて研究職に就こうか、起業しようか、それとも田舎に行って自分のやりたいことをやり尽くそうかと思い描いた。結局、防衛省や財団法人研究所への就職に失敗し、起業という決断もできずに、自然と田舎暮らしが始まった。50歳という年齢で、人から見れば、随分と早くに社会を捨てて田舎に隠居する形になった。
会社や組織に属さず、肩書を失った田舎生活は、まさにアイデンティティー・クライシスである。勤め人として家庭の生活費を稼ぎ、描かれた会社のキャリアを着実にステップアップしていき、もはや死語となってしまった感があるものの、「社会の木鐸」として世の中に情報を提供するという使命がなくなった田舎での生活は、自身のレイゾンデートルを失ったのにも等しかった。
50歳といえば、社会人としては一番脂の乗った時期で、会社では部長などの役職として活躍する年代。家族を持ち、会社に勤め、休日や休暇をストレス解消のレジャーで過ごす。そんな生活や人生の方程式が、田舎生活をスタートさせたことで一気に崩れ去った。
精神面の安定をどう図るかも課題に
自らの頭で考えずに、世の中の価値観に基づいて、漫然と生きてきたのかを痛感させられた。肩書も収入源も失った生活になった今、心の拠り所をどう確保するのか。田舎生活への転換に際して、収入や肩書の喪失という即物的な変化への対応も重要だが、精神面の安定をどう確保していくかも課題となった。
田舎生活は、会社から仕事や使命を与えられるわけでも、都会のように世の中の価値観を判断材料にして、自らの生活を描いていくことができない。自分で人生をデザインしていかなければならない。そんな創造性が求められる作業だと思う。
収入や生きる糧といった実質的な問題は、ある程度の体力があれば、クリアできるだろう。同じ集落には、筆者が執筆して「生活費8000円」で話題になった独身男性(40代男性「生活費8000円」田舎暮らしで得た快感)が住んでいる。ここまでストイックに生活費を切り詰める必要はないものの、田舎生活は、自給自足的な菜園づくりや山野草の採取により、生活費は都会生活と比べて格段に安い。
農林業の手伝いもある。体力があるので、地元の人から体力仕事をよく頼まれる。料理が趣味でもある筆者の場合、野菜を育てたり、山野草を採取したり、魚を釣ったりするのは趣味の領域。そんな得意技を生かしながら、ほとんどお金をかけずに食べ物を得ている。逆に、自動車を運転して街に買い物に行く方が億劫だ。特に新型コロナウイルスの感染拡大もあり、人混みにわざわざ出掛けることもない。
世捨て人にならずに田舎生活での精神面での安定をどう図っていくのか。筆者の場合、今もかつて勤めていた会社に定期的に原稿を送ったり、複数の媒体に連載を抱えたりして、なんとなく社会に帰属している感覚を失わないよう心掛けている。
40代男性「生活費8000円」田舎暮らしで得た快感 ※外部サイトに遷移します
退職することで会社という組織の人事競争から降りてしまったが、そこで培ったスキルや築いた人脈などの財産を生かす形で、フリーでのキャリア形成につなげている。インターネットが発達した現在、世界は小さくなり、中東の友人らとのコミュニケーションは、都会にいようが田舎にいようが変わらない。
今は、コロナ禍で活動停止状態ではあるものの、中東料理研究家を自称し、中東地域で約10年間過ごした経験を生かして、中東の食文化を紹介する中東料理会や中東料理教室を開催している。田舎暮らしへの転換は、人生の舵を大胆に切ることも大切だが、長年培ってきたものを活用したり、さらに発展させたりする継続性も重要な要素になるのではないだろうか。
ただ、まだまだ世俗の煩悩から解放されていない。友人や会社の元同僚らは、役職に就いて現場でバリバリ活躍中だ。大学院時代の友人らは博士号を取得したり、国際機関で働いたりと、世界を股にかけて活躍している。50代の脂が乗った年代に、田舎暮らしにうつつを抜かしていていいのかという迷いは、なかなか消えない。
45歳で退職した後、数百万円を使ってロンドンの大学院に留学した際、妻には「数千万円稼ぐようになって投資した金額は将来、必ずかえってくるから」と説得したが、月の稼ぎが10万円に満たない今、「あの言葉はどこに言ったの」と軽口を叩かれると、ついつい頭に血がのぼってしまう。
生活は楽しく、ストレスはほとんどない。が、今のままでいいのだろうかという自問が、心の底でわだかまっているというのが正直なところであろう。田舎暮らしに、都会暮らしのような華やかさを添える「何か」が必要だと思う。
田舎暮らしは、人間関係や寄り合いへの出席など、何かとわずらわしという印象がある。実際、そうした面もあるだろう。筆者が住む集落の場合、自治会の規約には、空き地に雑草を生やしてはいけないとあり、定期的な雑草刈りも仕事の1つ。集落自治会の会合が年に3回、祭りや宗教的な行事が2回はある。出席は義務である。それらをわずらわしいと感じるか、酒を飲みながら地元の人たちと歓談できる楽しい機会と感じるか、人それぞれだろう。
会合には、家族の者が1人参加すればよく、筆者の場合、パートナーと分担し合っている。田舎では、男性が大黒柱として、負担を一手に引き受ける傾向がある。こうした負担は分かち合い、軽減すればよいのではないか。
田舎には、しがらみも多い。多くの人たちが親戚同士だったり、長年の狭い地域での生活で蓄積してしまった諍いや利害対立から人間関係がこじれてしまい、口もきかない状態が長年にわたって続いていたりする。会社員時代にも、田舎生活の大変さは、田舎出身の同僚や先輩から嫌というほど、聞かされた。
田舎暮らしは、人間関係や寄り合いへの出席など、何かとわずらわしという印象がある。実際、そうした面もあるだろう。筆者が住む集落の場合、自治会の規約には、空き地に雑草を生やしてはいけないとあり、定期的な雑草刈りも仕事の1つ。集落自治会の会合が年に3回、祭りや宗教的な行事が2回はある。出席は義務である。それらをわずらわしいと感じるか、酒を飲みながら地元の人たちと歓談できる楽しい機会と感じるか、人それぞれだろう。
会合には、家族の者が1人参加すればよく、筆者の場合、パートナーと分担し合っている。田舎では、男性が大黒柱として、負担を一手に引き受ける傾向がある。こうした負担は分かち合い、軽減すればよいのではないか。
田舎には、しがらみも多い。多くの人たちが親戚同士だったり、長年の狭い地域での生活で蓄積してしまった諍いや利害対立から人間関係がこじれてしまい、口もきかない状態が長年にわたって続いていたりする。会社員時代にも、田舎生活の大変さは、田舎出身の同僚や先輩から嫌というほど、聞かされた。
だが、移住者として、聞いていたものと少し違う。田舎に来て、軽トラを買うことになり、地元で親しくなった人に相談したところ、「君は、しがらみがないから自由にあちこち見積もりを出してもらったらいいよ。俺たちは、長年の関係もあって、そうはいかないからね」という答えが返ってきた。
田舎では、人間的なつながりで何事も成り立っている。モノを買うにしても安いか、高いかという判断よりも、人間関係が重要な判断材料になったりする。その点、移住者は、親戚関係や長年の間に構築された人間関係に縛られる必要性はない。物事をシンプルに決められるメリットがある。田舎生活はしがらみが大変というのは、移住者にはあまり当てはまらない気がする。
自宅の修理を頼んだある職人がつぶやいた印象的な言葉もあった。「一度は都会で生活してみたかったなあ」。田舎で暮らす人たちは、家を継がなければならなかったり、都会に出る機会を逸してしまったりして、不承不承、田舎での生活を続けている人も多い。同じことをするにしても、自ら選択したものと、それしか選択できなかったものとでは、受け取る印象は違うだろう。
田舎生活では、都会生活を捨てて田舎に隠遁したというのではなく、広い土地がある田舎に新天地を求めた開拓者精神を維持することも、田舎暮らしを生き生きと送る秘訣になるのではないか。
筆者の場合、銀座という大都会のビルで働き、酸いも甘いも味わってきた。国際ニュースの現場で働くのはやりがいがあったし、同僚との銀座での飲み会は楽しかった。でも、夜勤や2時間近い通勤の労苦、人事への不満など、サラリーマン人生はいいことばかりではない。
そんな中でも、憧れていた海外勤務や地方勤務を経験し、あちこちで暮らす体験を与えられた。世界各地で見た理想的と感じた暮らし、例えば、豊かな自然環境の中にある自宅の菜園で、食材を収穫して調理するという幸せは、田舎という環境なら思う存分に実現できる。あるゆるものを体験した上で、望んで選択した生活は、多少の不満があったとしても、我慢できるものになるだろう。
生きるとはシンプルだった
田舎での生活は、畑仕事や古民家のDIY的な改修、薪ストーブや五右衛門風呂の薪の確保が中心のシンプルなもの。菜園からの採りたて野菜は美味しいので、料理の味付けも塩胡椒や醤油だけ。それに自宅で飼育している烏骨鶏の卵。朝食には納豆。朝起きて畑仕事をして、薪割りをして、気づくと夕食の時間になっているというのもしばしば。
今は、自宅近くに畑を借りて、サルやハクビシン、アナグマよけの獣害防止の檻の設置作業を進めており、これに多くの時間を取られている。その前には、冬の寒さが厳しかったので、断熱効果のアップを狙った自宅の改修や薪ストーブの設置作業に追われていた。早朝から体を動かし、五右衛門風呂に入って夕食を済ませ、夜8時には床に入ることも。
自宅には新聞もテレビもないので、インターネットを見ない限り、必要のない情報は入ってこない。田舎生活での関心事は、農作業や屋外の作業に大切な天気予報やシカの侵入やサルの襲撃など獣害の動向。どんな野菜を植えつけなければならないかといった農事暦にまつわるあれこれ。
春には、サヤインゲンが沢山収穫できたので、それを毎朝食べていた。食事も非常にシンプルになった。時には、ラーメンなんかが食べたくなるので、街に買い物に行ったついでに食べるぐらい。それ以外に、わざわざ食べるために街に降りるのは面倒なので、外食をする機会は、ほとんどなくなった。
時間的なゆとりから来る金銭的なメリットも少なくない。スーパーへの買い出しは、人が少ない朝の開店と同時に行くことにしている。この時間帯は、前日に売れ残った商品が半額になっていることが多い。
納豆や豆腐、油揚げなどの定番商品を買うだけだが、ほとんど半額に値下げされている商品を買ってくるので、食費も極端に低く抑えられている。水道も井戸でポンプを回すごくわずかの電気代だけで水道光熱費も安い。暖房や風呂は薪なので、コストと言えるものは自分の労働力だけ。それも労働とはとらえておらず、都会で言えば、ストレス解消や体力づくりにスポーツジムに行くようなもの。
月の生活費は5万円以内に落ち着きそう
支出自体が少なく、その機会も少ないので、金銭問題を考えることも少なくなった。今は、自宅の改修や畑の獣害防止対策で支出がかさみ、月のカード支払いは10万円を超すものの、これらが一段落すれば、月の生活費は5万円以内に落ち着きそうだ。
都会生活では、仕事の悩みや人間関係、金銭の問題に頭を悩ませたが、田舎生活ではそうした問題はほとんどなくなった。その代わり、植物や野菜の美しさや不思議を考えたり、趣味と実益を兼ねた釣りを探求したりすることに時間を使っている。
体を動かして食べて疲れ果てたら寝るというのが生活の基本。これではあまりにシンプルすぎるので、たまに難解な世界情勢について原稿を書くのは、いい頭の体操になっている。人間、シンプルすぎても、なにか物足りなさを感じるのだろうか。
都会での生活を振り返ってみると、多くの物事がシステム化されて金銭を介在し、金で買えるものが多い反面、それらに縛られてしまい、かえって生活や人生が複雑化していたと感じる。情報やモノに振り回されることも多かった。
田舎の人たちは、天候や農業、野生動物など自然と向き合い、本物の暮らしを営んでいる人が多い。そこでの暮らしは、人類の歴史の中で当たり前だった非常にシンプルな生き方だ。
田舎に飛び込む前に伝え聞いていた煩わしい人間関係といったネガティブな要素は、移住者の立場で見れば、今のところ杞憂に終わっている。何事もやってみないとわからない。田舎暮らしに憧れている人はぜひ、始めてみることをお勧めしたい。
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提供元:50歳で「田舎に移住」1年後に気づいた3つのこと|東洋経済オンライン