2021.03.19
自分の年収は適正だと考えている人の落とし穴|「年収」と「幸せ」のバランスに頑張りは無関係
年収の高さと「幸せ」は比例するものなのか?(写真:LeManna/iStock)
人事コンサルタントとして、1万人以上のビジネスパーソンの昇格面接や管理職研修を行い、300社以上の企業の評価・給与・育成などの人事全般に携わってきた西尾太氏による連載。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けする。
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年収が高いということは、「幸せ」なことなのか
皆さんは、今の年収を上げたいですか? おそらく、多くの人は「上げたい」と考えていると思います。私もまあそうですね。もう少し高いといいのかな、とは思います。
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しかし、年収が上がると「幸せ」になるのでしょうか? 年収が高い、ということは本当に幸せなことなのでしょうか。
あなたは次の設問のどれにあたりますか?いまの年収について、あなたはどう感じていますか?
(1)もっともっともらうべきだ。全然少ない。2倍以上もらってもいい。
(2) もう少しもらってもいいかなあ。
(3) 今の年収はまあ「適正」だと思う。
(4) 多すぎる、もらいすぎていると感じる。
さて、あなたはこの(1)~(4)の中で、どれがいちばん幸せな状態だと思いますか?
これを幸せの順で考えると、私は(2)→(3)→(1)(4)だと考えます。
(1) もっともっともらうべきだ
まず(1)です。これはあまり幸せそうには見えません。しかし「全然少ない」というのは何に比較してそう思っていらっしゃいますか?「社内の誰か」ですか? それとも友人の「誰か」でしょうか。
年収は、あなたが会社に提供した「価値」で決まります。提供した価値とは、「誰かに商品やサービスの価値を提供して、その相手から“ありがとう”と言ってもらえる」ことです。これは、顧客とは限りません。
社内での後工程や管理職・経営陣・ほかの社員に価値を提供しているかもしれません。そして提供する価値は(よい意味での)影響力が高まれば(価値を提供する相手が多い、または価値そのものが大きい)増大しますので、年収は必然的に上がります。
その意味で、客観的に他者と比較しても、自身が創出・提供した価値に対して、自身の年収が「少なすぎる」ということであれば、「何かがおかしい」ということになるでしょう。
利益が出ない事業であったり、会社の仕組みがおかしかったり、途中で誰かが中抜きしているのかもしれません。もしご自身が転職するなどして、別の環境にいけば、変わるかもしれません。
しかし本当に、これを機に『提供している価値と年収が「マッチ」しているのか』を確認いただきたいのです。
「ノッて」いて、成果を上げている実感
(2) もう少しもらってもいいかなあ
私は、これがいちばん幸せな状態だと考えています。
私はサラリーマンを20年経験しました。そのうち、「自分がやっていることに対して、もう少しいただいてもいいんじゃないかな」と感じているときが、いちばん幸せだったと思います。
これは、自分が年収以上の価値を提供できている実感があるということで、いわば仕事上では「ノッている」状態です。周囲からの評価もまずまずで、成果を上げている実感を得ています。それに対して年収が追いついていない状態ですが、「ノッている」のでさして気になりません。お金はそのうち後からついてくる、という感覚もありました。
ただ、これが同じ会社内の他者に比べて「あいつがそれだけもらっているなら、自身はもっともらってもいいんじゃないか」ということであれば話は別です。これはあまり幸せとは言えないかもしれませんね。
これもその会社の評価制度なり、給与制度の問題かもしれませんし、所属部門・上司の問題かもしれません。しかし、まず他者との相対比較で「もう少し」と思っているということについては、なぜそうなのか、を確認する必要があります。
あなたが気づかない「何か」が、比較する相手と自分の差になっているのかもしれません。その差の理由を確認しましょう。そして、明確な答えが返ってくれば、納得して自身を改めましょう。そうでなければ、文句を言っていてもはじまらないので、自身が適正だと思う年収を得られる場所を探すしかありません。
しかしその前に、自身の年収がはたして本当に適正なのかは、確認したほうがよいでしょう。
(3) 今の年収はまあ「適正」だと思う
自身の年収は適正である、と感じていることは、ある種幸せでしょう。それでいいのかもしれません。しかしあえて私は「気をつけて」と言いたいのです。
「ほんとうにそうか」と疑ってかかることも大事です。
先述しましたが、年収は、「提供した価値」によって決まります。そのバランスが取れているのであれば、確かに適正でしょう。
しかし、自身が適正だと思っていても、実は多すぎたり、少なすぎたりするかもしれません。「少なすぎる」についてはご自身が「適正」と感じていらっしゃるのですから、あまり心配はないでしょう。しかし「実は多すぎる」というのは危険なことです。
「こんなもんだ」と思っていても、会社や周囲はそうは思っていないかもしれません。それに気づかないでいると、「急にリストラ」のような目にあうこともあるかもしれません。やはり適正な年収かどうか、確認しておいたほうがよいかもしれませんね。
自身の仕事ぶりと照らし合わせる
(4)多すぎている もらいすぎている
「多すぎる、もらいすぎている」というのは、その自覚があること自体はとても大切なことです。
私には、そういう時期があって、「自身の仕事ぶりでは、本当はこんな年収を得てはならないのではないか」「転職したら年収は下がってしまう」と思っていました。これはとてもつらい時期でした。リスクを感じているわけですから、おちおちローンも組めません。
そして、「いつ下げられるか」「いつ退職や出向を促されるか」ということに戦々恐々としていました。辞めたら年収を維持できないわけですから、その年収に固執している限り、辞められません。そして、やっている仕事に面白みを感じられないとしたら、それはそれは、辛いことでしょう。
私の場合は、ついにそれに耐えられなかったときに意を決して、年収ダウンを覚悟して転職しました。年収はそうとう下がりました。しかし、転職市場で自分に「値」がついたことで、「ああこんなもんなんだな」という妙な実感がわき、安堵した覚えがあります。
年収はかなり下がりましたが、実は生活はさして変わりませんでした。年収が高いと思っていたころは、それが「あぶく銭」だと思っていたので、生活設計に使うことはできませんでした。自身が「こんなもんだ」と思ったところで、マンションも購入しましたし、楽ではなかったですが、子供も育てることはできました。
年収と幸せは必ずしも比例しない
以上のように、「年収が高ければ幸せ」とは限らないのです。
大切なことは「自身の年収が適正かどうか」を把握しておくことです。
そのうえで、いまの環境で頑張っていくか、環境を変えるのかを考えましょう。また、年収をもし上げたいのであれば、何が必要なのかも確認しましょう。
私の最新の書籍「人事の超プロが本音で明かすアフターコロナの年収基準」には、自身の適正な年収はどのくらいなのか、を大まかにですが知っていただく指標が書かれています。もちろん、年収水準は地域・業種・企業規模によって変わりはしますが、参考指標としては使えるはずです。
ぜひ1度、自身の仕事を振り返っていただき、適正な年収を確認してみてください。
幸せは「年収の多さ、少なさ」ではなく、自身で「適正な水準である」という実感によってもたらされるものなのです。
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提供元:自分の年収は適正だと考えている人の落とし穴|東洋経済オンライン