2022.06.30
がん患う医師「道半ばで死にたい」に隠された本音|死の直前まで熱中できるものを持っていたい
道半ばで亡くなる――。必ずしも悪いことではないと著者は言います(写真:Graphs/PIXTA)
全国でも先駆けとなる「男性更年期外来」を2001年に開設、「夫源病」の名付け親としても知られる医師の石蔵文信さんは、64歳で前立腺がんが全身の骨に転移。現在も外来を行いながら、自身の治療を続けています。
延命治療や胃ろう、現役医師としての決断と、それをどう家族や周りに伝えるのか――。悔いのない最期のために、今から考えておきたいことをまとめた一冊『逝きかた上手』が発売、たちまち重版するなど話題を呼んでいます。現役医師が伝える終活の心得を、特別に一部公開いたします(3回にわたって紹介。今回は1回目)。
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志半ばで他界し、自分の思いや事業を最後までやりきれなかった方が「不幸」だと表現されることがあります。本当にそうでしょうか?
志半ばで他界するのは不幸なのか
例えば、会社の重役となり、さまざまな改革を断行している人が突然、心筋梗塞や脳卒中で他界した場合、多くの方から惜しまれることでしょう。そういう場合は「志半ばで逝去した」というふうに表現されます。
確かに、本人にとってはもう少しいろいろなことをやりたかったと思いますが、ある程度の道筋をつけておけば、残された者が後を継いでくれるはずです。
さまざまなことに情熱を傾けている瞬間は、楽しいものです。私もプラモデルや鉄道レイアウトを作っているときが楽しく、できあがってみればそれなりにうれしいのですが、作っていたときの情熱はなくなっている──ということがあります。
組織にいる間に不幸にも他界したときは、その方の気持ちとは関係なく「志半ばで……」という言葉がよく使われます。逆に、退職などで組織から離れたあとは、「志半ばで他界する」とされる例は、あまり多くないように思います。
定年退職後は、仕事をしていても、多くの方は臨時雇用的な仕事になります。いろいろな趣味を楽しんでいて、その途中で亡くなっても「志半ばで他界する」とはあまり言われません。
仕事も趣味もなく、何もすることがない方にとって、定年後の長い生活は苦痛かもしれません。そして、情熱を注ぐものもなく、なんとなく終末期を迎えてしまう……。それに比べて、「志半ばで他界する」と言われるのは「死ぬ直前までは情熱を持って取り組んでいたことがあった」というときです。
情熱を持って取り組んでいたなかで他界することになったとしても、本人にとっては「すごく楽しかった」といえるのではないでしょうか?
仕事している最中に他界するが理想
私の理想は、仕事に取り組んでいる途中で他界することです。一番の理想は診察中にこと切れるというものですが、それでは患者さんに迷惑がかかってしまうでしょう。
そんな状況は極端ですが、何か目標があってそれに突き進んでいる間に死を迎えることは、私にとっては悪くない人生です。現役中はそのような死に方が可能ですが、定年退職以降はどうすればよいのでしょうか?
例えば、数年ごとに何か目標を立ててみてはどうでしょう。それは仕事でもよいですし、趣味でもよいと思います。
私は東日本大震災後に、仲間と一緒に自転車発電と防災を推進する「日本原始力発電所協会」を立ち上げました(日本原始力発電所協会)。興味があれば、ホームページをのぞいてみてください。現在の夢は賛同する方をたくさん集めて、全国展開することです。ちょうど私の病気が見つかる少し前に、一般社団法人として登録しました。
私の体はいつまでもつかわからない状況ですが、どんどん新しい事業を展開しています。一般社団法人の立ち上げには若干費用はかかりますが、それほど高額ではありません。個人でも、簡単に立ち上げることができます。
私の名刺には「日本原始力発電所協会代表」と刷り込んであります。定年後の悩みの1つは所属する団体がなく、名刺を作っても、おさまりが悪いということです。皆さんも何か「やりたい」ことがあれば、一般社団法人などを立ち上げてみて、名刺に「〇〇代表」などと刷り込んでみてはどうでしょうか?
趣味に関しては、先ほども触れましたが、さまざまな鉄道模型を組み立てています。念願のGゲージのレイアウトも完成し、今は「ライブスチーム」という蒸気で動く機関車を動かす準備をしています。さらに、Zゲージという最小模型のレイアウトにも挑戦しています。これらの様子はYouTube(日本原始力発電所協会のホームページからアクセスできます)で見てもらうことが可能です。
さらに私は娘婿とラウンドするために、1年程前からゴルフを始めました。当初は全くボールに当たらず、「才能がないのか」と落胆していましたが、ゴルフレッスンに通ううちに何とかスコアがまとまってきました。
目標は、一般に「ゴルフが上手」と言われる100以下で回れるようになることです。このように考えると、定年後もそれぞれが目標設定できると思います。
日本原始力発電所協会 ※外部サイトに遷移します
生きているうちにその目標を達成したら、次の目標を作ればよいでしょう。残念ながら目標の途中に他界しても、それは何もすることがないよりは楽しい人生だったかもしれません。人生の後半で「志半ばで他界する」ことは、私は悪くない選択だと思います。
私が医師になったときは、がん患者さんのほとんどは病院で亡くなっていたと思います。体力が衰えてくるので点滴などの栄養補給が必要だったことと、痛みや呼吸困難で鎮痛剤・麻薬や酸素が必要だったことから、当時は自宅での療養は困難でした。
一昔前はがんの終末期にはかなり無理な治療をしていましたが、現在では麻薬や鎮痛剤などを使う緩和ケアが主流になってきています。30年ほど前から終末期の患者さんのケアをする、ホスピスや緩和ケア病棟を併設する病院も増えてきました。延命治療に重きを置かずに、安らかな「平穏死」を目指しています。
痛みと呼吸困難を和らげる治療がある
終末期に必要な治療は、栄養補給と痛みや呼吸困難の緩和でしょう。最近では開業医の先生のなかでも、緩和ケアができる人が増えてきました。また家庭用の酸素ボンベも手軽に使うことができます。
自宅で点滴などの栄養補給も可能ですが、これは医療関係者がかなり頻回にケアをする必要があります。また、がんの終末期に点滴やチューブで栄養補給をすると胸水や腹水が溜まり、それを抜く処置を週に1~2回しなくてはなりません。
ではいっそのこと、栄養補給を諦めてみてはどうでしょうか?
当然、食事も水分も受け付けなくなったら、1週間ももたないと思います。しかし栄養補給をせずに看取ってきた先生方の話を聞いてみると、意外に穏やかな死を迎えることができるというのです。
がんの終末期には、痛みや呼吸困難などの苦しさが伴います。その辛さが長引くよりは、いっそのこと栄養補給を断念して、苦しむ時間が短い平穏死を選ぶことも1つの方法でしょう。
看取りや緩和ケアの先生にお願いをして週1~2度ぐらい診察をしていただければ、自宅で平穏な死を迎えることは可能でしょう。
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私も自宅での看取りを強く希望しています。一番大きな理由は、病院のベッドにずっといることが退屈すぎるということです。慣れた自宅なら好きな時間にテレビをつけたり、本を読んだり、好きな物を食べることができます。
最後の1週間ぐらいは病院のベッドでも自宅のベッドでもあまり変わらないとは思いますが、それまでは自宅のほうがのびのびと療養できると思います。
また、看取る家族にとっても病院で長い時間ハラハラ待つよりは、自宅で時々顔を出すほうがよっぽど楽でしょう。多くの患者さんは「がんの終末期は病院でないとケアが難しい」と考えておられるかもしれませんが、栄養補給などをしないという決断さえすれば、自宅で平穏な最期を迎えることは十分可能だと思います。
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提供元:がん患う医師「道半ばで死にたい」に隠された本音|東洋経済オンライン