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2024.04.27

38歳でがん罹患「激務の母」が迷走経て掴んだ人生|東大院卒、外資系コンサルタントの大転換


38歳でがんになった勅使川原真衣さん。彼女の気づきとはーー(写真:勅使川原さん提供)

38歳でがんになった勅使川原真衣さん。彼女の気づきとはーー(写真:勅使川原さん提供)

働き盛りでがんになる――。あなたは想像したことがあるだろうか。だが、治療と仕事を両立する人の声を聞く機会は少ない。仕事や子育て、その他でどんな悩みがあり、どう対処しているのか。

今回は、組織開発コンサルタント会社を起業した2児の母親が、38歳でがんになったケースを取り上げる。

彼女が「堂々と休める」となぜかホッとした理由

左胸に5cm超の進行性がんがあって、左脇のリンパ節にも転移。ステージ3の乳がん――。2020年6月に勅使川原真衣さん(当時38歳)は、そう診断されたときになぜかホッとしたという。

「がんを理由に堂々と休める、そう思ったからです。あのまま働き続けていたら、『もっと顧客数を増やして、売り上げも上げて』という発想からずっと抜け出せなかった気がします。でも、いのちあっての人生だから、眠たくなったらもう寝ようって、やっと切り替えられました」

当時の睡眠時間は平均4時間。2017年に起業した組織開発コンサルタント会社の代表として、「常に成果を出さなければ」という強迫観念に急き立てられていた。前職の外資系コンサルタント時代は、毎日3時間睡眠の上司に負けまいと必死に働いていた。

「時給換算したら300円程度だったはずです。がんの原因はわかりません。でも、あの頃のハードワークは大きかったと今ならわかります」(真衣さん)

加えて、ワンオペで幼い子ども2人も育てていた。一人で必死に走って、走って、走り続けていた。

2020年9月、左胸と左リンパ節のがん切除手術は成功したが、治療は今も続いている。

華やかなキャリアと強い劣等感の狭間

真衣さんは慶応義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)卒業後、東京大学大学院に進学。教育社会学を専攻し、行きすぎた能力主義がはびこる社会を批判的な視点から学んだ。卒業後は、あえて外資系の組織開発コンサルタント会社へ。社会で語られる「能力」がかなり相対的なものだと痛感した。

採用企業の社風と中途採用者との相性、転職した業界への理解度や、上司や同僚との関係性など、さまざまな要素がからみ合って、「能力」は発揮されたりされなかったりする。また、会社と個人はけっして対等ではない。

たとえば、変革人材を採用して保守的な組織を変えたいと意気込んでいた会社が、慎重に選んだはずの中途採用者に、社風に合わないとダメ社員の烙印を押して退社に追い込む。真衣さんはそんな事例も数多く見てきた。

2017年に独立起業後、彼女は前職の経験から、業務内容に応じて既存社員の最適な組み合わせを考えるという組織開発モデルを提唱し、支援している。

そのキャリアは一見華やかに見えるが、彼女自身は小学生時代から劣等感がずっと強かった。その原点をたどれば、担任教師の間違いをとりたてて悪意もないまま指摘しては、煙たがられていた小学校5年生の頃にさかのぼる。

ある日登校すると、担任から「今日は図書館に1日いなさい」と言われた。後日、彼女がいない教室で、その担任が「真衣さんのリーダーシップについて、みんなで悪い点を挙げましょう」と、同級生たちに呼びかけていたと知る。

「その後、私立の中高一貫校に進学したんですが、教室では目立ってはいけないと自分の存在を消しつづけました。大学入学後も自分をうまく出せず、あまり楽しくなかったですね」(真衣さん)

「能力」のひとつの証しである学歴と幸せの距離は遠かった。

非科学的な整体師の「断言」にハマッた2年間

実は、がん告知を受ける前から、真衣さんは左胸の痛みと葛藤し続けていた。長男を30歳で産んだ頃から乳腺炎に苦しんだ。子どもが飲める量以上に母乳が作られるゆえに胸が張り、やがて硬くなって肥大化。発熱と発赤を繰り返しては強く痛んだ。

36歳で長女を出産後はさらに悪化。炎症を起こすと授乳できず、自力では母乳を排出できない。そのたびに大学病院に行き、3時間近く待たされては、わずか5分ほどで溜まった母乳を出してもらう。その繰り返しだった。

(写真:勅使川原さん提供)

(写真:勅使川原さん提供)

やっと診察を受ける際に生活上の注意点などを尋ねても、親身な助言は受けられず、真衣さんにはうつうつとした気分だけが積み重なっていった。

そんな頃、初診時から約2時間も話を聞いてくれる人がふいに現れる。友人から紹介された女性整体師だった。

「婦人科系トラブルは、母親との確執の表れであることが多いです。お母さんとの関係をよくしない限り、何度も繰り返します。でも、今日できる限りそうした悲しみや怒りを含めて解毒しておいたので、身体は軽いはずですよ」

整体師は親身になって彼女の話を聞いてから、そう断言した。

普通の心身状態なら、真衣さんも整体師とは二度と会わなかったはずだ。だが、乳腺炎治療の終わりが見えず、実際に母親との長い確執も抱えていて、ワンオペ育児と会社運営にも悪戦苦闘していた当時の彼女には、この非科学的な断言がむしろ心に深く刺さった。

「当時の私の心に巣食っていた『答えの見えない葛藤を一日でも早く終わらせたい』という強い欲求が、整体師の断言によって激しく揺さぶられました。私の話をこんなに丁寧に聞いてくれる人だから信頼できるって……」

明快な「答え」をくれる整体師に、真衣さんは約2年間依存する。

似たような話は「5分間診療」といわれる標準治療(切除手術・抗がん剤と放射線治療のこと)に不信感を覚える、がん患者の場合にもある。

自分の顔よりも、患部のレントゲン写真や検査データのほうを見ながら話すような、大病院の担当医は信頼しづらい。検査結果は順調でも体調がすぐれなければなおさらだ。その場合は本来、患者が対話の方法を試行錯誤して、担当医との信頼関係を手作りする必要がある。

2020年、がん闘病中の勅使川原さん(写真:勅使川原さん提供)

2020年、がん闘病中の勅使川原さん(写真:勅使川原さん提供)

一方、自分の話を1時間以上も聞いてくれるクリニックや、民間療法の先生はどうしても身近に感じてしまう。 

だが、標準治療を止めて民間療法に換えると、治療めいた行為などで大金を巻き上げられたうえに、がんが悪化してしまう危険性が高い。

がんに限らず、病気になると誰もが普段のように冷静、かつ賢明ではいられなくなる。標準治療を安全に続けるうえで知っておきたい基礎知識だ。

子どもたちに本を通して伝えたかったこと

だが、その整体師に“解毒”された翌日、左胸に激しい炎症が起きて、真衣さんもようやく目が覚めた。それが冒頭2020年6月の診断につながる。

ピンチの後にチャンスもあった。真衣さんががん治療を受けながら書いた本が多くの読者の共感を得て、小さな出版社ながら増刷をつづけている。今年は4冊の本を出版予定だ。

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勅使川原さんの著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社) クリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします

著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、2022年刊)は、巻頭に「これは、死んだ母が子に贈る、『能力』についての不思議な物語である」とある。

出版時から15年後の未来、社会人になった23歳の長男と17歳の高校生の長女と、幽霊になった真衣さんが、「能力主義」をテーマに対話する設定だ。

冒頭は、老舗大手企業に入社した長男の愚痴から始まる。最終面接では絶賛されて入社して1年超で、彼は失望の真っ只中。上司からは「頭は良くても仕事ができないやつ」「空気読めねぇなぁ」と、酷評されている。

そんな息子に、元コンサルタントで幽霊役の母親はこう話しかける。

「ソニーで『活躍』している『優秀』な社員が、そのままパナソニックに転職したとして、同じように『活躍』し、『優秀』と評価されることは確約される?(中略)職場の環境次第で、個々の力の発揮のされ方は変わってくる。その肝心な点を差し置いて、あいつは能力がある、あいつはないと、安易に個人に責任を帰してしまうことが多くないだろうか」(前掲本より引用)

真衣さんにとっては終活としての執筆だった。

「自分が幼い2人の子どもたちに残せるものは何か、と必死で考えたんです。私の心に湧き上がってきたのは、『この行きすぎた能力社会を、自分の子も含めて次世代に残したままでは死に切れない』という切実な思いでした」(真衣さん)

子どものためにという執筆は、彼女にも大きな変化を与えることになる。

「幸せに生きるのに能力なんていらない」

2022年4月、新型コロナウイルスに感染した真衣さんが、大学病院に入院中のことだ。ほぼ書き上げた本の原稿は、エピローグ(結末)だけを残していた。17歳の長女が亡き母親に向けて書く、という設定だけは決めていたが、なかなか書き出せない。

その頃、ふと次の一文が思い浮かんだ。

「幸せに生きるのに能力なんていらない」

乳がんと診断されてからは、慌ただしい毎日に治療が加わり、さらにいろんな人たちが彼女の前に現れては消えていった。

(撮影:ハービー・山口)

(撮影:ハービー・山口)

「がんにいいからと、知り合いに正体不明な水などを買わされそうになったり、宗教への勧誘も受けたりしました。一方で私が実家近くに引っ越してからは、小学校時代の元同級生たちがいろいろと私を助けてくれたんです」

先に書いた、真衣さんの小学校の担任教師が、彼女の悪いところを同級生たちに言わせようとした一件。だが、同級生たちはというと、彼女を嫌っていたわけではなかったという。

「私一人がそう思い込んでいただけでした。元同級生たちが私の会社に投資をしてくれたり、私の体調を心配して、子どもたちの分まで晩ご飯のおかずなどを作って差し入れてくれたりしました。ありがたかったですね」

がん診断の前も後も孤軍奮闘してきた彼女は、同級生たちの応援に幸せな気持ちにしてもらえた。その発見が、長女の言葉として先のエピローグを書き出すきっかけになった。

「母さんのように、ぐちゃぐちゃに血迷った痕跡を残そうが、濃い生のラインを引いて行けば、いいじゃん。弱くて強い、その生々しさが私は好きだよ」(前掲書から引用)

「弱くて強い、その生々しい自分」を生きている証し

あやしい整体師にハマッてしまったのも、葛藤する自分は生産性が低く、弱くて認められなかったからだと彼女は振り返る。

「誰にでも強い自分と弱い自分がいて、だから葛藤も生きているうちはなくならない。でも当時の私は真逆で、問題を常に冷静に解決できる人が“自立”した人で、優秀なのだと思っていました。行きすぎた能力主義を否定しながら、その価値観に誰よりも当時の私自身が強くしばられていたんです」(真衣さん)

子どもたちに能力主義の歪みをわかりやすく伝えようと、整体師にハマッた弱い自分さえ包み隠さずに書くことで、ようやくそれに気づけた。 

葛藤とは「弱くて強い、その生々しい自分」を生きていることの証しだった。

「本を書くことが、生き直しのセラピー(治療法)みたいでした」(真衣さん)

一方、彼女が本を通して若い世代に伝えたかった、「『能力』は時と場所によって目まぐるしく変わる。だからいたずらに一喜一憂する必要はない」という思いは、追い立てられるように今を生きるわたしやあなたにもずしんとくる。

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提供元:38歳でがん罹患「激務の母」が迷走経て掴んだ人生|東洋経済オンライン

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