2021.02.22
東大研究者が発見した「老化細胞」除去薬の衝撃|100歳まで健康に生きることが「自然」な時代へ
「老いなき世界」を社会はどう迎え、ビジネスはどうシフトし、私たちはどう生きるべきか。薬剤によって老化細胞を死滅させることで老化現象が改善することを発表した、中西真(東京大学医科学研究所)教授に語ってもらった(写真:筆者提供)
もしいくつになっても若い体や心のままで生きることが可能となったら、社会、ビジネス、あなたの人生はどう変わるのだろうか?
ハーバード大学医学大学院の教授で、老化研究の第一人者であるデビッド・A・シンクレア氏の全米ベストセラー『LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界』では、人類が「老いない身体」を手に入れる未来がすぐそこに迫っていることが示され話題となっているが、日本でも、老化研究に関する大きなニュースが飛び込んできた。
2021年1月15日、東京大学医科学研究所の中西真教授らのグループが、老齢のマウスに「老化細胞」だけを死滅させる薬剤を投与し、加齢に伴う体の衰えや生活習慣病などを改善することに成功したと米科学誌『サイエンス』に発表したのだ。老化研究はどこまで進化しているのか。中西氏に話を聞いた。
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老化の原因「老化細胞」除去とは
――老齢のマウスの「老化細胞」を特異的に死滅させる薬剤を発見されましたが、この「老化細胞」の除去とはどういったことでしょうか。
「老化細胞」とは、ストレスによってダメージを受けるなどして、増殖できなくなってしまった細胞のことです。
『LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界』
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60年ほど前、アメリカのヘイフリック博士が、正常なヒトの細胞を試験管の中で培養していくと、一定の分裂回数のうちに増殖を停止して、二度と増殖できなくなるステージに入ることを発見しました。この状態になってしまった細胞を「老化細胞」といいます。
細胞は、つねにさまざまなストレスにさらされており、ストレス過多になった場合、遺伝子に傷が入ったり、タンパク質がダメージを受けるなどします。軽微なダメージなら、細胞は修復して生き続けることができますが、修復不可能な損傷の場合、細胞そのものを殺すか、細胞の老化を誘導し、異常な細胞を蓄積させない仕組みが働きます。その結果、細胞は増殖することができない老化細胞となってしまいます。
そして、この老化細胞が、臓器組織の機能低下や老年病などの発症を誘発するというのが最も基本的な「老化のメカニズム」の1つです。
これまでの研究では、老化細胞を除去することでさまざまな老化現象が改善することはわかっていました。しかし、組織や臓器により老化細胞は性質が異なるため、それらどんなタイプの老化細胞にも効く薬剤の開発には至っていませんでした。
われわれ研究チームは、老化細胞の生存に必須な遺伝子を探し、それが「GLS1」という遺伝子であることを突き止めました。さらに、老化細胞は、リソソームと呼ばれる細胞内小器官の膜に傷ができ、細胞全体が酸性に傾くが、「GLS1」が過剰に働くことで中和され、死滅しないまま細胞を維持することも明らかにしました。
そこで、この遺伝子「GLS1」の働きを止める薬剤を投与したところ、老化細胞が除去され、老化に伴う体力の衰えや生活習慣病が改善することを証明しました。
老化は「常識」から「サイエンス」になった
老化研究が注目されるようになったのは、ごく最近のことです。僕は、いまから30年前、アメリカに留学していた頃に細胞老化という現象に興味を持ち、それ以来ずっと研究を続けていますが、当初はほとんど注目されておらず、現象論ばかりで分子機構も明らかにされていない時代でした。
中西 真(なかにし まこと)/東京大学医科学研究所がん防御シグナル分野教授。名古屋市立大学医学部医学科卒業、名古屋市立大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。自治医科大学医学部助手、米国ベイラー医科大学留学、名古屋市立大学大学院医学研究科基礎医科学講座細胞生物学分野教授を経て、2016年4月より現職(写真:筆者提供)
当時盛んだったのは、細胞周期に関する研究です。2001年には細胞周期の制御因子を発見した研究者がノーベル賞をとり、僕もその波に乗って細胞周期の研究に取り組みつつ、ほそぼそと細胞老化の研究も並行してきました。
老化研究のいちばん難しいところは、とにかく時間がかかるということです。例えば、一口に「カメの寿命にともなう死亡率の研究」と言っても、カメは100年以上生きますからね。高齢マウスの研究でも、2~3年はかかります。たかだか20~30年の研究者人生の中でできることには限りがあるのです。
社会にとっては非常に必要な研究だけれど、何十年もなんの結果も出さずにいることは、許してもらえませんからね。
そんな老化研究全体の空気が変わったのは、この数年です。まず、2014年に科学誌『ネイチャー』で、老化の過程は生物種によってかなり異なるということが報告されました。ヒトは、老化による機能低下などで寿命を迎えますが、生物種のなかには、老化そのものが寿命を規定していないものがたくさんいるというのです。
また、2016年には、同誌に、ヒトの最大寿命は120歳であるという報告も掲載されました。それまでなんとなく「年とともに老いて、長くても120歳ぐらいで死ぬものなんだろう」と思われていたことが、サイエンスとして一流の科学誌に取り上げられたわけです。
老化現象というものが、一般常識の範疇から、サイエンティフィックに非常に面白い対象なのだと認識されることになり、多くの研究者が参入するきっかけになりました。
とくに、生物種によって老化の過程が異なるというのは、非常に面白い話です。
ヒトは、加齢に伴って死亡率が急激に増加する典型的な生物ですが、ある種のカメやワニなどには、そのような現象が起きません。もちろん、ある決まった寿命で死ぬのですが、年をとっても、人間でいう白髪が出たり老けたりという、老化の表現型が出ないのです。
つまり、20歳の死亡率と70歳の死亡率が変わらない。「ピンピンコロリ」の一生を送るすごい生物がたくさんいるということです。
興味深いのは、ゾウです。ゾウは、ストレスが加わったときに、自らの体内で老化細胞になる前に傷ついた細胞を死滅させてしまうと言われています。われわれが開発したような薬を飲まなくとも、もともとそういうシステムを体内に持っているわけですね。
ゾウにはがんがないというのも有名な話です。がん細胞のような悪い細胞をすぐに死滅させてしまうからです。がんのあるゾウを探すのは、非常に難しいと言われるほどです。
悪い細胞を体内に残しておくから病気になるわけですが、ただ、生態系全体として見ると、ヒトは、老化細胞を残しておくことに、個体としてなんらかのメリットがあり、それが進化の過程で有利に働いているという部分もあるのかもしれません。
老化によって臓器組織の機能が低下し、老年病を引き起こすなどして健康寿命を決めているメカニズムと、生物種の最大寿命そのものを決めているメカニズムはまったく次元が違うはずです。
老化研究は、まだまだわからないことが多く、あくまでもわれわれ自身である「ヒトの老化」という範疇から出ていません。今後ますます俯瞰的に理解していくことで、より研究が深まっていくでしょう。
ヒトへの実用化までのハードル
老化改善の薬は、これからヒトへの実用化に向かっていきますが、まだまだハードルがあります。
ひとつは、本当にその薬に副作用がないか、もっと効果的な薬はないかという短期的なハードル。そしてもうひとつは、まだ個体の老化はすべてが解明されていないという長期的なハードルです。
われわれの研究もそうですが、これまでは、培養された細胞を使った研究ばかりで、個体の中での研究はほとんど行われていません。老化細胞が、個体の中で加齢や老年病の発症に関わっているのは確かですが、現実には、個体の中はまだブラックボックスなのです。個体のいったいどこに老化細胞が蓄積しているのか。それがどのような機能や性質を持ち、どう作用しているのかはわかっていません。
これからは個体の中での老化細胞の働きを解明する必要がありますし、そのような研究が進めば、もっと優れた標的や、もっと優れた治療法が見つかるだろうと僕は信じています。
――日本人は世界的にも長寿ですが、ほかの国の人々に比べてどのような要因が考えられるのですか。
ひとつは、日本人の食生活が大きく影響していると考えられます。日本人は、アルコールの摂取量も世界的に見れば少ない人種です。
もうひとつは、日本人には、肥満など特殊な体質が非常に少ないことです。もちろん日本人にも肥満体質の方はいらっしゃいますが、欧米人に比べるとかなりその程度は軽いと思います。
アルコール摂取量が多かったり、生活習慣が原因で肥満が起きたりする環境では、それが細胞に対するストレスになり、老化細胞が増えやすいということは十分に予測できます。日本人の普通の食生活や生活習慣が、欧米人に比べればストレスを受けにくいということですね。
人種にかかわらずヒトの最大寿命は決まっています。世界一の長寿とされたジャンヌ・カルマンさんはフランス人女性ですから、日本人が最長というわけではありません。ですから、少なくとも欧米人が日本人のような生活習慣になれば、長寿に近づいていくと言えるでしょう。
老化は「病気」として治療できる
――シンクレア氏の『ライフスパン』では、「老化は病気である」と定義されていますが、先生のお考えをお聞かせください。
僕も、少なくとも、加齢に伴って起きるような臓器組織の機能低下や老年病などは治せるものだと考えています。
ただ、最大寿命を延ばすのは非常に難しいことですし、倫理的にも問題があると思いますので、そこはもう少しよく考えなければなりません。まずは、健康に生きる時間を長くするということだと思います。
昨年12月、シンクレア先生が山中因子(iPS細胞)を使って、高齢マウスの視力を回復させたという論文を『ネイチャー』に発表されました。非常にインパクトがあり、本当に老化細胞が若い細胞に戻っているのなら、これはすごいことだと僕は思います。
ただ、山中因子によって実際にどんな細胞が生まれて、それがどういう形で老化した細胞を再生させているのかということについては、まだ証明されていません。まだまだこれからということになるでしょう。
――アメリカでは、グーグルなどが老化研究のベンチャーに投資していますが、日本ではそのような動きはありますか?
日本では、残念ながらまだほとんどありません。そのようなベンチャーもありませんし、カルチャーもありません。
アメリカには、「失敗してもいいじゃないか、作ってダメならまたやり直せばいい」というカルチャーがありますが、日本は違います。「失敗したくない」「失敗するとダメージにつながる」という発想にとらわれていて、なかなかそのような会社はできないんですね。
ただ、20~30代の世代では、ベンチャーをやってみようというハードルが低く、そのような芽ははっきりとあります。今後、老化研究の分野に投資したいという動きは大きくなるかもしれませんね。
いま、がん研究については、かなり煮詰まったところまで来ています。もちろん、本庶佑先生のようなすごい発見も今後生まれると思いますし、すい臓がんなど治療困難なものもありますが、基本的に、がんは治る病気になりつつあるんですね。そうなると、人類の最後の未知なる領域は「老化」ということになり、そこへシフトしていく流れがはじまったのだろうと思います。
100歳まで健康に生きることが「自然」
「老化も死も自然のままがいい」という感覚の方も多いようですが、僕は、なにをもって「自然」と言うかは難しいと考えます。老化は、人によって程度がまったく違うもので、90歳でも100歳でも元気な人もいれば、50歳でもいろんな病気にかかってしまう人もいます。
病気にかかることが自然なのかというと、僕は、やはりそうではない、100歳まで健康に生きることが自然だと思うのです。僕の両親もそうですが、年老いた人は不自由を感じていますし、それを改善できるということは、すごく大きなことだと思います。
自然に生きることを助け、サポートしていくことが、老化研究です。実現すれば、短期的には医療費の問題が解決し、もっと別のことにお金が使えるようになりますし、個々の方の人生そのものも幸せになりますよね。やはり健康は、最もお金で買えない幸せだと僕は思っています。
[構成/泉美木蘭]
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提供元:東大研究者が発見した「老化細胞」除去薬の衝撃|東洋経済オンライン