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2022.02.28

34歳がんで逝った編集者がネットに刻んだ15提言|20年以上前のHPが今も当時のまま守られている


Ken's Home Pageに残された編集者としての言葉の数々(筆者撮影)

Ken's Home Pageに残された編集者としての言葉の数々(筆者撮影)

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故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。

故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第15回。

伝説的な編集者が社内に残したホームページ

<我々は、企画屋(プランナー)であり表現者の端くれである。しかも、書籍という「他人に理解してもらうためのもの」を作っている。それなのに、社内に企画書を通そうというときに、説明する努力の前に「この人は分かってくれない」という理由であきらめてしまうときがある。だが、僕はこう思っている。上司を説得できない企画書が果たして読者を喜ばす企画なのだろうかと。

いや、そんな理想論ばかりではないでしょという声もあるかもしれないが、上司が「OKしそうなつぼ」を見つけ出して、どんな企画でもOKを取ってしまうというのも私は1つの編集技術だと思っている。つまり、企画書とは「対象読者=上司」という書籍のようなものだと考えればよいのだ。そして、目の前にいる上司を読者として分析したものは、今後上司以外の読者を分析する際にも参考になるだろう。

これから私以外の誰かが上司になるわけだが、この気持ちは忘れないで欲しい。新しい上司が「だめ」って言ったら「ほう!この企画書ではつぼは押せなかったのね」というぐらいの気持ちでいて欲しい。>

(Ken's Home Page/Thinking Path/2000年1月28日「「分かってくれない!」ではなく分からせる力をつけよ」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/tpath/20000128c.htm)

「Ken's Home Page」というホームページがある。34歳の若さで亡くなった編集者・山下憲治さんの個人サイトだ。

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所属する会社は1992年創業のインプレス。画像をふんだんに使って手順を解説するITツールのガイド本「できるシリーズ」や、日本初のメール新聞として創刊した「INTERNET Watch」、パソコン関連の情報を発信する「PC Watch」などの運営で知られる。

山下さんは、その「できるシリーズ」を生み出し、「INTERNET Watch」や「PC Watch」を立ち上げて編集長を務めた。その功績は、同社の会社概要にいまも特別功労者としてその名が刻まれていることからもうかがい知れる。

Ken's Home Pageは株式会社インプレスの「特別功労者」欄の山下憲治さんの氏名にリンクされている(筆者撮影)

Ken's Home Pageは株式会社インプレスの「特別功労者」欄の山下憲治さんの氏名にリンクされている(筆者撮影)

山下さんがKen's Home Pageを立ち上げたのは晩年のことだ。主に会社のパソコンを使って更新し、2000年1月28日の最終更新では後進に向けたと思われる15本の記事を一気にアップしている。

この簡素なサイトは、それから20年以上経ってもインプレスが公式に守り続けている。そこにはどんな意味があるのか。サイトの成り立ちを追っていくと見えてくる景色がある。

「できるシリーズ」「INTERNET Watch」躍進の背後に病魔

Ken's Home Pageの「プロファイル」ページに山下さんの経歴が書かれている。1965年に熊本県で生まれ、筑波大学情報学類を卒業した1988年に株式会社アスキーに入社。その4年後に株式会社インプレス(現インプレスホールディングス)が設立され、山下さんも創業メンバーとして新会社に籍を移した。

それから数年で頭角を現し、1994年3月にはできるシリーズ第1号となる『できるExcel5.0』を刊行し、1995年11月にメール新聞として「INTERNET Watch」をプレ創刊(1996年2月に正式創刊)するなど現在に至る数々の実績を残している。編集者として脂の乗りきった時期とインターネットの台頭が重なり、水を得た魚のように躍動していた。しかし、体調面ではこの頃から万全とはいえなくなっていた。

<30を過ぎたあたりから、結構体力が下降線をたどっているのを実感していたんですよ。あれは、確か「できるシリーズ」を立ちあげて、地獄の「素朴な疑問に答える本」を作っている頃です。はじめて会社で倒れたのは。午前中まで元気よく「入稿も終わったし、次の企画会議だ!」と盛り上がっていたのに、午後になったら突然気分が悪くなって。>

(Ken's Home Page/Last 1 Hour/1998年7月9日「保険の伝道師となった私」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/last1/980709.htm)

「素朴な疑問に答える本」の正式名称は『NetWare 素朴な疑問に答える本』で、1994年4月に刊行されている。多少記憶の食い違いがあるものの、30歳前後から体調が優れないことを自覚するようになったのは確かなようだ。

そして1998年に入ると消化器系の不調が無視できなくなる。当時INTERNET Watchで編集長として連載していた「火曜コラム(旧金曜コラム)」の最終更新には兆しが残されている。日付は1998年2月17日だ。

<ここ1、2週間胃がむかつく。これに風邪も併発して気分も食欲も最低となり、ついにお休みを頂いた。健康なときに休むのならいろいろ楽しいこともできるのだが、なにせ病気で休むとなるとテレビを見るぐらいしか楽しみはない。>

(INTERNET Watch/火曜コラム/1998年2月17日「IDナンバーディスプレイと匿名性」/https://internet.watch.impress.co.jp/www/column/chief/index.htm)

不調が深刻化し病院で詳しい検査を受けると、小腸がんとの診断が下された。腹膜への転移もあり、「見込み違いで2回も手術をした」という。

「火曜コラム(旧金曜コラム)」に残る体調不良の兆し(筆者撮影)

「火曜コラム(旧金曜コラム)」に残る体調不良の兆し(筆者撮影)

その後回復して職場復帰を果たし、1998年6月に所属は書籍統括編集部に移った。山下さんが現存するKen's Home Pageの更新を始めたのはその翌月のことだった。同社スタッフ用のドメインを使い、「火曜コラム」と似たテイストの「Last 1 Hour」と、編集者としての考え方を綴った「Thinking Path」を気ままに更新するようになる。

サイトの更新時期にみる2つの山

Ken's Home Pageの更新の山は2つある。ひとつは1998年7月初旬から9月初旬までの2カ月間で、静養と体調回復を優先した本格的な復帰への助走時期にあたる。

<昨日(8/31)から今日にかけて3ページも書き上げている。これは何も会社をさぼって(まー結果的には会社には行っていないから同じか)いるわけではない。実は病院の待ち時間中に書いているのだ。1時間、2時間なら早いほう。3時間は当たり前。4時間あたりから「今日は遅いなー」などと感じていなければやってられないという、この病院の「待ち」のシステムはいったいどうなっているのだろうか?
(略)
術後一応快復している私だって、4時間も待たされた日には、もう会社には行きたくないぐらい疲れ切ってしまう>

(Ken's Home Page/Last 1 Hour/1998年9月1日「病人よ待ち時間に怒れ!」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/last1/980901.htm)

それから2000年に入るまでの更新は2回だけで、ほとんど放置された状況が続いた。そして、2000年1月28日に突如15本もの記事が一斉にアップされる。これが2つめの山であり、メインの記事としては最後の更新となっている。冒頭で引用したものも含めて列挙する。

・日常こそアイデアの宝庫だ
・イメージ――想像せよ!
・「分かってくれない!」ではなく分からせる力をつけよ
・マーケティング型企画よりイマジネーション型企画
・アイデアは人に話せ。できればMLへ
・人にアイデアを話さない人はアイデアを実現できない
・普通の人でいつづける努力
・原稿を疑い、自分を疑い、そして著者を信じよ!
・上司の赤は直すだけではだめだ
・著者に会おう。デザイナーに会おう。
・上司は使うもんだ!従うものじゃない
・普通の本を普通に作れるようになろう
・煮詰まることなしに新しいものは生まれない
・自分が得た知識を本に反映させよう
・不満はちゃんという。言わなかった不満はないものにする覚悟を

編集部の部下に向けて発したメッセージ

最後の15本はそれまでの投稿と明確に空気が違う。それまではどちらのコーナーも、世の中の多くの読者に向けて名うての編集者が発信するコラムという風合いだった。しかし、最後の15本は後進、さらに絞れば編集部の部下に向けて発したメッセージという色彩が非常に濃い。一例を挙げる。

<みんなまじめな編集者だ。だから、自分の作る本が自分の知識の範囲を超えたときは、類書を読んだりして、本の内容がわかるように勉強している。だが、ときどき残念に思うのは、せっかくがんばって著者の原稿を理解したのに、それが「読者向け」に反映されていないという場合があることだ。

類書を読まなければ理解できない原稿というのは、はっきり言って「不合格」な原稿だ。だから、なぜこの原稿が類書より理解しズラいのか?それとも、類書とは違うことを主張したいのか?こういうことを著者とはっきりつめて、「類書なし」でも読み易い原稿にしなければ、せっかくの勉強が単に編集者一人のためのものになり、何万の読者のものにならない。

編集者の勉強は自分のためではない。読者のためなのだ。そこを誤解しないようにしなければならない。>

(Ken's Home Page/Thinking Path/2000年1月28日「自分が得た知識を本に反映させよう」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/tpath/20000128n.htm)

山下さんが異動した頃の直販事業サイト「impress Direct」(Internet Archiveより)

山下さんが異動した頃の直販事業サイト「impress Direct」(Internet Archiveより)

最後の15本を更新した後、山下さんは編集部署から離れ、通販事業を行う「インプレスダイレクト」に異動した。体調を鑑みて会社が下した決定であり、おそらくはもう編集の職には戻れない可能性が高いことを自覚していた。だからこそ、自分が得た知見を余すことなく後進に伝えるため、Ken's Home Pageという自分が自由に書ける場で筆を振るったのではないか。

ただ、特定の相手に伝えるならメールでいいはずだ。紙の雑誌とメールとウェブ、それぞれの特性を熟知した山下さんが部下に向けたメッセージをあえて個人サイトに書き込んだのは、自分が職業人として得た知見を部下はもちろん、より多くの人に伝えたい。そういう編集者としての最後の願いが込められているように思える。

自分らしい治療スタイルを手探りで手に入れた

その後の山下さんの動静と心境は、『がんとの闘い方は自分が決める』(安斎尚志・松本康男著/KAWADE夢新書)で推し量れる。

2000年11月に刊行された『がんとの闘い方は自分が決める』(安斎尚志・松本康男著/KAWADE夢新書)

2000年11月に刊行された『がんとの闘い方は自分が決める』(安斎尚志・松本康男著/KAWADE夢新書)

2000年6月11日にNHKで放送された『NHKスペシャル 世紀を越えて がんと闘う――患者主役の治療へ』の取材をベースに、取材班の2人が執筆した新書だ。通販部署に移って間もなくの頃、山下さんはこの番組のインタビューに応じている。

本連載『ネットで故人の声を聴け』が書籍化され、光文社新書から3月17日に刊行されます。

本連載『ネットで故人の声を聴け』が書籍化され、光文社新書から3月17日に刊行されます。

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本には朝から夜7時まで職場で働き、夜に病院に通う山下さんの様子が残されている。3週間ごとの抗がん剤治療のときだけは5泊6日で入院し、それ以外の日は仕事と家庭の時間が持てるように時間を最適化してがんと向き合う。夜間診療を含め、患者の生活の質の向上を重んじる医師を探しだすなどして、自力でたぐり寄せたライフスタイルだ。

今でこそ患者が治療方針の決定に参加する共同意思決定(Shared decision making=SDM)は広く受け入れられているが、2000年当時は患者が治療のスケジュールや方針の希望を通すのは難しいところがあった。何しろ詳細な病状さえ本人に伝えられないことが多かった時代だ。実際、最初に小腸がんが発覚したときは、腹膜への転移がみとめられたことは家族にしか伝えられなかったという。山下さんはこんな言葉を残している。

<前の入院のとき、病院なんかで死にたくないと思ったし、実際ね、やっぱりこう、人生の中で死にたいんですよ。隔離された中ではなくて、その、生きてる中で死にたいんですよね。変な言い方ですけど。>
(『がんとの闘い方は自分が決める』)

「生きてる中で死」ぬためにはできるかぎり現状を把握して、現実的に選べる選択肢から最善を選んでいくしかない。だから、体調が悪化していくなかで編集の仕事が続けられなくなったことも受け入れた。また、体調の悪化で選択肢が狭まっていくなかで最善を選び続けるには、自分のなかの優先順位を明確にしておく必要もある。そこも山下さんは備えていた。

<正直いって、いまは家庭で妻と息子と一緒に時間を過ごすのが、生きてるというか、いちばん楽しい時間ですよね。もちろん仕事も好きですけど、こういう病気になったので、ある種、やっぱり普通の人よりは残り時間がすごく短くなったわけで、その中では家族との時間っていうのはいちばん楽しいし、いちばん大事にしたいですね>
(『がんとの闘い方は自分が決める』)

放送は反響を呼び、翌月の7月2日に再放送することがすぐに決まった。取材班がその許諾を取ったとき、山下さんは肝機能障害が起きて自宅静養をしていたという。亡くなったのはそれから間もなく、7月7日のことだった。

創立25周年に電子書籍版を発行

小腸がんが発覚して2年2カ月。会社は山下さんの病状を理解し、山下さんに最適な環境を絶えず模索していた。手術直後は週2日ペースで在宅勤務を認めていたし、抗がん剤治療で入院する際のサポートも厚かった。そして、山下さんの没後も残されたものを大切にしている。

Kindle版の『Ken's Home Page インターネット草創期に活躍した若き編集者のメッセージ』(筆者撮影)

Kindle版の『Ken's Home Page インターネット草創期に活躍した若き編集者のメッセージ』(筆者撮影)

インプレス創設25周年の2018年4月、グループの電子出版事業会社はKen's Home Pageの電子書籍版とプリント・オンデマンド(POD)版を発行している。同書の冒頭には、刊行の背景についてこうある。

<インプレスは山下氏の活動を評価し、特別功労者として表彰しており、その一環として山下氏の個人ページを17年以上が経過した今でも、当時のまま残しています。しかしながら、当時を知る人も少なくなる中、なんらかの理由によりこのページにアクセスできなくなる日がこないとは言い切れないもの現実です。そこで、電子書籍とPOD(プリント・オンデマンド)の両形式で出版することで、記録として残すことを選択しました。>

(『Ken's Home Page インターネット草創期に活躍した若き編集者のメッセージ』/刊行にあたり)

ほとんどのことはネット上だけで起きていない

2022年2月現在も、Ken's Home Pageは企業サイト配下のコンテンツとして管理されている。同社が存続する限り安泰のように思えるが、インターネットは半永久的に残る特別な場ではない。山下さんもこう書いている。

<ポジティブな意味でもネガティブな意味でもインターネットを特別視する人は多い。もちろん、インターネットは今までのメディアの様々な障害を打破する画期的なツールである事は言うまでもない。でも、それは「それだけのこと」なのである。
(略)
インターネット上で起きていることのほとんどは、別にインターネット上だけで起こっている訳ではない。むしろ、インターネット以外の現実社会で起こっていることの一部がようやくインターネット上で行われているだけなのである。>

(Ken's Home Page/Last 1 Hour/1998年8月5日「なんでインターネットは特別なの」/https://www.impress.co.jp/staff/ken/last1/980805.htm)

山下さんのサイトはいまも残っていて、誰でもいつでもアクセスできる。それがインターネットの画期的なところだが、確かにそこは「それだけのこと」かもしれない。凄味はやはり、その先に残されている。

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提供元:34歳がんで逝った編集者がネットに刻んだ15提言|東洋経済オンライン

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