2017.07.27
「自撮り投稿がウザすぎる人」に共通する心境│悪意はないが奥底にガラスのプライドがある
カメラの向こう側で誰に何を言われているかわかりません(撮影:今井 康一)
あるとき電車に乗っていると、隣に並んで座っている若い女性たちが、スマホでそこにいない友達のSNS投稿を見ながら嘲笑していた。
「ねえ、ねえ、見て! この表情、まるで女優気取りじゃねぇ?」
「ちょっとキレイだからって、いい気になっちゃって」
「自己愛丸出し、みっともないね」
さすがにスマホをのぞくことはしなかったが、ねたみによる攻撃性が充満しており、そこにいた女性たちよりキレイな友達の自撮り投稿をこき下ろす会話のようだった。
また、別のときに同じような会話が耳に入ってきた。
「ねえ、ねえ、このすました顔、見て、笑える」
「何勘違いしてんの。この顔でよく気取れるね。マジ、笑える」
「百回くらい自撮りして、いっちばんマシなヤツなんだろ」
「一瞬の奇跡、ってヤツだね」
自撮り投稿をせずにいられない人
このように、周囲の人よりキレイな人物やカワイイ人物が自撮り投稿したりすると、ねたみからこき下ろされる。周囲の人より外見で劣るか、似たようなレベルの人物が自撮り投稿すれば、バカにされ笑いのネタにされてしまうことになる。なぜなら、自撮り投稿からは、「自己愛」と「称賛欲求」がプンプンにおってしまうからだ。
拙著『「自分のすごさ」を匂わせてくる人』で詳しく解説しているが、人には自慢せずにはいられない心のメカニズムがある。キレイな人が自分の容姿容貌を自慢げに自撮り投稿したら、ねたみを招き、そのプンプンにおう強烈な自己愛と称賛欲求に対して強烈な反発が返ってくるだろう。面と向かって嫌味を言うことはないだろうが、確実に陰でこき下ろされているはずだ。称賛されたくて投稿しているのに、こき下ろされてしまう。
『「自分のすごさ」を匂わせてくる人』 ※外部サイトに遷移します
反対に、とくに見栄えが良いわけではない人が、ちょっと写りが良かったり、構図がうまくいったりして自撮り投稿すれば、バカにされ笑われる。人間はだれしも自己愛が強いから、つい自分を過大評価して自己アピールをしたくなり、周囲の失笑を買ってしまう。
このように、自撮り投稿をしても、ほとんどいいことはない。それは多くの人がわかっていることだろう。
それなのに、「自撮り投稿をせずにいられない人」は、いったいどのような心理メカニズムなのだろうか?
まわりが白けているのにもかかわらず、「自撮り投稿」を続けてしまう人には、以下のような2つの共通点がある。ひとつめは、モニターカメラが壊れていること。ふたつめは、ガラスのプライドを抱えていることだ。それぞれ見ていこう。
(1)自分のモニターカメラが壊れている人
自分の言動が適切であったかをたえずチェックすることを、心理学ではセルフ・モニタリングと言う。いわば、心の中のモニターカメラで自分の言動に対する周囲の反応を監視しながら、自分の言動をチェックする心の機能のことである。
セルフ・モニタリングがきちんとできていれば、不適切な自分の言動に気づき、それを修正することができる。
しかし、人の反感を招きやすい人は、概してセルフ・モニタリングがうまく機能していない。つまり、心の中のモニターカメラが壊れているのだ。相手の様子をモニターしながら自分の言動を調整することができないため、相手をイライラさせたり、うんざりさせたり、傷つけたりする。相手が気分を害したりあきれたりしているのに、気づかずにいい気になってしゃべりつづける。
だからといって、彼らにはべつに悪意があるわけではない。自分の言動の不適切さに気づかないため、修正がきかないだけなのだ。
その結果、かっこよく見られたい、「できる人」に見せたいといった本人の思いとは裏腹に、「できない人」であることが見透かされ、「痛い人」といったイメージをもたれてしまう。
自撮り投稿に隠された「ガラスのプライド」
(2)ガラスのプライドを抱えている人
本当に自分に自信のある人と、自信ありげに振る舞うだけの人がいる。両者の違いは、周囲の人には一目瞭然なのに、本人はそのことに気づいていないことが多い。本当に自分に自信のある人は、無理して自信ありげに振る舞う必要がないため、不自然なできるアピールなどの「匂わせ」をすることはない。
それに対して面倒なのは、本当は心の中に劣等コンプレックスを抱えているのに、それを隠そうとして自信ありげに振る舞うタイプだ。自信のなさ、劣等コンプレックスの強さを見抜かれまいと必死になって虚勢をはる。
自撮りをして褒められようと躍起になったり、やたら自慢をしたり、できるアピールをして、自分のすごさをにおわせようとする。何かにつけて必要以上にアピールするため、わざとらしさが鼻につくし、実態とかけ離れているので、滑稽に見えてしまうのだ。
「プライドが高い人」の本当の姿
このタイプは、
「自分は知らない」
「そんなことは思いつかなかった」
などと自分の無知を認めるような発言は絶対にしない。必ず知ったかぶりをする。あるいは、巧みに話題を逸らそうとする。失敗したときなども、
「力及ばず失敗した」
というようなことはけっして言わない。
「べつにどうでもいいんですよ。たいして興味なかったし」
などと言ったりする。ほんとうは執着していたのがわかるだけに、ムキになって気にしていないフリをすればするほど、周囲の人たちの目には滑稽に映る。
『「自分のすごさ」を匂わせてくる人』(サンマーク出版)。クリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
そのような姿勢を見て、周囲の人たちは、
「あの人はプライドが高いから、自分が知らなかったなんて認めたくないんだよ」
などと評する。
その場合の「プライド」というのが曲者だ。多くの人は、「プライドが高い人」というのは、「自信があり、誇り高き人」のことだと思っている。だが、それは間違いだ。英和辞典で「pride」の意味を調べると、「誇り、自尊心」という意味の他に、「うぬぼれ、思いあがり、高慢」という意味がある。
自撮りなどの「匂わせ」によって自分のすごさをアピールしようとするのは、後者の意味でのプライドが高い人、つまり自信を持ちたいと思いながら自信のない人と言ってよいだろう。夏休みに旅行に行ったり、海やバーベキューなどに行ったときにも、「匂わせ自撮り」には細心の注意を払おう。
榎本 博明 :心理学博士
【あわせて読みたい】 ※外部サイトに遷移します
提供元:「自撮り投稿がウザすぎる人」に共通する心境│東洋経済オンライン