2019.05.22
子どもを伸ばすには"4つの学習空間"が必要だ| 「画一的な一斉授業」とはまるで逆
高い効果をあげている学校や教室は、どんな学習空間の特徴があるのだろうか(写真:shironosov/iStock)
スティーブ・ジョブズが熱心に教育活動を行っていたことはよく知られている。そんなジョブズに引き抜かれてアップルの教育部門の初代バイス・プレジデントを務めたのがジョン・カウチだ。
社内だけでなく広く教育システムの変革を推し進めるジョンは、画一化された現行の教育システムを変え、個人個人にパーソナライズ化された教育が必要だと説く。そのための1つとして、高い効果をあげる4つの「学習空間」を整えることが有効だという。
高い効果をあげる4つの学習空間
私は、世界各地の何百という学校や教室を訪問したが、その空間や、そこで起きていることの変わらなさにはいまだに驚かされる。生徒はきれいな列に並んだ席に静かに座り(あまり静かでない教室もあるが)、教師は教室の前に立って授業を行う。
だが、当然ながら、標準的な生徒というものは存在しないため、標準的な教室で学習し、標準的な教科書を読み、標準テストを受ける、といったことを生徒に強要すべきではない。
教育の未来を考えるデイヴィッド・ソーンバーグの著書『サイバー空間のキャンプファイア(未邦訳)』に、学習空間は主に次の3つに分かれるとある。
「キャンプファイア」(1対多の学習を目的とした空間)、「水飲み場」(多対多の学習を目的とした空間)、「洞窟」(1対1の学習を目的とした空間) だ。
私はここに独自に4つめの空間として「山頂」を考案した(私は「山頂」という言葉を長年使っているが、ソーンバーグがこれとよく似た概念を「人生」と呼んで付け加えていることは、彼の最新著作を読んで初めて知った)。
私の経験から言って、高い効果をあげている学校や教室には、4つすべての空間が何らかの形で必ず存在する。
私は、世界各地の何百という学校や教室を訪問したが、その空間や、そこで起きていることの変わらなさにはいまだに驚かされる。生徒はきれいな列に並んだ席に静かに座り(あまり静かでない教室もあるが)、教師は教室の前に立って授業を行う。
だが、当然ながら、標準的な生徒というものは存在しないため、標準的な教室で学習し、標準的な教科書を読み、標準テストを受ける、といったことを生徒に強要すべきではない。
教育の未来を考えるデイヴィッド・ソーンバーグの著書『サイバー空間のキャンプファイア(未邦訳)』に、学習空間は主に次の3つに分かれるとある。
「キャンプファイア」(1対多の学習を目的とした空間)、「水飲み場」(多対多の学習を目的とした空間)、「洞窟」(1対1の学習を目的とした空間) だ。
私はここに独自に4つめの空間として「山頂」を考案した(私は「山頂」という言葉を長年使っているが、ソーンバーグがこれとよく似た概念を「人生」と呼んで付け加えていることは、彼の最新著作を読んで初めて知った)。
私の経験から言って、高い効果をあげている学校や教室には、4つすべての空間が何らかの形で必ず存在する。
キャンプファイア
例えば、机をきっちりと列に並べず円形にしてはどうか(大きな1つの円でもいいし、複数の円をつくってもいい)。一体感が生まれ、互いの顔が見えるようになるので、こちらの並びのほうが学習効果が高まるかもしれない。
バーチャルで体験するキャンプファイアとは
今はテクノロジーのおかげで、学習を目的とするキャンプファイアをバーチャルな形で体験できるようにもなった。1つ例を挙げるなら、スカイプやiChat動画、iTunesU、YouTubeのライブ配信などを使ってできるテレビ(ビデオ)会議がある。
マサチューセッツ州ケンブリッジにあるボールドウィン小学校の生徒は、スカイプを通じて定期的にキャンプファイアを「囲んで」いる。そこに行けば、エンジニア、科学者、人気作家たちの知識や経験が共有され、リアルタイムで質問にも答えてもらえる。地球の裏側にいたって関係ない!
教育のリワイヤリングは、「1対多」のような伝統的な教育法を見捨てるという意味ではない。そうした伝統的なやり方を、生徒に眠気を催させるのではなく、夢中にさせることを目的として使うということだ。
水飲み場
これは、複数の人が対等な立場で一緒に情報を共有し作業する場だ。この場は、公式にも非公式にもなりうる。
例えば、職場なら休憩室やコピー機の周りが昔からよく知られているが、教育の現場には、協調を促すことを目的とした水飲み場のような空間は、ほぼ皆無といっていい。昼食の時間ですらごく親しい友人だけで集まるのが普通で、話すのも勉強以外のことがほとんどだ。
私がこれまでに見た中でいちばんだと思った学校には、教室内に水飲み場の役割を果たす区画が設けてあった。
その区画では、(1)いま受けた授業で自分が独自に気づいたことを発表し、(2)グループになって新たに気づくことはないか考え、(3)自分の意見に対する感想をほかの人からもらい、(4)学ぶ側であると同時に教える側にもなり、(5)テクノロジーを有効に活用する。
最後に、デジタルの世界の水飲み場にも触れておこう。
フェイスブック、タンブラー、スナップチャットなどのSNS、ウィキペディアやレディットなどのクラウドソーシングサイト、アップルのiWorkやグーグルのドキュメントのように文書を共同制作できるサービス、ワールド・オブ・ウォークラフトのように大勢が参加できるオンラインゲーム……。
これらが爆発的な人気を博していることからわかるように、人は一緒に何かをやりたがるものであり、一緒に何かをせずにはいられないのだ。
洞窟
これは、1人きりで学習できる空間を指す。この空間で、文章を書く、コードを書く、調べ物をする、研究する、考察する、思いをめぐらす、別の空間で得た情報を反すうする、といったことを行う。
学習に関する研究では一貫して、学習という行為にはメタ認知(自身の思考プロセスを認知し理解すること)が必要であることが実証されている。つまり、学習したことを自分自身で反すうする時間が必要だということだ。
洞窟といっても囲いを設ける必要はなく、誰でも利用できるようにしさえすればいい。
図書館に行くと、ひっそりと隅に並ぶ机といすが目に入る。その一角は、誰にでも開かれた洞窟の一種だといえる。
自然の中にも洞窟空間は存在する。公園や小道を1人で歩いたり座ったりしながら考えることができるし、海辺や湖のほとりでリラックスして考えをまとめることもできる。
このような空間を、学校や教室に物理的に組み込むべきだ。オーストラリアとメキシコには、洞窟を意識してテントと家具でつくった空間を備える学校が実際にある。洞窟は、想像力次第でどのようにも生みだせる。
洞窟にもデジタル版がある。テクノロジー製品の多くは「個性を意識させること」に狙いを定めているので、それらを使えば自分の新たな一面を知ることができる。タブレット、スマートフォン、スマートウォッチは、単なる携帯機器ではない。プラットフォームでもある。
プラットフォームはデジタルワールドのエコシステムを支え、発展を促すものであり、個人レベルでの発明や開発を可能にするものだ。そうした機器があれば、学生でも無料アプリのスイフトプレイグラウンズやスクラッチジュニアを使ってコードの書き方やアプリの開発の仕方を学んだり、iBooks Authorやアドビ・インデザインを使ってインタラクティブな本を作成したりできる。
このように子どもたちが洞窟として利用できる場は何千とあり、そのほとんどが無料だ。今やほぼタップ、タイプ、スワイプだけで、何かを生みだし、何かを学ぶことができる。
学習の重要な部分を担う「山登り」
山頂
学習空間の最後は、ソーンバーグの提案に私が付け加えた「山頂」だ。これは学習したことを実際に生かす場を表す。
登山で無事に山頂にたどり着くために必要なことは何か? 調査、相談、熟考はもちろん必要だが、登ってみないことには本当にたどり着けるかどうかわからない。しかし、登るには山がないと始まらない。
つまり、学習したことを究極に理解するのに必要となる最後の学習空間が「山そのもの」というわけだ。山に登ることは、学んだことを実際にやってみるという学習なのだ。山登りの真価はフィードバックシステムにある。自ら積極的に行動を起こせば、自動的にフィードバックが瞬時に返ってくる。フィードバックは、ほかの学習空間では得られない、学習の重要な部分を担う。
山登りをテストになぞらえてみよう。山を実際に登ろうとすれば、登り方をちゃんと習得できているかどうかがわかる。山頂にたどり着けば、登り方を無事に習得したということだ。つまりテストは、学んだことを習得できているかどうかを測るものなのだ。
教育の場(テスト)で生徒が間違いを犯すと、叱責やときには罰の対象になるのが普通だが、山登りでは途中で間違うことが奨励される。いや、間違うことが必要なのだ。学習中に間違いを犯したら、貴重なフィードバックやチャンスを得たとみなすべきであり、罰に値するものではない。
山登りにも、デジタル技術を活用しない手はない。
スイフトプレイグラウンズやスクラッチジュニアといったアプリを使って、コードの書き方を独学で学ぼうとしている生徒がいるとしよう。どちらも、コードの書き方を子どもに教えることを目的としたアプリだ。
コードについての講義を聞いたり本を読んだりしても、友人とコードについて議論しても、コードについて1人で反すうしても、コードの書き方を習得するのはほぼ不可能に近い。コードの書き方を習得するには、コードを書く必要がある。そして実際にコードを書けば、さまざまな間違いやバグの発生を経験することになる。
現実世界にせよデジタルの世界にせよ、チャレンジできる「山」があれば、それに登った生徒は山の大きさを知ることができる。実際に「山」に登ったということは、本物の学習が行われたということだ。その経験は忘れられないものになる。
学習空間の活用次第で「教室」が変わり始める
これまでで紹介した学習空間は、さまざまな部屋や建物の形をとってもいいが、1部屋をすべての学習空間として活用することもできる。
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こういった学習空間を、物理的につくるか、あるいはデジタル的につくり、バーチャルの世界でも活用するようになれば、生徒はスタジオや舞台、観客を手にすることができ、しだいに「教室」というものの捉え方が変わり始める。
これからの教室は、従来と違って壁も障害も制約もない学習空間として捉えられるようになるだろう。そういう学習空間をつくって生徒が活用できるようにして、生徒に学習と成功をもたらせるかどうかは、私たち大人にかかっている。
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提供元:子どもを伸ばすには"4つの学習空間"が必要だ|東洋経済オンライン