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2020.10.27

40歳で顔面マヒになった女性が歩む"大胆人生"|耳下腺がんになった看護師が起業し目指すもの


写真左は荒井里奈さん(左)と柴田敦巨さん(右)。右は柴田らさんが関わる「猫舌堂」とそのカトラリー(写真:左は柴田さん提供、右は猫舌堂HPより)

写真左は荒井里奈さん(左)と柴田敦巨さん(右)。右は柴田らさんが関わる「猫舌堂」とそのカトラリー(写真:左は柴田さん提供、右は猫舌堂HPより)

国立がん研究センターの統計によると、2016年にがんと診断された約100万人中、20歳から64歳の就労世代は約26万人。全体の約3割だ。

だが、治療しながら働く人の声を聞く機会は少ない。仕事や生活上でどんな悩みがあるのか。子どもがいるがん経験者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ」の協力を得て取材した。

今回は、耳下腺(じかせん。両耳の付け根近くにある大唾液腺)がんの再発後、看護師からの意外な転身を実現した柴田敦巨(あつこ)さん(45)の話です。

キャンサーペアレンツ ※外部サイトに遷移します

顔面マヒで力が入らずに食べこぼす悔しさ

柴田さんは40歳のときに、耳下腺がんの切除手術をした。その際に顔面神経が傷つき、顔の左側にマヒが残った。耳下腺は顔面神経と隣接するか、重なっているためだ。

左のまぶたは当初閉じられなくなり、まばたきもできず、左目だけが乾燥して涙が止まらなかった。左の口角も下がり、自力で動かせなくなった。2014年の話だ。

「飲み物は口の右側にストローをくわえて、マヒした唇の左半分は自分の手でつまみあげて飲んでいました。そうしないと下がった唇の左半分から、こぼれ出てしまうためです。食べ物は口の右半分だけで噛んでいましたが、口を大きく開けられなくなり、食べこぼしが増えました」(柴田さん)

以降、大きめのハンカチをつねに膝にかけ、口のまわりを汚す度にテイッシュなどで何度も拭きながら、食べるしかなかった。

「自分が食べる姿を他人に見られるのが嫌になり、病院の食堂には行かず、お昼は1人で食べるようになりました。以前は同僚と飲みに行くのも大好きでしたが、外食も家族とだけ行くことにしました」

柴田敦巨さん(写真:柴田さん提供)

柴田敦巨さん(写真:柴田さん提供)

勤務先でも自分の担当科以外の人には、がんになったことを極力隠そうとした。顔面マヒを隠すためにメガネとマスクもつねに手放せなかった。

「それまで看護師として、病気やケガをした方々をケアする側だった自分が、今度はケアされる側になってしまった。がんという弱みを抱えたことが、悔しかったですね。弱い人間になった気がしてショックだったんです」

柴田さんは術後わずか2週間ほどで職場復帰し、ケアする側として働いていた、にも関わらずだ。「弱い人間」という言葉は、看護師としての強いプロ意識の裏返しだろう。

「めっちゃ楽しいのに涙がこぼれた」理由

柴田さんががん体験を隠さなくなったのは2017年の春以降。その前年に耳下腺がんが再発して切除、再び治療していたころに、同病の仲間と知り会ったのがきっかけだ。実名のブログで病気についての情報発信を行っていた浜田勲さんだ。

彼女が大阪から上京した際、浜田さんらと会食。顔面神経のマヒのせいで食べこぼした失敗談で、お互いに「あるある〜!」と盛り上がった。耳下腺がんは患者数が少なく、同病の人と会うのは初めてだった。

「家族でさえも共有できなかった感情でした。めっちゃ楽しいなぁと思いながらも、なぜか涙がこぼれたんですね。そのときに初めて『ああ、私、ずっと孤独やったんや』って気づきました。同病の仲間ができて自分は1人じゃないと思えたら、心の底からホッとできたんです」

ハンバーガーにかぶりつく柴田さんと荒井さん(写真提供:柴田さん)

ハンバーガーにかぶりつく柴田さんと荒井さん(写真提供:柴田さん)

生涯忘れられない思い出がある。2017年の冬、がん仲間たちと東京ディズニーシーへ出かけ、その場のノリで、全員でハンバーガーにかぶりついてみようという話になった。口を大きく開けられない人たちが、だ。

「みんなで一斉に挑戦したら、なんと全員がガブッてかぶりつけたんです。食べる喜びは生きる力にもなるんだって体感した瞬間でした」(柴田さん)

以降、がん仲間たちのことを考えるだけで、心がうきうきしたと話した。

「当時中学生だった長男から、『ママ、がんになってからのほうが楽しそうだね』と言われたのも、とてもうれしかったですね。『がん=死』じゃない、プラスのイメージを息子に与えられたことが、です」

がんと前向きに付き合えるようになった彼女は、自分も含め、食べこぼしに悩む人たちにも使いやすいスプーンとフォークの製品化に挑もうと決意する。看護師から起業家への転身だ。

軽くてフラットで優しいフォークとスプーン

2020年2月、柴田さんは「猫舌堂」という会社を起業した。関西電力の関連病院に勤務する看護師として、社内起業チャレンジに応募してつかんだチャンスだった。そこで初めて製品化したのが「iisazy(イイサジー)」ブランドのスプーンとフォーク。「いいさじ加減」をもじっている。

「猫舌堂」 ※外部サイトに遷移します

「iisazy(イイサジー)」ブランドのスプーンとフォーク(写真:同社HPより)

「iisazy(イイサジー)」ブランドのスプーンとフォーク(写真:同社HPより)

第1の特長は軽さ。フォークは全長16.6cmで約22g、スプーンは16.9cmで23g。ちなみに筆者の自宅にあるデザート用は20gと22gだが、全長はどちらも14cm。iisazyはデザート用の重さで、それぞれ約3cm長い。

第2に、どちらもかなり幅が狭くてフラット(平ら)だ。柴田さんが話していたように「顔面マヒで口をあまり開けられない人でも、出し入れしやすい」形状。フォークは先端が丸く加工されていて、感覚がない口内に当たっても傷つける心配はない。

筆者が実際に使ってみて気づいた点が2つ。スプーンがフラットだと、ナイフ代わりに肉などを小分けにできる。「さらにフォークを使えば、自分の食べやすいサイズに、より小さくほぐすこともできます」(柴田さん)。

また、フォークは一般用サイズよりも小さくて軽い分、パスタがとても巻き取りやすい。子どもや高齢者にも使いやすいデザインだ。

猫舌堂の顧問で、舌下腺(口内底の粘膜の下にあり、耳下腺と同じ大唾液腺の1つ)がんで舌を全摘した荒井里奈さんが、その使いやすさを説明する。

「以前は、ケーキやパスタを食べるのはもっぱらお箸(はし)でした。フォークで口内を傷つけるのが怖かったからです。でも、外食時にケーキやパスタをお箸で食べていると、周りから奇異なものを見る視線を感じてもいました。このフォークとスプーンなら安心して、両方食べられます」

舌を全摘した荒井さんは、口に入れたものを細かく噛み砕くのが難しい。そのために長いフォークとスプーンを使い、奥歯から前歯までに食べ物を運び、まんべんなく噛むようにしている。どちらも約3センチ長いのはそのためだ。じゅうぶんに噛んだ後は水と一緒にのみ込む。

iisazyのデザインには耳下腺だけでなく、舌下腺がんの人たちが食べるときの難しさや悔しさ、疎外感の解決策が、その細部にまできちんと反映されている。

柴田さんをよく知る浜田さんに、彼女が看護師を辞め、果敢な挑戦を実現した理由を尋ねた。

「柴田さんは明るくて、弾けるときは思いっきり弾けるお茶目な女性。そんな彼女の一番の原動力は、同じがん仲間はもちろん、食べることに悩みを持つ人たちを笑顔にしたい、という気持ちではないでしょうか。皆さんの喜ぶ笑顔を見ることが、柴田さんの幸せでもあるはずですよ」

そう聞いて、彼女の小学校時代のエピソードが思い出された。

「担任の先生から、『好きな芸能人は誰ですか?』と聞かれて、ほかの子は中森明菜とか、シブがき隊とか答えているのに、私が『研ナオコ』と答えると、みんながドッとウケてくれてね、しめしめと1人ほくそ笑む。そんな感じの子どもでしたね、人と違うことを恐れないっていうか」(柴田さん)

荒井さんも浜田さんも東京ディズニーシーでの、“ハンバーガー・チャレンジ”の思い出を共有している。

改めて思い浮かべてみる、かつて食べこぼす姿を見られるのが嫌で、病院の隅で昼食を1人で食べていた柴田さんを。浜田さんと初めて食事をしながらめっちゃ楽しいのに、なぜか涙をこぼした彼女のことも。

「食べる喜びは生きる力になる」

「外食のとき、私は黒系のシャツやブラウスが多いですね。決して着やせして見せるためじゃなくて、食べ物や飲み物をこぼしても、うまくごまかすためです。しかも安いやつね」

柴田さんがそう話しながら、自ら手書きの「あるある!」カードをZoom画面に掲げると、ほかの2人も手書きの同じカードを挙げた。すかさず柴田さんが「『あるある!』、3枚いただきましたぁ〜!」と声を上げ、高らかな笑い声と笑顔が広がった。

猫舌堂のオンラインミーティングの様子(写真:猫舌堂提供)

猫舌堂のオンラインミーティングの様子(写真:猫舌堂提供)

6月下旬の昼下がり、猫舌堂主催のオンラインのランチミーティング。柴田さん以外に、前出の荒井さんと脳腫瘍(しゅよう)経験者の男女2人。脳腫瘍や脳梗塞でも、顔面神経の一部がマヒして、口が開きづらくなり、食事に支障が出る人がいるという。

脳腫瘍を経験したNさんは、当日の体調によって目が見えづらかったり、口が開きづらかったりすると明かした。

ただ普通に食べること。そのために必要になる膨大な労力と時間、そして気力。社会から取り残されたかのような寄る辺なさが、Zoom上で時おり笑いに変わる。「あるある!」や、「そだね(そうだよね)!」などの手書き文字がおどり、互いに前向きなエネルギーを送り合っていた。

ランチ終了時、Nさんが7割ほど食べたグリーンカレーの皿を少し自慢げに見せながら、「こんなに食べられたの、久しぶりです」と両頬をゆるめた。「食べる喜びは生きる力になる」1時間半だった。

「ビジネス以上に、その人が本来持っている力を引き出すお手伝いができる、そんなカフェをつくることが今後の目標です」

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後日、柴田さんははっきりと言い切った。

がんと共に生きていくこと。その拠点になるカフェではiisazyでおいしい料理を食べられて、心身ともにくつろげるリンパマッサージなども提供するつもりだ。

約24年間の看護師生活から起業家へ、さらに病院ではできないサービスを提供できるカフェ経営者へ。1度きりのいのちで2人分、3人分の人生へ。柴田敦巨、通称あっつんは仲間たちと向かっている。

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提供元:40歳で顔面マヒになった女性が歩む"大胆人生"|東洋経済オンライン

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