2017.06.30
長老が教える、心に「ためこまない」生き方|日々に役立つ、スリランカ仏教の智慧
心に「ためこまない」生き方とは?(写真 : YUMIK / PIXTA)
モノであれ、おカネであれ、あるいは人間関係であれ、何事も多すぎず少なすぎず、適度な量を保つことが大切だと、世間ではよく言われます。とはいえ、「適度な量」というのを具体的に明示するのは、誰であれ、なかなか難しいものです。そのため、安心感を抱こうとしてつい余分に抱えこんでしまったり、多めに所有しようとしたりしてしまいます。これが「ためこみ」という問題です。
来日37年、日本全国で初期仏教と瞑想の指導、講演を行うかたわら、NHK「こころの時代」等に出演しわかりやすい説法で好評を博し、最新刊『ためない生き方』を刊行したアルボムッレ・スマナサーラ長老に、「ためこみ」が生む厄介な問題をどうすればうまく解決できるかについてお聞きしました。
なぜ「ためこみ」をしてしまうのか
なぜ人間が「ためこみ」をするかというと、それは未来を正確に予測することができず、いろいろと未来・将来のことを心配してしまうからなのです。未来を知ることができないから、つまり未来への心配をなくすことができないから、人間はどうしても「ためる」という生き方をせざるをえなくなるのです。
ところが、「ためこみ」は、往々にしてモノやおカネへの執着心を引き起こすことにもつながり、それが原因で怒り、不安、嫉妬、落ち込み、後悔といったネガティブ感情・悪感情を抱え込み、さまざまな“悩み”に苦しめられることになります。
「ためる」ことについて、まず、効果的な解決方法を2つほど紹介してみましょう。
1つ目は、「何を(What)、何のために(Why)、どれくらいの分量(How much)、どれくらいの期間(How long)ためるのか」という問いに対して、つねにちゃんと答えを持っておく、ということです。
「何をためるの?」と聞かれて「何でもいい」、「なぜためてるの?」と聞かれて「自分でもよくわからない」と答えているようでは話になりません。
そうではなくて、What、Why、How much、How longという質問に対してちゃんと答えを持っておく。そうすれば倫理と道徳とを考えて、適切にためることができるようになります。
とりわけ重要なのはWhyです。ためる目的をはっきりさせることができれば、おのずとHow muchやHow longも決まってくるはずです。
たとえば、貯金というのは、ただ漠然と将来のために貯めるのではなく、「これは海外旅行用に」「マイホームやマンションの頭金用に」「子どもの教育資金用に」……といったように、「なぜためるのか」というのをはっきりさせておけば、貯めるべき金額や期間も具体的にイメージできるはずです。
当たり前のことがなかなか実行できていない
2つ目の解決法はごく単純なものです。それは、「ためたら、使う」です。
ごく当たり前のことを言っているように思われるかもしれませんが、実は、多くの人はこの当たり前のことがなかなか実行できずにいるのです。要するに、ためたものは、適切に使わなければならないのです。適切に使わなければ、使用期限が切れて、他人のものや無駄なものになってしまうことがあるからです。
たとえば、親が亡くなったら、子どもは、親が大事にためた高価な品物を無用のものとして処分してしまうものです。それは必ずしも親不孝というわけではありません。親の宝物は子どもたちには使用できないからなのです。
フランスのベルサイユ宮殿は、ルイ14世が絶対王政の権力を誇示するために建てたものです。しかし、王政が廃止になると、宮殿は一般国民の財産となりました。今では、誰でも見学できる観光名所になっています。このことは、ルイ14世の立場から考えれば、腹が立って仕方がないことでしょう。
つまり、自分が使う目的でためたものは、自分で使うしかないのです。自分が使わなかったものは、他人のものになります。そしてそれは、自分の気持ちに反したことに使われることになるのです。
銀行にいくらたくさん貯金があっても、ケタの多い数字が並ぶ通帳を1人でじっと見ていて楽しいかというと、必ずしもそういうわけではありません。むしろ、その預金を下ろして旅行をしたり、みんなとレストランに行ってご馳走を食べたりしたときのほうが、楽しみを感じるはずです。
努力してためたもののことをありがたく感じるのは、ためたものを使っているときであり、ためたものが役に立つときなのです。
このことによく気づいておいてほしいのです。
心にたまった悪感情は善感情で“解毒”する
もっとも、「ためこみ」には、今紹介したような方法でもうまく解決できないケースもよくあります。それはどういうケースかといえば、「心のためこみ」です。
そもそも「ためこみ」はモノ(物質)の次元にとどまるものではありません。「恋人に振られた」「今日もまた上司に怒られた」……といった具合に、日常のトラブルが引き金となってネガティブ感情が生じ、そうした感情をうまくできずにどんどん募らせていくことがありますが、これはまさに「心のためこみ」と言えるでしょう。
いえ、実を言えば、具体的なトラブルがなくても、怒り、嫉妬、憎しみ、落ち込みといった悪感情は、生きていると自然に、勝手にたまっていくものなのです。これは、家に住んでいると自然とゴミがたまっていってしまうのと同じです。そしてそのまま放っておけば、心は、悪感情というゴミがたまった「ゴミ屋敷」になってしまうのです。
こうした心のレベルでの「ためこみ」にはどんな解決方法があるでしょうか。
仏教が推奨する方法のひとつは、「悪感情に対しては、その反対の善感情で解毒する」というものです。具体的に説明してみましょう。
怒りや落ち込み、傲慢、嫉妬といった悪感情には、それとは正反対の善感情があります。怒りの反対感情はなんでしょう? 仏教では、たいていその悪感情の単語に対して、パーリ語で否定の意味をもつ「ア」をつけて(日本語では「不」や「無」にあたります)、その反対の善感情を表現します。たとえば、怒り・瞋恚(ドーサ)に対しては不瞋(アドーサ)、欲・貪り(ローバ)に対しては不貪(アローバ)といった具合です。
悪感情に対しては、こうした反対の善感情を自分で発見し、それを使って解毒するのです。
悪感情がたまったら、その場その場で解毒剤を発見して、処分していく。それは、悪感情を捨てるというよりは、悪感情を善感情に入れ替えていくと表現したほうが正しいでしょう。
また、しつこい悪感情に対しては、特に慈(慈しみ、友情)・悲(他の生命を助けたいという気持ち)・喜(他人の幸福を自分のことのごとく喜ぶ気持ち)・捨(一切の生命を平等に受け入れる気持ち)が解毒剤になります。慈悲喜捨という善感情を育て、心を成長させ、その善感情でもって悪感情を解毒するのです。
こうした精神的な善は、悪感情とは違って、努力しないと、頑張らないとたまらないものです。けれども、善感情を頑張ってためていけば、人間はどんどん幸せになっていくのです。
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アルボムッレ・スマナサーラ :スリランカ初期仏教長老
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提供元:長老が教える、心に「ためこまない」生き方|日々に役立つ、スリランカ仏教の智慧|東洋経済オンライン