2022.10.26
膵臓がん告知…30代起業家が半年後に涙した理由|「実存的苦痛」とは?どうやって乗り越えるか
治すことが難しい進行がんと告知された30代の男性。彼はこの絶望をどう乗り越えたのでしょうか(写真:zon/PIXTA)
病気になる。しかも、それががんのような重い病気だったとしたら――。病気や治療に対する不安な気持ちや、うつうつとしたやりきれなさを抱える、そんながん患者に寄り添ってくれるのが、精神腫瘍医という存在です。
これまで4000人を超えるがん患者や家族と向き合ってきたがんと心の専門家が、“病気やがんと向き合う心の作り方”を教えます。今回のテーマは「生きる意味を見失ったとき」です。
私の外来(腫瘍精神科)に主治医からの紹介で、Aさん(38・男性)が受診されました。Aさんは進行した膵臓がんに罹患していることを1カ月前に告げられ、精神的に大変混乱されていました。
統計上でいうと、進行膵臓がんの5年生存率は数%。Aさんはがんであることを告げられるまで、自分の人生は当たり前のように続いていくと思っていたでしょうから、突然の知らせに混乱するのは無理のないことです。
晴天の霹靂だったがん告知
実際、診察室に入ってきたAさんは憔悴しきった様子でした。折り目正しいスラックスと、きれいなボタンダウンのシャツから、元来はおしゃれで社交的な方だったのだろうという印象を持ちましたが、表情は暗く、活気がありませんでした。
がんと告げられ、今どんなことで悩んでいるのかを尋ねると、Aさんは次のように心境を語られました。「がんがわかって、私の計画がすべて頓挫してしまったのです」。
「計画が頓挫?」
Aさんの話によると、8年前に会社を立ち上げ、大変な思いをしたこともあったものの、やっと事業が軌道に乗ってきたとのこと。海外の大企業との共同プロジェクトも決まり、今までの努力が実を結ぶところまできた矢先のがんの告知。5年後には会社は大きく発展し、自分の夢がかなっているはずだった……という未来が打ち砕かれたのです。
「私は突然、膵臓がんと宣告されてしまいました。データを知るほどに絶望的な気持ちになります。5年生存率は数%。1年はなんとかがんばれても、2年は難しいと思っています。
やっと自分でまいた種が芽を出し、すくすくと育ってきたのに、収穫のときに私はいない。私は会社にすべてを捧げてきましたので、とても悲しいですし、むなしいです。自分の人生はなんだったのか。これからの時間をどのように生きていけばよいのかがわかりません」
Aさんの気持ちは私なりに理解できます。「なるほど」とうなずく私に、Aさんは「私はこれからどうしたらよいでしょうか……」と訴えます。
がんによってもたらされる苦痛には4つの種類があります(4つの苦痛を紹介した前回の記事)が、そのうちの1つが「実存的(スピリチュアル)な苦痛」です。自分の死を意識したときに、Aさんのようにそれまで目指していた目標が失われ、生きる意味がわからなくなってしまうのです。
心理学者のユングは、青年期から中年期への移行期を「人生の正午」と表現し、そこから危機の時期を迎えると述べています。一般的に、人は中年期を過ぎ、人生の後半に入ったときにはじめて、人間は衰えていくことを実感を持って悟るわけです。
4つの苦痛を紹介した前回の記事 ※外部サイトに遷移します
自分がまさか死ぬなんて…
人生の前半である青年期は、身体的にも元気で、知識や経験がだんだん増えていくことで、自身の成長を実感できる時期でもあります。老病死という苦しみについて、いつか自分に起きるであろうことは頭では理解していても、実感は伴いません。まさにAさんもそうでした。
5年後、10年後のために今を頑張る。その前提には、自分は健康で安全な世界に住んでいて、当たり前のように明日も明後日も、1年後も10年後もやってくるという考えがありました。
ですから、Aさんのように生きるうえでの前提が突然覆されたら、人は大混乱に陥ります。そして「今を生きる」ことをおろそかにしていた人が、自分に与えられた時間が限られていると実感したとき、生きる意味が一時的にわからなくなってしまうのです。これが実存的苦痛です。
ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセも、人生の前半は実存的な苦痛と格闘し、ユングのカウンセリングを受けていたといわれています。ここにヘッセの詩をご紹介させていただきます。
目標に向って
いつも私は目標を持たずに歩いた。
決して休息に達しようと思わなかった。
私の道ははてしないように思われた。
ついに私は、ただぐるぐる
めぐり歩いているに過ぎないのを知り、旅にあきた。
その日が私の生活の転機だった。
ためらいながら私はいま目標に向って歩く。
私のあらゆる道の上に死が立ち、
手を差出しているのを、私は知っているから。
ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二翻訳 『ヘッセ詩集』(新潮文庫)より
この文章を読んでいるあなたが、もし「自分にもいつ死が訪れるかわからない」という感覚を持っていないとすると、あなたが今実感している「生きる意味」は、突然色あせてしまうかもしれません。
さて、診察場面に戻ります。私はAさんの「私はこれからどうしたらよいのでしょうか?」という言葉を受け、次のように語りました。
「私は、Aさんのように今まで描いていた未来がやってこないと実感し、混乱されているたくさんの方とお会いしてきました。その経験からこれから説明しますが、今のAさんには届かないかもしれません。ただ、道のりをお示しするために、あえて伝えておきます」
その内容はこのようなものです。
想定していた将来がやってこない
これからAさんの心が取り組む必要がある課題は、いずれも決して簡単なことではないかもしれませんが、2つあります。
1つめは、想定していた将来がやってこないという喪失と向き合うことです。Aさんは苦労を重ね、5年後には夢がかなっている、というところまでやってきていました。しかし、その夢は病気のためにかなわなくなる可能性が高くなってしまった。
このようなできごとに、「起きてしまったことはしょうがないじゃないか」という具合にきっぱりと気持ちを切り替えられる類まれな人もいますが、多くの方はそう簡単に気持ちが切り替えられないと思います。実際、Aさんも目の前の現実が受け入れがたく、苦しんでおられます。
今までの努力を想うと、その理不尽さに激しい怒りを感じるかもしれませんし、あまりの喪失の大きさに、とめどなく悲しみがあふれるかもしれません。しかし、あまり知られていないのかもしれませんが、実はこのような負の感情は心の傷をいやす役割を果たします。Aさんは今日もだいぶふさぎ込んでおられるように見えます。これは耐えがたい喪失とAさんが向き合っている証拠です。
負の感情は苦しいですが、心がおもむくままに悲しみ、怒る必要があります。なぜなら怒り悲しみ尽くした果てに、やっと「もうくよくよしていてもしょうがない」という気持ちが芽生え、「ならばこれからの時間をどう生きるか?」ということを徐々に考えるようになるからです。
2つめの課題は、これからの生き方を考えることです。
今は失ったものの大きさに圧倒されていますが、いずれAさんは「自分はすべてを失ったわけではない」ことに気づかれるのではないかと思います。今までは未来のために今を投資する生き方をされてきたので、最初は戸惑われるかもしれません。これからは「今を生きる」ことを考えることになるでしょう。
このように伝えると、Aさんは、「あなたの言っていることの意味は理屈としては理解できるが、今はまだそんなことは認めたくない」とおっしゃいました。
そこで私は、「Aさんのお気持ちは当然だと思います。しかし、もしよろしければ、Aさんのこれからの道のりを歩むお手伝いをさせてください」と伝え、そして、Aさんはその後も定期的に私の外来に通われることとなりました。
半年後の春、私の外来を訪れたAさんの表情は少し穏やかでした。会社はAさんのがん罹患がわかって行く末が危ぶまれたものの、引き継ぎの体制も整い、事業を継続できる見通しが立ったそうです。
「正直ほっとしました。自分が会社の行く末を見届けられないのは残念でしょうがないですが、仲間が私の想いを引き継ごうと、頑張ってくれたのがうれしかった。そして、今まで頑張ったことが無駄にならなくて済んだので、ほっとしました」
そのうえで、次のような言葉を続けられました。
家の近くの桜並木を見て
「先日、花見に行ったんです。家の近くの桜並木が満開で、天気もよかったんで散歩に行ってみました。雲一つない青空のもとの満開の花に、言葉にできないぐらいの感動を覚えました。毎年何気なく見ていた桜の花だったけど、こんなに美しかったんだなって。僕の人生も短かったけど、少しは自分の想いを残せたのかな」
Aさんの目には涙があふれていました。
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私は、厳しい運命と向き合い、生きる意味を見いだそうともがいたAさんの心の道筋に想いを馳せ、そして、「Aさんが見られた桜は、本当に美しかったんでしょうね。私もいつか、そんな美しい桜を見てみたいです」とお伝えしました。
死という厳然たる真実と正面から向き合っても色あせないのは、愛情深い時間と、美しさに触れる体験ではないでしょうか。このことについては、いずれまた機会があれば詳しくお伝えしたいと思っています。
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