2021.10.31
「余命10カ月」宣告された男が10年生きて見たもの|「戦いなさい」医師の一言が道を開いた
長谷川一夫さん(前列中央)と闘病マンガを作った高校生たち(写真:長谷川さん提供)
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国立がん研究センターの統計によると、2016年にがんと診断された約100万人中、20歳から64歳の就労世代は約26万人。全体の約3割だ。
だが、治療しながら働く人の声を聞く機会は少ない。仕事や生活上でどんな悩みがあるのか。子どもがいるがん経験者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ」の協力を得て取材した。
2010年に肺がんステージ4の告知を受けた長谷川一男さん(50)は今年1月、高校生たちに闘病の軌跡をマンガ動画にしてもらった。約11分間の動画制作が、長谷川さんと高校生たちの双方に起こした変化を紹介する。
「キャンサーペアレンツ」 ※外部サイトに遷移します
「闘っていいんだ!」と気づかせてくれた言葉
長谷川さんの闘病の軌跡をまとめた原案をもとに、関西文化芸術高校の生徒たちが制作したマンガ動画「#私とがん」は、次のセリフから始まる。
「ある医師から貰った言葉
『一日一日を大切に生きてください』
またある医師から貰った言葉
『戦いなさい。人には役目がある。』
余命10カ月と診断された僕に
道を示してくれた
大切なふたつの言葉だ」
肺がんのステージ4で余命10カ月。2010年に長谷川さんはそう診断された。
病気の過去のデータから、半数の患者が亡くなると予測される時期を医師は「余命」として伝えることが多い。だが、余命より早く亡くなる人もいれば、より長く生きる人もいる。
長谷川さんは当時、さらに2人の医師にセカンドオピニオンを求めた。上記の「大切なふたつの言葉」とはその2人からのものだ。
長谷川一男さん(写真:長谷川さん提供)
肺がんは、重症化しないと自覚症状がない。長谷川さんは経験したことがない激しいせきが1週間以上続き、38度以上の高熱がそれに重なり、やがて首の付け根が見たこともないほど腫れ上がった。タバコをいっさい吸わない長谷川さんが発症したのは肺腺がんで、喫煙歴がない人でも発症する。
連載12回目の松本みゆきさんと同じがん。長谷川さんは振り返る。
「ステージ4の告知を受ける前後は、トイレで力むと失神したり、肺に血栓(血の塊)ができる(息切れや胸や背中の痛みにつながることもある)など、体調が急激に悪化していきました。ですから治療について説明を受けても、当時の私はもう『それでお願いします』と言うしかありませんでした」
松本みゆきさん ※外部サイトに遷移します
医師から言われた言葉で気づいた可能性
セカンドオピニオンを求めた2人目の医師は、厳しい診断を伝えた後、ふいに長谷川さんに「子どもはいるの?」と聞いてきた。長谷川さんの妻は質問を聞いただけで泣きだしたが、彼は努めて冷静に「小学生と幼稚園の2人います」と答えた。
(マンガ:マンガ動画「#私とがん」より)
「長谷川さん、いいかい。人には役目がある。あなたは子どもを育てるという役目があります。がんは治らないだろう。しかし、ほんのわずかな可能性がないわけでもない。闘いなさい。闘え!」
心身ともに防戦一方だった長谷川さんは、その言葉に目からウロコが落ちた。
「病気への考え方という武器を、手渡してもらえた気がしました。それまでは『これで終わるんだ』と思っていましたが、あの言葉で『闘ってもいいんだ!』と。医師が言うように可能性は小さいけど、今後の治療次第では自分にも選択肢が生まれる。それに気づけたことはありがたかったです」(長谷川さん)
以降、彼が心がけたのは医師や看護師に積極的に質問したり、自分なりに病気について調べたりして正しく怖がること。そのうえで自分なりに闘うことだ。
(動画:YouTubeチャンネル『ワンステップ【がんサバイバー】』より)
そんな転換点から、音声付きマンガ動画にもつながっていった。長谷川さんの話をZoomや講演で聞いた高校生たちが6カ月間かけて今年1月に完成させた。高校生たちは動画制作を通して何を、どう学んだのか。
揺れ動く感情を表現する難しさとやりがい
「今まで『がん=死』というイメージでしたが、長谷川さんからお話を伺って、ガラッと変わりました。とてもはきはきと話される方で、いわゆる『ザ・病気の人』という感じではなかったんです」
田中莉多さん(画像提供:関西芸術文化高校)
関西文化芸術高校3年の美術専攻で、日本画を学ぶ田中莉多(りた・18)さんはZoom越しにそう話した。長谷川さんが「肺がんのステージ4」と診断されたのは2010年2月だから、彼女が驚くのも無理はない。作画を担当した田中さんは日本画が専門ゆえにマンガを描くのが当初難しく、戸惑いも大きかったという。
「長谷川さんもご家族もずっと病気を抱えていらして、心の底から笑っていない微妙な感じを出せるようにと、作品全体を通して意識しました」
たとえば、せきがひどくて今晩はそばにいてほしいと懇願する長谷川さんに、妻が「朝目が覚めたら、私はいませんよ」と伝える場面。翌朝には登校や登園する2人の子どもたちの世話があるためだ。
「あまりキラキラした目だと奥さんが生き生きした表情になるので、目の色を少し暗めに抑え、長谷川さんへのやさしい気持ちだけじゃなく、病気に対する悲しみも折り込みました」(田中さん)
(マンガ:マンガ動画「#私とがん」より)
それ以外にも想像だけでは描けない難しさや、実際にあったことを表現する際の責任。「もし間違ってたら?」という不安などもあったと振り返った。
遠田はなさん(画像提供:関西芸術文化高校)
声優志望で、同校のパフォーマンス専攻で学び、今春卒業した遠田はなさん(19)。遠田さんは3年生の冬に、長谷川さんの妻役の声を担当した。
「できあがったマンガを見ながら、個々の場面の奥さんの表情を確認していくと、一見苦しそうだけど、気持ちは前向きなんじゃないかと感じる場面も多かったんです。さまざまな感情に揺れ動く中でも、前向きなもののほうが強かったんじゃないか、と私なりに想像しました」(遠田さん)
たとえば、田中さんが挙げた場面の直前。今晩は病室にいてほしいと懇願する長谷川さんに、両方の目元に涙をためた妻が、「うん、ここにいるよ、一男くん」と伝えながら、長谷川さんの手を両手で包み込む場面がある。
「咳き込むご主人を前に奥さんも苦しかったはずなんですけど、マンガではほほ笑まれているんですよ。それは目の前のご主人や、自宅で待つ2人のお子さんを自分が支えていくぞという、強い覚悟の表れでもあるんじゃないかって……」
彼女はそのセリフを切なげだが、凛々しさをも感じさせる声で演じている。
家族でも同級生でもないがん当事者たちの揺れ動く思いを、高校生なりに想像をめぐらせること。作画担当や声優としてそれを表現すること。時間の長短にかかわらず、2人には貴重な体験だったことがわかる。
従来のがん授業とは一線を画す新たな可能性
長谷川さんが、これまでに小中高校で担当したがん授業は10回程度。がん闘病の軌跡を話す一般的な授業だ。自分のがん体験が子どもたちの役に立ち、生きる力につながっていくという実感は、それまでもあったという。
今回の動画は、長谷川さんの闘病をプロの書き手が取材して書き上げたマンガ原案がまずあり、それを動画にしてくれる人を探している中で、関西文化芸術高校とのつながりが生まれた。高校生たちと向き合った感想はどうだったのか。
「自分の高校時代と比べても、ずいぶん大人だなぁと思いました。自分の意見をしっかりと持っていて、ものすごくしっかりしているなぁと」(長谷川さん)
完成動画も彼の想像を超えていた。個々の画質は高く、高校生たち自身が先に語ったとおり、悲しみや喜びなどの相反する感情が、長谷川さんや妻の表情や声などにきちんと表現されていて驚かされたという。
「今回のマンガ動画は、自分のために、家族のためにと七転八倒していた発症当初の話が中心で、『自分はいったい、何のために生きているんだろう?』と、わからなくなったりもした時期でした。高校生たちがこれから何らかの困難に直面したときに、僕の話を少しでも思い出してくれたら、もう、それ以上の幸せはないですね」
同校の大橋智校長(40)は長谷川さんと接する中で、一見淡々としながらもその強い意志を感じたという。
「がんは必ずしもすぐに死ぬ病気ではない。それを伝えようとする強い思いに感銘を受けました。当事者や家族の思いを含めて自分が何を、どう広めていくべきなのかを明確にされているな、と」
マンガ動画の制作を統括した、同校の森川浩孝先生(55・美術系専攻主任)は、「(長谷川さんは)とてもやさしい雰囲気の方で、生徒たちにも『君たちの思うように作ってください』と、おおらかに話してくださいました」と話す。
この出会いは、高校生と長谷川さんそれぞれに新たな力をもたらしている。
本人と高校生に起きた「生きる力」の化学変化
長谷川さんの妻の声を担当した遠田さんは今、専門学校に通いながら声優を目指している。歯切れよく話し、学級委員タイプにも見える彼女だが、中学時代には教室の人間関係になじめず、別室登校をしていた時期がある。
当時は自分の気持ちを尊重し、やさしく接してくれる先生たちに支えられた。
関西文化芸術高校では、自分と似た経験を持つ同級生にも助けられたとも明かしてくれた。
「長谷川さんが周りに支えられて、自分らしく人生を進まれている姿を見て、私も見習いたいと思いました。もし私と同じ境遇の人がいたら、私が声優になるという夢をかなえて元気づけてあげたい。その気持ちがより強くなりました」
3年生在学中の田中さんはマンガを描くことに手応えを感じ、イラストレーターになる夢を膨らませている。
同校では、卒業生に先生たちから贈る言葉を冊子にまとめて贈呈している。冊子の表裏に39人の先生たちのイラストを描く作業に、田中さんは自ら手を挙げた。約1週間で各自の特長を愛らしく捉えて仕上げてみせた。
そして余命10カ月の告知を当初受けた、長谷川さんは闘病11年目を迎えている。主治医の意見をその都度聞きながらも、自分で選択して8つの抗がん剤を試し、放射線治療や、がんがある右肺の摘出手術も受けた。
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「2015年に腹部へ転移を経験し、背骨近くのリンパ節にもがんが肥大化したので、背骨を保護するためのコルセットもつけています。自分で考えて最善の治療選択を重ねてきた結果に、何の後悔もありません」
主導権を握り直した彼はきっぱりと言い切った。高校生たちの動画に、より能動的で、優れたがん授業の可能性を発見した彼は、「がんマンガ甲子園大会」という新たな夢も描いている。今回のように、高校生たちが周りのがんの当事者に話を聞いてマンガ動画にまとめ、その出来栄えを競う大会だ。
長谷川さんは高校生たちの真摯な眼差しや、真面目な質問に触れるたびに、むしろ自分のほうが励まされている気がしたとも明かす。
「ある意味、自分の子どもが生まれたときの感覚に近いのかもしれません。17、18歳の彼ら彼女らにとって、僕もつねに恥ずかしくない存在でいなくちゃいけない、そんな気持ちにさせられます。僕と高校生の間に起きた化学変化の印です」
長谷川一男さんはZoom越しながら晴れやかな表情で結んだ。
(監修 押川勝太郎・腫瘍内科医師)
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提供元:「余命10カ月」宣告された男が10年生きて見たもの|東洋経済オンライン