2017.09.02
今の年金受給者は将来世代に譲歩するのか│「連合」の退職者団体が強硬姿勢から転換
公的年金の将来世代の給付水準維持のためには、現受給者の譲歩が必要だ(写真:tkc-taka / PIXTA)
小さな一歩だが、公的年金制度改革にとって大きな前進となる出来事がこの夏あった。
年金受給者の団体である日本退職者連合(民進党、社民党系で主に連合の退職者を組織化)。83万人の会員を擁し、年金受給者団体としては国内2番目の大きさとなる同団体が今年7月、政府に対する年金制度の要望内容を変えたのだ。
具体的には、これまで「マクロ経済スライド調整の名目下限方式の堅持」という項目を掲げ、
マクロ経済スライドによる調整にあたっては名目下限方式を堅持すること。
と要望していたのだが、これが「マクロ経済スライド調整の在り方」という項目に変わり、
マクロ経済スライド制度による年金額調整の在り方について、現受給者の年金を守るとともに将来の年金受給世代が貧困に陥らない年金額水準を確保できることを重視して、退職者連合と誠実に協議すること。
と、「名目下限方式の堅持」という言葉が削除されたのだ。
これがどういう意味を持つのか。
将来世代の給付減少をマクロ経済スライドで緩和
マクロ経済スライドとは、年金保険料を支払う世代の人数の減少に応じて現在の年金給付額を調整するというもの。2004年の年金制度改革で導入された、現在の年金制度の基幹的機能だ。2004年改革後の年金制度は、保険料率を先に固定してしまい、それによる約100年間の収入と支出(給付)が一致するよう、年金給付水準側を調整していくというスキームに変更された。
これまで厚生年金の保険料率は固定水準である18.3%(労使折半)に向けて段階的に引き上げられてきた途上だったが、ついに今年9月分の保険料からは18.3%に到達し、保険料率は固定されることになる。
日本の公的年金では、「収支が一致せずに赤字で年金財政がもたない」という意味での破綻は可能性ゼロだ。給付水準が収入に強制的に一致させられていくため、少子高齢化による収支バランスの悪化はすべて給付水準の低下に行き着く。
一方で政府は、老後生活のための年金給付水準の十分性について、所得代替率で5割(標準世帯の場合)を下限と決めている。所得代替率とは、現役世代の所得に対して年金給付がどのくらいになるかを示す指標であり、政府は現役世代の所得の半分を年金給付の下限と考えているわけだ。
2014年度時点の標準世帯の所得代替率は62.7%。今後はこれがマクロ経済スライドによって調整され低下していくわけだが、2014年の年金財政検証では、経済が順調なケースでは将来も50%以上を維持できるものの、低成長ケースでは50%を切るという試算結果が出た。
マクロ経済スライドの発動を阻むもの
では、退職者連合がこれまで堅持を要求してきたマクロ経済スライドの「名目下限方式」とは何か。これはマクロ経済スライドがデフレや低インフレの下では発動されないか、フルには発動されない方式を示している。物価や賃金が上昇しているときであれば、所得代替率が低下しても名目額は減らさないということが可能だ。しかし、デフレや低インフレのときにマクロ経済スライドを発動すると、名目額まで減少してしまうことが起きる。高齢者の生活を配慮して、そうならないように当時、名目下限方式が導入された。
ところが制度改革が行われた後、リーマンショックの影響もあり、日本にデフレ経済が定着する。その結果、物価上昇率や賃金上昇率がマイナスだったり、非常に低かったりする年が続いた。そうした影響により、マクロ経済スライドが発動できない年が続き、年金給付水準の調整は遅れに遅れた。
これはどんな結果をもたらすのか。給付水準の調整が遅れた分、その割を食うのは将来の高齢者(現役世代)だ。先に説明したように、公的年金制度は約100年間の収入総額を固定し、この1つのパイを現在の高齢者と将来の高齢者で分け合う構図となっている。収入総額は変わらないのに、現在の高齢者の取り分の減り方が予定より少なければ、その分、将来の高齢者の取り分が減ることになる。
付け加えれば、将来の給付水準が経済成長のケースによって変わってしまうのも、この名目下限方式のためだ。先ほど、順調なケースでは50%を上回り、低成長ケースでは50%を切ると書いたが、要するにこれは低成長時にはデフレや低インフレによってマクロ経済スライドが発動されない年が多いので、その分、給付水準の調整が遅れ、将来の高齢者の給付にシワ寄せが行って所得代替率がより低くなってしまうのだ。名目下限方式が撤廃されれば、将来の所得代替率予想が経済前提に左右されることはなくなる。
将来の給付を守るには「名目下限方式」撤廃を
政府は昨年可決された年金改正法案で、デフレや低インフレでマクロ経済スライドが発動できなかったときは、のちに物価上昇率が確保された年にその分を含めた調整を行う「キャリーオーバー方式」を導入した。しかし、まとめてマクロ経済スライド調整を行えるほどの高い物価上昇率が達成できるのか、発動できなかった年とキャリーオーバーで発動された年の間の未調整分については解消されないなど、重要な問題点が指摘されている。
デフレや低インフレに関係なくマクロ経済スライドをフル発動すること、つまり名目下限方式の撤廃は、将来の高齢者の給付水準を守るために不可欠なものだ。厚生労働省もその必要性を強調するが、これをためらっているのは高齢者の票を気にする政治家だ。昨年、キャリーオーバー方式という中途半端なものをこわごわと導入した与党だが、それも現在の高齢者の反応を気にしてのことだった。
ここまで説明すれば、退職者連合が「名目下限方式の堅持」という言葉を削除したことの重要性がおわかりだろう。退職者連合はあくまで年金受給者を会員とする組織であり、名目下限方式の「撤廃」を自ら積極的に叫ぶということはあり得ない。だが、マクロ経済スライドの在り方を協議する際には誠実に対応するという形に方向転換を図ったわけだ。
日本退職者連合の菅井義夫事務局長は、「マクロ経済スライドを導入するとき、給付は名目では減らさないと約束したから、われわれも将来のためにやむなしと導入を了承した。一方、その後も少子高齢化や雇用の悪化が進む中で、いつまでも『名目下限方式の堅持』で突っ張っているだけでいいのかという内部の声はあった。給付金額の低下は消費購買力、生活水準の低下を意味するから極力避けたいが、持続性という観点から将来の高齢者のために現在の高齢者も責任を持つ必要がある」と語る。
要望内容の見直しを担当した全日本自治体退職者会の川端邦彦事務局長は「(保険料収入のベースとなる)雇用改善や少子化対策をまずはしっかりとやってくれというのが政府への要望。そのうえでどうしても孫やひ孫の年金水準が所得代替率5割を維持できないということになれば、われわれは相談に応じる、門前払いにはしないと言っている」と話す。
その一方で、「年金受給者団体がこのような姿勢を取ることには、会員からも今後異論が噴出する可能性はある。今回の見直しはしかるべき手続きを踏んで総会で決議したが、これは『始まり』であって、これから議論は高まるだろう」(川端氏)とも予想する。
ほかの高齢者団体はまだ一歩も譲らないが
ほかの高齢者団体を見渡せば、全日本年金者組合(共産党系)はマクロ経済スライド自体を違憲だとして「年金引き下げ違憲訴訟」を展開している。また、最大の年金受給者団体である全国年金受給者団体連合会は「名目下限堅持」を掲げている。
2004年改革後の財政構造から、将来の年金給付水準を引き上げることこそが「抜本的改革」となる日本の公的年金制度。そのためには、非正規雇用への厚生年金適用拡大や基礎年金の拠出期間延長などと並んで、マクロ経済スライドのフル発動化が重要な改革メニューとして指摘されている。これに対する最大の「抵抗勢力」であるはずの年金受給者団体で起きた変化。それは一見地味なニュースだが、将来の年金改革に向けて、政治家や政府の大きな援軍になる可能性を秘めている。
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提供元:今の年金受給者は将来世代に譲歩するのか│東洋経済オンライン