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2022.06.02

「ポイントをやめたらお金が貯まる」まさかの理由|「おトク」とはもれなく人間関係がついてくる事


近所の酒屋でスリゴマを買おうと思ったら炒りゴマしかなく、仕方がないので自分で擦りました。案外一瞬。しかも香りが良くて楽しい。なんだこれでよかったんじゃんと気づく至福(写真:筆者提供)

近所の酒屋でスリゴマを買おうと思ったら炒りゴマしかなく、仕方がないので自分で擦りました。案外一瞬。しかも香りが良くて楽しい。なんだこれでよかったんじゃんと気づく至福(写真:筆者提供)

疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第58回をお届けします。

「ポイ活」と縁を切ったら、モノを買わなくなった

さて前回、思い切ってポイントとすっぱり縁を切ってみたら、後悔どころか自由な生活&膨大な時間とエネルギーがわが手中に転がり込んできてまさかのホクホク大喜び! という実体験を書いた。

稲垣えみ子氏による連載58回目です。

稲垣えみ子氏による連載58回目です。

この連載の記事はこちら ※外部サイトに遷移します

きっとだれもが多かれすくなかれポイントに振り回された体験があるはずなので、まあここまでは、確かに言われてみればそうかもナ……と、そこはかとなく納得したようなしていないような気分にはなっていただけたのでは、と期待するところである。

だが無論、本丸はここではない。

今回はいよいよ本丸突撃である。すなわち最も肝心な「もう一つのこと」について。

ポイントをやめたら当然、ポイントを使うときより「割高」なものを買わなきゃならなくなるわけで、すなわち金銭的に損をするんじゃないか? という当然の疑問について。

はたして実際のところどうだったのか?

さっそく、結論から申し上げる。

いやもう、あまりにミもフタもない結論で申し訳ないような気もするが、実際、本当のことなんだから仕方がない。

具体的には、以下のようなことがわが身に起きたのであった。

まず、ポイントをやめると常時「割高」なものを買わねばならなくなる。ってことで、当然ながら買い物をするたびにチョッピリ重たい気持ちになる……っていうか、よくよく考えれば別に割高ってわけじゃなく単にフツウの値段で買うだけなんだが、ポイントがついた時のことと比較すればやはり「割高」感は否めないわけで、何を買うにも、うーん……なんだかなあ……と思わざるをえないのであった。

そう、この「重たい気持ち」!

このネガティブな感情こそがカギだったのだ。

私はポイントと縁を切って以来、買い物が「重く」なった。すなわち軽々しくものを買うことができなくなった。あれも欲しい、これも買おう、などとポイポイカゴにものを放り込むことができなくなった。

これ、本当に要る? ちゃんと使うのか? もしかして買わなくてもいいんじゃ? と、いちいち下っ腹にグッと力を貯めて「考える」ようになったのだ。

……いやね、こう書いていると改めて自分に呆れてしまう。だって日常品レベルではたかだか数十円とかせいぜい数百円とかの差の話だ。それだけのことでここまで慎重になるって、どんだけケチなんだか……でもバカとケチは死ぬまで治らず、それが案外プラスの効果をもたらしたのであった。

ポイントをやめたことにより、私は「本当に必要なもの」を「本当に必要な時」に「本当に必要な分」だけ買うという、50年の人生でほとんどやったことのない生活態度を突然身につけようとし始めたのである。一言で言えば、お金の無駄遣いということに対して非常に意識の高い人となったのである。

少し高くても笑顔が見える相手に払いたい

それだけじゃない。

どうせそんな「重たいお金」を払うなら、払う相手をちゃんと選ばせてもらおうじゃねーかという気持ちがふつふつと湧いてきたのだ。

すなわち、例えば同じ胡麻油を買うのならばですよ、どこのだれがどう儲けてるのか私の頭じゃ全然理解できないアマゾン様にポチッと払うとか、唯一の人が触れ合う場だったレジすら自動化されて自分が消費ロボットになったみたいな気にさせられる大型スーパーとかでじゃなくて、近所の小さな米屋で買わせてもらいますと。

だってそこでは元気なご主人がいつも店先にいて、ありがとうございますとニコニコお金を受け取ってくれる。何しろ「大金」を払うのだ!(←大げさ)。

ならばそれに見合った笑顔がちゃんと返ってきてほしいのである。ていうかそんな笑顔を見ることができたら数十円高いお金を払ったって全然納得。むしろ払ってよかったという気になるような気がしたのである。

ってことで、私は買い物に際し、買うモノだけでなく店も厳選するようになった。

するとこの2つの行動は手に手をとってダンスを始め、私はどんどん「買わない人」になっていったのだ。何しろ、言うてなんだがいつも同じおっちゃんが待っていてくれるような小さな店って、品揃えはまったく完璧ではない。小洒落た流行りの調味料なんて当然置いてないわけですよ。

となると、そもそも買うことに慎重になっていることに加え、その厳選した「買いたいもの」も、いざ買おうとすれば目当ての店には置いてないってことになり、ならばネットとかスーパーとかで買ったっていいわけですが、いったんこういうことを始めてしまうと笑顔もなくただお金を吸い取られることがどうにも「損してる」感が日に日に高まってきて、結局、近所の小さな店で手に入るものだけでなんとか生活を成り立たせるようになった。

例えば今買う調味料といえば、塩のみである。

……いやこんな人間、現代日本において私以外にはたして一人でもいるのか? とわれながら思わざるをえない厳選ぶりである。で、これが一般家庭にある山のような調味料類と比べていかに少ないかを想像していただければ、私がいかにお金を使わなくなったかが理解していただけるのではないだろうか。

自分の中で「おトク」の意味が変わった

この一連のことを言い換えるとですね、私は「おトク」という言葉の意味するものを、自分の中でガラリと変えたのだ。

一般的には「おトク」といえば無論、お金のことである。お金が節約できることである。当然、私も長い間そうと信じて疑わずに生きてきた。

でも今の私にとって「おトク」とは「もれなく人間関係がくっついてくること」を指すようになったのである。

買い物をするというただそれだけで、店の人、あるいは生産者とつながれる、つまりは友達が増える。それが私にとってのおトクであり、そうでないものを買うのは、つまりは何かを買ってもやってくるのは品物だけで、友達がついてこないとなると「めちゃくちゃ損してるじゃん!」と思わずにはいられないのである。

で、さらに話はこれだけでは終わらないのであった。

お金より人間関係が重要。はい。ついさっきそう書きました。

ところがですね、人間関係ができてくると、なんとその先に金銭的な「おトク」が待っていたのだ。いつも行く豆腐屋ではしょっちゅう油揚げを2枚買えば3枚包んでくれるし、米屋はいつも支払いの端数をカットしてくれるし、米ぬかはいつもタダでくれるし。酒屋兼よろず屋は賞味期限切れ寸前の商品を「よかったら持ってって」と握らせてくれる。

つまりはポイントと縁を切った先に、新たな、そして実に個人的な「ポイント」が舞い込んできたのであります。

ってことはですよ。私はポイントと縁を切ったつもりが、人間関係アンド金銭的なサービスという、二重の「おトク」を手にしたことになる。しかも無駄なものを買うことをやめてしまったのだから、これでお金が貯まらないほうがどうかしている。

つまりはですね……ポイントっていったい何だったんだ? 何のいいことがあったんだ? と思わぬ日はない。

いやほんと、ポイントっていったい何なんでしょうね……。

「貯金の少ない人」の家が散らかっている理由

と考えていたところで、非常に参考になる記事があった。

「貯金が少ない人の家は、たいてい散らかっている」というファイナンシャルプランナーの方の記事なんですが、その方、20年以上にわたって各家庭を訪問してお金の相談を受けてきて、得た結論がコレだというんですね。

なぜそうなるのかといえば、部屋が片付かない人、つまりはどこに何があるのか把握できないほどモノがそこらにあふれた暮らしをしている人は、自分にとって「本当に必要なもの(ニーズ)」と「単に欲しいもの(ウォンツ)」の区別が付いていないのだというのです。

あれも欲しい、これも欲しいとその場の欲望や思いつきで際限なくものを買っているうちに、何がどれだけどこにあるかもわからなくなる。こうなると結局、いつも何かが足りないような気になって、さらに際限なくものを買うことになる。

つまりは収拾がつかない部屋とは、収拾がつかない欲望の裏返しなのだ。これではいくら節約を頑張ったり、多少収入を増やしたところで穴の空いたバケツに水を汲むようなもので、貯金は永久に貯まらない――というわけです。

ポイントのカラクリ

なるほど。今の私にはそのことがとてもよくわかる。

ポイントってまさに、この「ニーズ」と「ウォンツ」の区別がつかなくなる巨大なエンジンなんじゃないか。

ポイントがつくから、買う。「ついさっきまでは買うつもりのなかったもの」「そんなに欲しくないもの」も、「あったら便利かも」「楽しいかも」と、つい買ってしまう。で、そこでゲットしたポイントを使って、さらに同じような、特に必要のないものを買ってしまう。つまりは身の回りに「ウォンツ」な品が雪だるまのようにエンドレスに増えていく。

これってよく考えたら別に不思議なことでもなんでもなくて、まさにそうしてほしいがために、売る側は「ポイント」を乱打するのである。ポイントをつけることで売る側が「損」するはずない。損どころか最終的には「得」をしなければならない。慈善事業じゃないんだから当前のことである。

結局、売る側が「おトクです」って言う時、だれがトクをするのかというと、それは買う側じゃなくて売る側なんですよね。その当然のことに気づくまで、私も多くの無駄金を使いまくってきた。でも今となってはそのカラクリがよくわかる。

そうなのだ。人が生きていくのに必要な物(ニーズ)なんて、本当に驚くほどちょっとしかないのである。私はポイントをやめたことで、そのことにがっちりと気づいてしまった。となれば、生きていくのに必要なお金も本当に驚くほどちょっとしかなかったのである。そのことに気づくか気づかないかは実に大きいことは言うまでもない。

お金の不安から逃れる方法は、結局のところ一つしかないのではないだろうか。それは、お金がなくても満足して生きていけるマインドを身につけること。

それはものすごく難しいことのように多くの人が信じ込んでいるけれど、実はそうでもないんだよね。満足して生きていくために必要なお金なんてほんのちょっとしかないのだと気づくことさえできたなら、一瞬にしてほとんどの心配事は雲散霧消してしまうのである。

広告に代わる資本主義のカンフル剤が「ポイント」

でも当然、そんなことにみんなが気づいてしまったらモノはちっとも売れなくなっちゃうわけで、つまりは資本主義社会におけるモノを売る会社って、いかに「いらないものをいかにいるように見せるか」が勝負なわけですよ。

で、これまでは「広告」ってものがその役割を担ってきた。今これが流行ってるから買わなきゃ時代遅れになるとか、これさえ手に入れたらバラ色の人生が手に入る、みたいなイメージを人々に植えつけようとしてきた。広告が資本主義のカンフル剤だった。

でもそれもだんだん効かなくなってきたんですよね。だってみんなモノはもう本当にあふれるほどたくさん持ってるんですから。で、そこで発明された新たなカンフル剤が「ポイント」なんじゃないでしょうか。で実際、みんなそれに夢中になってるわけです。

というのが、ポイントと縁を切り「目が覚めた」今の私の見解であります。

さて皆様はどう思われるでしょうか。

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「ポイ活」をやめたら「お得」なことばかりのワケ

提供元:「ポイントをやめたらお金が貯まる」まさかの理由|東洋経済オンライン

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