2022.07.15
ひろゆき指摘「幸せになれない人」の残念な考え方|人生では、能力や環境より「大切なもの」がある
「どんなにお金を持っていても、将来を不安視しすぎると幸せにはなれませんし、基本的には物事って、捉え方の問題だと思うんですよね」とひろゆきさん。その真意とは?(写真:干川修)
エッジの効いた言葉が、いわゆる「ひろゆきっぽい」イメージ通りに拡散されているひろゆき氏。しかし、YouTubeライブ配信での悩み相談では悩む人の背中を押す「神回答」も披露しており、視聴者から多くの共感を得ています。
「それって、あなたの感想ですよね」「人生は死ぬまでの暇つぶし」などの“ひろゆき語録” が生まれた背景と、ひろゆきがそれらの言葉を通して本当に伝えたかったことは? 『人生が好転する100の言葉 頑張らずに楽しく生きる』より、一部抜粋・再構成してお届けします。
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それって、あなたの感想ですよね
僕が発した「それって、あなたの感想ですよね」という言葉が、ひとり歩きしているようです。
テレビ朝日の番組『ビートたけしのTVタックル』に出演したときのコメントでしたが、それ以来、「『それって、あなたの感想ですよね』とか言っているくせに、ひろゆきだって感想ばっかり」などと言われるようになりました。
たしかに、僕も感想を口にすることはあります。でも、人が感想を話しているときに、「それって、あなたの感想ですよね」と言ったことはないんですよ。
たとえば、僕が「そんなにかわいくない」と思っている女優さんを、「世界一かわいい」と言っている人がいても、まったく問題ないですよね。人によって、それぞれの感想が違うのは当然ですから。
「それって、あなたの感想ですよね」と口にしたのは、番組で〝事実〞と〝感想〞を混在させて話をしていたからです。 たしか、ネットに上がっているものに対して、「明らかにユーザーのオリジナリティがない」と言った人がいました。でも、その発言は、その人が抱いた感想でしかありませんでした。
それをテレビで発言すると、あたかも事実であるかのように誤解される恐れがあります。ちょうどその頃、僕はニコニコ動画の管理人をしていたので、「それは明らかじゃなくて、あなたの感想ですよね」と言いました。事実と感想は分けて話さないと、あらぬ風評を流されてしまいますからね。
「明らか」という言葉は、「1+1=2」「太陽は東から昇って西に沈む」といった、誰もが疑いようのない事実に対して使うものです。個人の感想レベルの発言に、「明らか」という言葉を使うのはナンセンスですよ。
事実と感想を分けて考えることは、思考の基本だと思います。
楽しく生きられるかどうかは、与えられた見た目や才能よりも考え方次第です
学校では、テストの点数が高い子が先生に褒められます。そして現実として、テストで高得点を取れる子は、人気や評価の高い高校、大学に進学できて、給料のいい会社に就職できるという傾向があります。
そのため、自然と「勉強ができるヤツ、スポーツができるヤツ、何かの才能を持ったヤツはよい人生を送るけれど、そうでなければ不幸になる」と誤解してしまう人が多いように思います。
自分は能力がないから、恵まれた環境にいないから、お金がないから、と自らをどんどん追い込んでしまう人がいるのも、こういったことが背景にあるのではないでしょうか。
ただ、才能にも収入にも恵まれ、ついでに見た目も美しい人が幸せな人生を送れるかというと、そうとは限りません。 はたからは「あんなに恵まれているのに」と見える人が鬱になることもあれば、人生を儚むことだってあるのです。
どんなにお金を持っていても、将来を不安視しすぎると幸せにはなれませんし、基本的には物事って、捉え方の問題だと思うんですよね。
つまるところ、幸せかどうかは、その人の考え方によることが大きいのです。『五体不満足』で知られる乙武洋匡さんは、かつて小学校の先生として勤めていましたが、僕は、これをよいことだなと思っています。
手足がないという、なかなかきついハンディキャップがあるのに、幸せに楽しく暮らしている。そんな大人を間近で見た子どもたちは、自分の人生において、考え方、捉え方がどれほど大切かを実感するはずですからね。
充実した素敵な人生がどこかにあるなんて、ただの誤解です
充実した素敵な人生というものがどこかにあって、それがどうにかすると手に入るのではないかと、一生懸命探すのは得策ではありません。
「これまで充実した人生を送ってきた」と胸を張って言える人もいるのかもしれませんが、むしろ、ほとんどの人が充実した人生を経験したことなどないのではと思います。その場合、現状の人生がずっと続くだけでしょう。
基本的には、日常が淡々と続いていくのが人生です。
毎日、冒険やイベントが起きるような生活は、テレビドラマや映画の中だけのお話です。
初めての仕事をするときには、どんな仕事も物珍しい経験ですから、刺激があります。むずかしくて四苦八苦したり、おもしろくてエキサイトしたりしますが、慣れると当たり前になりますよね。
たとえば僕にとって、テレビに出演する仕事は、もはや日常です。もちろん、その中にも「スタジオで一緒になった○○さんの話はおもしろかったな」などと、仕事の楽しさを感じる場面はあります。
ただ、それだけですよね。どんな仕事でも、どんな家庭でも、ただの日常なんですよ。
僕が充実感を感じるのは、ゲームでヒリヒリした状況になったり、ギリギリの状態で戦いに勝てたりしたときぐらいでしょうか。「仕事で充実感を得よう」「毎日を充実したものにしたい」なんて到底無理な気がします。
充実した人生とやらを追い求めている限り、満たされることはないんじゃないかなと思います。
挫折や失敗は、存在しません
成功者として見られることもありますが、僕は結構いろんなことで挫折しています。「このプログラミング言語を覚えてみよう」とか「絵を描けるようになってみよう」「楽器をやってみよう」とか、わりといろいろです。
失敗も、たくさんしました。僕のことを「2ちゃんねるの創設者」として認識している人も多いと思いますが、実は他にも多くのウェブサービスを開発してきました。なかには鳴かず飛ばずで、今となっては誰も覚えていないであろうサービスもあります。むしろ、失敗したもののほうが多いくらいです。
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ただ、これらの経験は「挫折や失敗をしたことはあるか?」と聞かれて、改めて思い返してみたときに「言われてみれば、あるかもね」と思う程度です。
自分の中で、つらい出来事ではまったくありません。ネガティブなものとして捉えていないのだから、挫折や失敗は「存在しない」と言うこともできます。
それに、たとえばサービス開発で失敗したら「これだと、うまくいかない」とわかるだけでもひとつの成果ですし、「じゃあ、こうすればどうだろう」と次の改善策を講ずることもできます。その結果、成功したサービスもあります。
結果として、うまくいったものだけが世間の記憶に残ります。
みなさんが記憶しているのは、うまくいったサービスのほうだけです。周りの目や記憶は意外とそんなもの、ということですね。
なので、失敗とか挫折とか自分からラベルを貼る必要はないし、貼らないほうがいいと思います。何をもって失敗とするか、何をもって挫折とするかは、その人それぞれですし、自分が挫折と思わなければ、それは挫折ではありませんから。
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提供元:ひろゆき指摘「幸せになれない人」の残念な考え方|東洋経済オンライン