2022.10.17
40歳で人生の83%が「終わっている」という衝撃|40~50代の後半生をどのように生きますか?
時がたつのを早いと感じてしまうのは、なぜなのでしょうか(写真:bee/PIXTA)
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40~50代になり、「人生100年時代、残りの50年をどう生きようか」と考える人は多いのではないでしょうか。ですが、「そんなにまとまった時間は残されていません」と言うのは、コンサルティング業界の第一線で活躍してきた平井孝志さんです。いったいどういうことでしょうか? 新著『人生は図で考える』より一部抜粋し再構成のうえ、平井氏が提案する後半生のデザイン方法とともにご紹介します。
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なぜ、後半生は瞬く間に過ぎるのか
さて、後半の人生。そもそも私たちにはどれくらいの時間が残されているのでしょうか。
人生100年時代だとすると、50歳ならあと50年? 平均寿命で考えると、50歳ならあと30年?
いずれの答えも間違いです。実際には、そんなにまとまった時間は残されていません。
なぜ? 健康寿命はもっと短いから? 確かにそれも一理ありますが、もっと端的な理由は、認識できる時間の速度が後半生になるにつれ加速度的に速くなるからです。これまで感じてきた50年分の時間感覚と、これからの50年の時間感覚はおそらくまったく違うものになるはずです。
なぜでしょうか。歳を取れば取るほど、なぜ、1年があっという間に感じられるのでしょうか。
次のような論理があります。
「歳を取ると未経験のことが減るから、その分、時間を短く感じる」というもので、「ジャネーの法則」と呼ばれるそうです。
つまり、1歳のときに感じる時間の流れはそのまま1年分であり、2歳のときに感じた1年は、2年間の人生の内の半分なので2分の1に感じる。3歳のときは2歳までに経験したことに対し、新しい1年は3分の1になるので、感じる時間は3分の1になる……というわけです。ですから100歳まで生きるとしたら、人生全体の体感時間は、
になるということです。
40代の頃、実際にこの算式を計算してみました。
さて、いかがでしょう。40歳時の体感時間はどのくらいの数字になると思いますか。さらに、その時点で「人生の何%がすでに費やされている」と思われますか。私はそれを知り、愕然としました。
前述の式を、100歳をゴールにして合計します。その値は5.2。そして40歳までの合計の数値は4.3でした。なんと人生の約83%(=4.3/5.2)がすでに終わっていることになるのです! しかも、50歳時点では87%終了です。図にすると、次のようになります。
(出所:『人生は図で考える』)
「うわ、さすがにこれはないだろう……」
そう思い、計算方法をいくつか変えてみました。例えば、自覚のない1歳から始めるからこんな結果になるのであって、小学校入学時点からこの理論を当てはめればどうなるだろうか、と。それでも、50歳時点の結果は80%程度でした。
さらに考えました。1年単位で計算するからこんな極端な数字になるのであって、10年単位で計算したらどうなるだろうか。もちろん、やってみました。それでも40歳時点で人生の71%、50歳時点で人生の78%が終わっていることになってしまいました。要するに、後半生は前半生とイーブンではないのです。
1歳の赤ん坊のような気持ちで41歳の日々を生きてみる
この思考実験からは、2つの学びがありました。
1つ目は、「時間は大切な希少資源だ」というシンプルな教えです。流されて生きていれば、人生の残り時間はあっという間に終わってしまうということです。
2つ目は、この計算式を逆手にとればいい、という考え方。というのも、この式は(この算式の根本的な弱点ですが……)、41歳時の1年を、41分の1とみなします。つまり、40年の延長と繰り返しで41歳を捉えている。いわば、「新鮮な体験はその程度だよ」というわけです。
ですから、41歳で未知の体験にいくつも挑戦すれば、1年が単なる41分の1ではなく、あらためて「1」に近づくような1年にできるかもしれません。図にすると、次のようになります。
(出所:『人生は図で考える』)
つまり、1歳の赤ん坊のような気持ちで41歳の日々を生きてみるのです。「なんだろう?」とすべてをゼロから眺めてみるのです。ちょっと極端な言い方になりましたが、「1年毎に新しい経験をして、新鮮な時間を生きる」ことで、生きる時間が増えるわけです。新たなチャレンジが、生きるうえでどれだけ大事か。この算式は、それを見事に暗示しているのです。
視点を変えてみましょう。
人一人の一生を、「資源」と見立ててみます。例えば、ビジネスにおける経営戦略論では、資源は次の5つに分類されます。
「人」「物」「金」「情報」と、「時間」の5要素です。
そこで、ビジネスを人生に置き換えて考えてみます。人生における経営資源はいかなるものか。前述の算式で、後半生で最も希少になるのは「時間」だということがわかりましたよね。ここに経営戦略の基本のキを当てはめてみます。
経営戦略の基本中の基本とは、「限られた資源を注視する」ことです。
言い換えれば、「限られた資源」こそが、戦略の本来の出発点になります。限られているからこそ、有効な資源配分の決定とその運用が重要課題になる。それが戦略の本質です。
この考え方を企業から人生に応用すれば、自ずと答えが出ます。後半生の戦略とは、時間の「配分」と「運用」。そこから始まるのです。
もうおわかりですね。
「やるべき事」ではなく「やりたい事」に時間をつかう
これまでの延長線上での「やるべき事」ではなく、「やりたい事」に積極的に時間(資源)を配分しなければ、あっという間に後半生は終わってしまいます。自分が最もやりたい事は何かを見極め、そこに強制的に時間配分を行う――そんなストラテジー思考が必要になるのです。
かつてアメリカの心理学者フレデリック・ハーズバーグ(1923〜2000)は、「二要因理論」という説を展開しました。二要因理論では、人間の満足や不満足には2つの大きな要因があるとされます。1つ目は「衛生要因」、2つ目は「動機付け要因」です。
衛生要因とは、作業条件や給与、対人関係といった、それが整ってなければ不満足を招く要因を指します。一方、動機付け要因とは、達成感、自己成長、承認といった、やる気やモチベーションにつながる満足を招く要因のことです。
相転移の機を迎えた私たちが注目するべきは後者、動機付け要因のほうです。統合を迎える人生の段階では「目に見えないもの」、すなわち充実を感じられることに対して、より積極的に希少資源である時間を配分していくべきなのです。
(出所:『人生は図で考える』)
ストラテジー思考を発揮するためには、自分の経営資源、いわば「自分資産」を知ることが必要になります。企業の経営戦略において、事業環境である「外側」を理解するのみならず、「内側」にある自社の強み、つまり「持っている武器」を理解しなければならないのと同じ理屈です。
自分資産を知る。具体的には、実人生の〝棚卸し〞が要るわけです。
30代半ば頃の手痛い失敗
私の実体験をお話しします。30代半ば頃、自分資産に反する意思決定をして、手痛い失敗をしました。それは、デル・コンピュータの法人マーケティングを担当していた時期のことです。
時代はちょうど、インターネットの勃興期でした。法人顧客向け専用サイトであるプレミアページの立ち上げが担当業務の1つになった私は、インターネットの未来に胸を躍らせました。インターネットの世界では、クリック1つで瞬時にどこへでも飛んでいけます。昔、「どこでもドア」を創りたかった自分です。形は違えども、インターネットが「どこでもドア」に思えたのです。
「これは革命だ……!」
ちょうどデルも急成長中で、インターネットの旗手として注目を浴びていたこともあり、私のもとにもいろんな転職話が舞い込んできました。
「よし、これからはインターネット時代だから、その道の専門家になってやるぞ」
一獲千金も夢じゃないぞ。ネットベンチャーに飛び込むことを心に決め、当時一世を風靡したクレイフィッシュというベンチャー企業にほどなく私は入社しました。
クレイフィッシュは日米同時上場。時価総額は1兆円レベル。
しかしながら、上場後数日でネットバブル崩壊。数カ月で株価は数10分の1。もちろん、ストックオプションは紙屑同然です。あれよあれよという間の転落でした。
その後、会社と創業者は、アメリカでの情報開示が不十分だったとして集団訴訟を起こされます。当時、営業マーケティングの責任者だった私は、夜中に突如開催される取締役会への対応や事業の立て直しに奮闘しますが、ほとんど何もすることができず、わずか9カ月で会社を去ることになります。
勉強代は高くつきました。もちろん、「経営とは何か?」を深く考えさせられる貴重な経験にはなりましたが、ネット専門家としての地位は少しも築けず、一獲千金も夢物語で終わったのです。
「おれのキャリアは、ついに終わったなあ……」
ふとした拍子に、そんな言葉が口をついて出ることすらありました。自分を省みずに上ばかり見ていた私は、痛烈な洗礼を受けたのです。
なぜ失敗したのか?
そもそも、何が間違っていたのか。
何よりもまず、インターネット・ビジネスそのものを知らなかったことです。より正確に言えば、「知った気になっていた」ことでした。時代の風潮に流され、ただなんとなくのイメージだけで捉え、よくよく調べもせずに飛び込んでしまったのです。
インターネット自体は非常に大きな革新であり、可能性の宝庫であったのは言うまでもありません。見誤ったのは、その領域で実際に生計を立てていく自分自身です。もっと熟考し、もっと想像力を駆使して、インターネット・ビジネスの専門家として自分が何を目指しどこまで行こうとしているのかを考え抜く必要がありました。そうすれば、時代に踊らされる前に、
「興味が持続するかな?」と自分自身にブレーキをかけられたことでしょう。
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冷静に考えてみれば、実際そこまで興味がありませんでした。そればかりでなく、インターネット・ビジネスに活かせる強みも持っていませんでした。理系出身ですが、情報、通信、ソフトウェアといった領域は苦手で、そもそも関心が薄い。興味を引かれるのは半導体や粒子といったハードウェア領域で、それらの知識やセンスは、インターネットの世界ではほとんど必要がなかったのです。
ネットの世界はかっこいい。ベンチャーも今どきだ。「君の力を活かしてみないか」と誘われている。自分は理系だから大丈夫――そんな甘い考えで、根拠のない空気に流され、失敗したのです。
「自分は自分を知らなすぎた……」
言うなれば、自分の資産を知らなすぎました。必要なのは、自分資産の棚卸しでした。
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