2021.11.30
「最安値を求めてネット検索」が不幸につながる訳|現代人が陥りがちな「人生をダメにするワナ」
夕方疲れて帰宅するとドアにこんな紙袋が! 中にはなんと、近所のおばちゃんが作った揚げたての天ぷらが! 間違いなく現代における奇跡(写真:筆者提供)
疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第34回をお届けします。
うっかり「奪う人」になっていた私
金持ちもそうでない人も、国民こぞって「老後の資金が足りません!」と戦々恐々と生きざるをえない世の中で、「いや……必要なものはもらって生きるんで何の不安もないですがそれが何か?」というジョーダンのような暮らしを実践している身として、もしあなたもこのような桃源郷すなわち「もらう」生活に至りたいと思えば、まずは「あげる」ところからスタートせよと前回、熱くアドバイスをさせていただいたところである。
稲垣えみ子氏による連載34回目です。
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何度も言うが、これは実に肝心なところだ。
なぜって、いきなり「もらう」ところからスタートしようとすると、ふと気づけば、絶えず「スキあらば誰かから何かをもらって(奪って)やろう」と虎視眈々と狙っているというトンデモナイ人になってしまい、当然のことながら友人も知人も用心してサーっと離れていってしまうことはほぼ確実だからだ。
親切な人に囲まれたノホホンライフを目指すはずが、まさかの孤独な人生まっしぐら! なので間違ってもそんなところからスタートしてはいけないのである。
……と、このように書くとですね、多くの人が「そりゃそーだよね」とフンフン頷く姿が目に浮かぶようだ。
そう、まるで他人事のように。
でもですね、少し胸に手を当てて考えてみてほしい。
あなたは本当に、これを他人事と言い切れるだろうか? もしかして自分でも気付かぬうちに、いつの間にやらすでに、っていうか実はとっくの昔から、うっかりそんな「奪う人」になってしまっていやしないだろうか?
こんなことを言うのにはもちろん理由がある。
何を隠そう、それはかつての私なのだ。
もちろん、そんなつもりなどなかった。ただただ、自立して賢く生きねばと自分なりに真面目に努力してきたつもりが、知らず知らずのうちにそのようなことになってしまっていた。
そしてそんなことになってしまっていることにはまったく気づかず、こんなに頑張っているのになぜ満たされないのか、なぜ人生はこうもうまくいかないのかと不満と不安ばかりを募らせていた。
しかし今にして思えば、その「うまくいかない原因」はすべて、この「入り口」を間違えていたことに端を発していた気がするのである。
つまりはですね、この「あげる」から始めるか、「もらう」から始めるかということは、地下経済うんぬんという話に限らず、誰もが人生というものを健やかに安心して生きるための大きなコツなんじゃないかと思う今日この頃なのである。その能力を意識的に磨き、伸ばして行った先に、「もらって生きる」という究極の暮らしが待っているのである。
「同じものを買うなら値段が安いほうを選ぶ」のワナ
というわけで今回は、何はともあれ、現代のほとんどの人が陥ってしまっている、この「人生をダメにするワナ」について書いてみたい。
このワナに陥るのは、実に簡単なことなのだ。
それは例えば、こんなことである。
何かが欲しい、何かが買いたいと思ったとしよう。なんでもいい。そう例えば、今の私が買いたいと思っているもので言えば。ハトムギであります。そうなの。トシのせいか脇腹にポツポツと可愛らしい水イボが出てきたので、健康のためご飯に混ぜて炊く「ハトムギ」を手に入れたしと思う昨今。
で、近所の自然食品店にちゃんとありましたよハトムギ。でも、やや想定を超えたお値段が……となると、現代人の多くはここでネットを検索するわけですな。もちろん、ありとあらゆるハトムギが出てくる。
それを比較検討し、一番安いやつで、できれば送料無料を狙ってポチッとする。これぞ、瞬時にしてあらゆる価格を比較検討できるというスーパーな能力を手に入れた現代における正しい消費者というものである。
もちろん、リアル店舗であっても同じことだ。同じものを買うなら当然、値段が安いほうを選ぶ。こうした消費行動は、今や当たり前にわれらの標準仕様となった。
え、そんなの昔からそうだろうって? いやね、これがそうでもないんだな。私が子供の頃(半世紀前)は、買い物とは基本的に近所の馴染みの相手から買うものだった。わが母も、いつも行く八百屋に申し訳ないからと、ちょっと足を伸ばしてスーパーへ行くことを遠慮していた。
子供心に「どこで買おうと自由じゃん。ヘンなの!」と思っていたけれど、当時は「付き合い」とか「義理」ってものの優先順位が今よりずっと高かったんだよね。
でも昨今は、そんなことやってる人はほぼ誰もいない。そんな余裕はないんである。
われらが政府がここ何年も「成長なくして分配なし」だの「分配なくして成長なし」だのとマジナイのように唱え続けているということは、要するにわれらは容易には成長しえない社会の中をどうにか生き抜かねばならないということでありまして、それはもはや子供でも知っているミもフタもない真実だ。
となればこの先収入が増えるなどと当てにできるはずもなく、無駄金など1円でも使ってる場合じゃない。しっかり情報を集め、おトクなものを逃さず、一言で言えば「コスパ最高」ライフを送らんと、そこに少なからぬエネルギーを注ぐのが真っ当な現代人の人生というものなのである。
で、当然のことながら私もそうやって生きてきたわけです。
会社を辞めて「経費節減」に励んだら
そしてそのような生活態度は、会社を辞めることになってさらに切羽詰まったものになった。
だって何度も書きますが、会社を辞めるとは給料が1円ももらえなくなるということであり、それは経験したことのない非常事態にほかならなかった。となれば当然「無駄金」を使うことにはこれまで以上に厳しく目を光らせねばならなかった。それは、なんとかして人生を生き抜くためのマジで喫緊の課題となったのだ。
そしてやってみて初めてわかったんだが、これはもうまったく簡単なことじゃなかった。何しろ必死に節約しなきゃならないにもかかわらず、会社を辞めた途端になぜか自動的に支出が増えまくってしまうという、「泣きっ面にハチ」としか言いようのない恐ろしい事態が待ち受けていたのだ。
例えばですね、仕事に使う携帯電話もパソコンも、これまでは会社がタダで貸与してくれていた。通信費も会社持ちだった。でも辞めれば当然、すべて自分持ちである。仕事のための交通費も宿泊費も同様。郵送費も本などの資料代も自分で捻出しなければならない。もちろん家賃の補助などあるわけもなし。
つまりは、これまでは仕事の経費といえば会社が払ってくれるものであり、私は「経費で落とせるかどうか」だけを気にしていたわけなんだが、今や、経費を払うのは「自分」なんである。仕事をしようと思えば、経費の分は他の誰でもない自分が稼がなきゃどーにもなんないんである。で、その稼ぐあてが当面のところ全然ないんである!
……いやね、こんなこと、自営、あるいはフリーでやってる人には常識中の常識なんでしょうが、人生といえば「サラリーマン人生」のこととしか思っていなかったアホな私には、この基本的なことが、実際に会社を辞めるまでこれっぽっちも理解できていなかった。
まったく人とは(っていうか私とは)おそろしく愚かな生き物であるヨと今さらながらに気づいたがもう遅い。
で、慌てて試みたのが、当然ながら「経費削減」であります。
そうコストカット。一人カルロス・ゴーン。当然だ。だって収入はとりあえずゼロなんだもん。そして年金が出るまでには10年以上あるのだ。その間の収入はまったく保障されていないのである。となれば、何はともあれ支出は1円でも減らすべく全神経を集中させねばならない。
一円でも安い「名刺」を探して気づいたこと
で、まず取りかかったのが「名刺作り」である。
いやね、これもお恥ずかしい話、会社を辞めたら名刺を自分のお金で作らなきゃならんのだと気づいたときは、それだけでひどくショックを受けた。社会に出て以来、名刺とはトーゼン会社が作ってくれるものだった。いやはやこんな細かいところにも支出が発生するのか!
衝撃のあまり「名刺なんてそもそもいらないんじゃ……」という考えも頭をよぎったが、日本のビジネス慣行を考えれば、初対面の人に名刺をいただいてこちらは何も出さないのはどう考えても「失礼」にあたる。
これはやはりまずい。だってこれからは何の後ろ盾もなく一人でやっていくのだからして、ゼロから信用を積み上げていかねばならないのだ。いきなり失礼を働いている場合ではない。となれば、金は惜しいがやはり名刺は作らねばなるまい。
というわけで、仕方なく名刺作りにとりかかった。
頼りはもちろんネットであります。価格を比較するのにこれ以上便利なツールはないよねほんと。で、今さらながら、改めてびっくりこいてしまった。「名刺」「安い」で検索したら。出るわ出るわ! 信じられないような安値のオンパレードである。
なるほどネット社会とはすんごい競争社会でもあったのだ。1枚5円以下なんてのがあって驚いていたら、そんなの序の口。2円以下なんていうのもあるじゃありませんか。ああなんてありがたいんでしょう! 多種多様の業者が価格の安さと仕上がりの早さを競いまくっていて、目移りしている間にあっという間に時間が過ぎていく。
でもそうやってホクホクと各社のサイトに次々アクセスしていくうちに、どうも落ち着かない気持ちになってきた。
そもそもが安いので、ほとんどミクロの戦いである。調べれば調べるほどに、各社の努力と苦労がしのばれるのであった。次第に、いったいこんな値段でどうやってモトを取るのだろうかと心配になってくる。
……いやいやいや、そんな人様の心配などしている場合じゃないでしょ! 今はとにかくシビアに比較! ちょっとでもおトクに!
だが。一度生じてしまった疑問はなかなか去って行かなかった。
このミクロの戦いを繰り広げる人々の苦労が、他人事とは思えなくなってきたのである。彼らは明日の私であった。世間の荒波に生身をさらし、厳しい競争社会の只中をどうにかして生き残らねばならないのは、会社という大きな後ろ盾を失ったこれからの私そのものなのである。それはもはや「人様の心配」じゃなかった。「私の心配」なのだった。
「合理的な行動」の結果、損をする人の存在
そう気づいてしまったら、もうダメだった。少しでも安いものをとガツガツクリックすればするほどに心は沈んだ。クリックした画面の向こう側に、働けど働けど買い叩かれて楽にならず、暗い顔でじっと手を見る「誰か(=明日はわが身)」の姿が透けて見えるようだった。
私はこれからそんな暗い競争社会をたった一人で生きぬいていかなきゃならないのだと思うと、今さらながらに背筋が凍った。
そうこの時、私は生まれて初めて、自分の合理的な行動、すなわち「同じものを買うなら一円でも安く」という行動の向こう側で何が起きているかを真剣に考えたのである。
確かに、私はトクをする。でもその先では、誰かが損をしている。私の行動は、何かとてつもなく暗いものにつながっているんじゃないだろうか? そしてその暗いものの先には、間違いなく自分もいるんじゃないだろうか?
つまりは自分が生き残るために、自分のささやかな幸せのためにと懸命にやっていることが、もしかするとほかでもないその自分を不幸にしかねないんじゃないだろうか?
でも、じゃあいったいどうしたらいいんだ? 出口はどこにも見当たらなかった。私はどこまでも孤独だった。
(第35回につづく)
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提供元:「最安値を求めてネット検索」が不幸につながる訳|東洋経済オンライン