2021.07.21
アルツハイマー「根本治療薬」専門医はどう見るか|「アデュカヌマブ」日本導入の可能性と課題は?
アルツハイマーの治療薬「アデュカヌマブ」の研究に参加する男性(写真:AP/アフロ)
「これまでずっと治験の最終段階で跳ね返されていたのが、対象者や評価法を改良した結果、ようやく承認に値する結果が得られたというのはあると思います。しかし、承認されたからといって100パーセント喜んではいません。まだ第一歩、風穴を開けた程度というところです」(順天堂大学医学部名誉教授の新井平伊氏)
6月7日、FDA(アメリカ食品医薬品局)は、認知症の根本治療薬と期待されている「アデュカヌマブ」の製造販売の承認をした。「アデュカヌマブ」とは、日本のエーザイとアメリカのバイオジェン社の2社が研究開発した薬で、株価は両社とも翌日大幅に値上がりした。この新薬への期待は世界的にみても大きいといえる。
「アデュカヌマブ」は認知症の根本治療薬と言われているが、従来の認知症治療薬とどこが違うのか、また今後の課題等について、アルツハイマー病の基礎と臨床を中心とした老年精神医学が専門の新井平伊(あらい・へいい)順天堂大学医学部名誉教授に聞いた。
結局、従来の薬と何が違うのか?
――「アデュカヌマブ」は根本治療薬と呼ばれていますが、従来の薬との相違点は?
「一言でいうと薬のターゲットが違います。アルツハイマーの原因としては『アミロイドβ仮説』というものがあります。通常、脳の神経細胞膜にあるアミロイドβタンパクは、分解され、代謝されて血液中に流れていくのですが、脳の中にたまってしまうと、神経細胞の働きの邪魔をします。神経細胞の働きが悪くなると『アセチルコリン』が減少してくるし、最後は多くの神経細胞が死滅し脳が萎縮してくる。これが『アミロイド仮説』です。
従来の薬は『アセチルコリン』の減少を改善するものですが、今回承認された『アデュカヌマブ』は、アミロイドβタンパクを減らす治療薬になります。従ってメカニズムがまったく違うのです」
アルツハイマーが進行する流れとしては、まずアミロイドβタンパクが分解されずに脳内に溜まっていくことで、神経細胞がダメージを受ける。そうすると記憶に関係する神経伝達物質、アセチルコリンが減少する。その結果、脳が徐々に萎縮していき、物忘れの症状が出てくるということだ。認知症治療薬として有名な「アリセプト」は、進行を抑制することは可能だが、アミロイドβを減らす効果はないため、根本治療薬ではなかった。
「アデュカヌマブは、理想的には発症の前段階で使用する薬です。この段階でアミロイドβを増やさないようにすれば、神経細胞のダメージもなく、その後の流れをストップさせることができるのではないかということで根本治療薬といわれています」
――こういった根本治療薬が承認されたのは初めてなのでしょうか。
新井平伊/1984年順天堂大学大学院医学研究科修了。東京都精神医学総合研究所精神薬理部門主任研究員、順天堂大学医学研究科精神・行動科学教授を経て、2019年よりアルツクリニック東京院長。順天堂大学医学部名誉教授。アルツハイマー病の基礎と臨床を中心とした老年精神医学が専門。日本老年精神医学会前理事長。1999年、当時日本で唯一の「若年性アルツハイマー病専門外来」を開設。2019年、世界に先駆けてアミロイドPET検査を含む「健脳ドック」を導入。 近著に「脳寿命を延ばす 認知症にならない18の方法 」(文春新書)
「FDAで初めて承認されたという事で、世界でも初めてとなりますが、アミロイド仮説に基づく根本治療の候補薬はこれまでも100種類以上あって、第II相、第III相試験まで行ったケースは多数あります。ただ今までは承認がおりなかった。今回初めて承認されたことは、ものすごく大きな第一歩なのです。人類が月に第一歩を記したのと同じくらいです」(新井教授)
正式に薬として認定されるまでは、通常3つのステップ(相:そう)で治験が進められる。3つのステップを終了したところで、開発した製薬会社が治験データをまとめてFDA(日本では厚生労働省)に申請する。FDAの厳正な審査をパスし、承認されることによって初めて正式に「薬」となるのだ。
――今回はどういったプロセスで承認されていったのでしょうか。
「FDAも承認せざるをえなかった、というのが正直なところでしょう。4つのポイントがあるのですが、まず1つ目はアミロイドPET検査で、脳の中の沈着したアミロイドの量が減るというエビデンスがはっきり出たということが挙げられます。アミロイドは約20年かかって徐々に徐々に脳内にたまっていきます。そこでアルツハイマー病が発症するんですね。増えるというのは分かっているのですが、今回減るということが証明されたわけです。
2つ目としては、約1年半にわたって投与された患者は、治療効果がない偽薬であるプラセボに比べて23%ほど悪化が制されたのです。つまり統計学的に有意差を持って進行が抑制されたことになります。
3つ目は重篤な副作用がなかったこと。4つ目には関連団体等からのアルツハイマーの次世代の薬の要望が強かったことが挙げられます」
――その反対に、ネガティヴな意見もあったと聞きます。承認されたことに対する懸念材料とはどういったものでしょうか。
「FDAはエビデンスがあればノーとは言えないのですが、懸念材料は『臨床的な評価』です。エビデンスとしては1年半で23%、悪化を食い止めたということになるかもしれませんが、あくまでもそれはエビデンスでしかありません。統計学的に有意な差があったとしても認知機能検査における数字的変化量はあまり大きくない。なので、じゃ症状や進行の変化として実際に実感できる程度なのかとの疑問を臨床家なら誰でも持ちます。こんなに値段の高い薬を使ったのに、どのくらいの意味があるのかということです。
『次世代の根本的治療薬』という触れ込みとしては、あまり効果が弱いのではないかという意見が、FDAの専門委員会に諮問して出た答えでした。そのため承認後も今後9年間、2030年までは新たな臨床試験を行い、再現性があるかどうかを確認するという条件が付与されました」
――コロナワクチンの承認でも世界とのスピードの差が明らかになったのですが、今後、日本での承認はどうなるのでしょうか。
「エビデンスの観点から海外で認められているのになぜ日本だけ承認しないのかと非難されるでしょうから、拒絶できないと思います。ただし、日本特有の健康保険の仕組みの中でどう考えるかということですね。
最終的には政治的、社会的な判断になりますが、日本では約500万人といわれている認知症患者がいるので、無尽蔵にお金が使われてしまうと健康保険が破綻する危険があります。アメリカは民間の保険だから、いくら高くてもそれを組み込んだ保険商品を作ればいいだけの話で、その保険商品を買うかどうかは自由なわけです。日本はエビデンスだけで認めてしまうと、高額な薬を世界と一緒に承認、使用していかなければならない。そこは日本特有の問題がありますから、社会的、総合的、包括的にどう判断していくかが大事になってきます」
――—日本で承認された場合、治療においてアデュカヌマブを使用していきますか。高額ということですが、今後一般的に普及していくのでしょうか。
「もちろん私は(治療で)使うつもりです。日本では高額医療制度というものがあって、所得によって違いますが、自己負担が一定額を超えるとそれ以上負担をしなくてもよい制度があります。それが適用になるかどうかも左右しますね。患者さん側からの要望が強いということを踏まえると、高くても希望する人はいるだろうし、アメリカから個人輸入して使いたいっていう人だっているのではないかと思います」
今回、FDAの審査で重要なポイントとして、「MCI(軽度認知障害)」が主たる対象だったということが挙げられる。「軽度認知症」ではなく「軽度認知障害」なので、治験者は病気と診断される前の「MCI」段階だったのだ。認知症と診断されてしまうと、それは病気であり、「アルツハイマー病」になる。
「今回の治験は『アルツハイマー病』患者を対象にしたのではなく、その前段階、まだ認知症になっていない『MCI(軽度認知障害)』の人を主な対象に行った臨床試験だというところがポイントなのです。神経細胞がダメージを受け、死にかけているような状況でアミロイドβを取り除いたところで、効果はありません。神経細胞がまだ元気なうちにアミロイドβを取り除く必要があるのです。
神経細胞がダメージを受けている状態で治験を行った薬は失敗しています。アデュカヌマブがなぜ成功したかというと、前段階の時点で治験を行ったからという理由もあるのです。もし、MCIを対象にして治験を行っていれば、効果が出たかもしれないという薬はおそらく他にもあったでしょうね」
――MCIは病気ではないとしたら、それを保険で認めるということは矛盾になりませんか。
「きちんと段階的にやっていくんだろうと思います。例えば、若年性アルツハイマー病には使えるようにしてほしい。血管や神経細胞の老化現象を伴っておらず、純粋にアミロイド病変が主体なので、有効性も期待できます。一方で、高齢者の場合は生活習慣病や脳血管障害など複合的な要因も伴う認知機能低下が多いので、そういった場合は『アミロイドβ陽性』の確定が出た人に限定して使うとか。そうしないと経済的な破綻を招くことになると思います。
あとはMCIを専門医がきちんと診断すること。やみくもに使われたんでは、日本でも要求されるであろう承認後臨床試験で有効性が確認できないということになりかねない。このように、日本ならではの細かい条件設定が必要だと思います」
アデュカヌマブは、アミロイドβタンパクに対する『抗体』を打っているようなもので、高度な技術を要するため値段が高いという。コロナワクチンのように抗原を打って体の中で抗体を作らせることを「能動免疫」というが、この場合は費用を安く抑えられる。ところが免疫反応をかなり動かすことになるので、副作用が出やすいというデメリットがあるのだ。天然痘の予防注射があれば一生天然痘にかからないのと同じように、最初から抗原を打つことで、能動免疫を行うことができるようになるのがいちばんの理想だという。
――今後、第2弾、第3弾の根本治療薬が承認されていく可能性はあるのでしょうか。
「もちろんです。ただしアミロイドβタンパクを取り除くという行為が、認知症治療に必ずしも正しいかどうか、まだ確定はしていないわけです。そのためアミロイドβに関与しない治療薬もどんどん開発されていて、臨床試験も行われています。
そう考えると、実はコロナのような感染症のほうがメカニズムは簡単で、外から入ってくるものは原因がわかっているからシンプルなんですね。内なる敵というのが治療がいちばん難しい。もともと体内に存在し何らかの役割を有しているのに、何で敵に?ということです。でも、今回の承認を受けて、今後の研究や臨床試験に弾みがつき、さらに大きな展開が期待されます」
今回のFDAによる承認は、まだ風穴が空いたばかりだとのことだが、超高齢化社会を迎えるにあたり、認知症対策は避けては通れない問題だ。日本で承認された場合、使用にあたっては費用負担がなるべく軽くなるよう、今後の議論が待たれるところだ。
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提供元:アルツハイマー「根本治療薬」専門医はどう見るか|東洋経済オンライン